明らかな努力が出来るって

本当に素晴らしいと思う。

頑張ることに照れを感じたり

頑張る人を見下す、とまでは

行かないが、自分は違うか、と

そうした状況から距離を置くと

いうことは、ある。


だが、この年老いたコーチに負けては

ならない!と意地でもコーチより

多く走りコーチより多く腕立てを

する!という気持ちはあまりにも

純粋で嬉しいが、その逆のパターン、

コーチはコーチ、自分とは別、て

いうかそこまでやりたくはない、と

平然としてしまうって何でだ?


と、ここで最初の文章に戻るのか。

自分は子どもの頃は頑張るという

感情はゼロに等しかった。だから

意地でも頑張る、意地でもやりきる

という姿勢を持っていた同級生に

苦手意識やら、はいはいすごいねー

とひやかすような。


人は変わるのか。それとも変わって

いるふりをしているのか。


タツキ先生、じゃないが、果たして

どちらの自分が本当なのか。

とにかく頑張らない小学生は謎、

ではなくいたって普通のこと、という

ことはよくわかるよ。それはそれだ。

先週感じた喉あたりの違和感。

また…あるようなないような。

これが続くなら内視鏡再び。

その場合何としても鼻からの

機関を探さねば。


しかし。

いざ何かあるとこのうろたえよう。

なるならなってそのままでいい!

なんて思っていたのに。

終わることへの恐怖というより

患い長引きあれこれ邪魔される、

または費用がかさみ思っていた

計画などがダメになることへの

懸念、なのだろうか。

それとも生に対する単純な執着

なのか。


どちらも、なのかもしれない。

嫌な人がいる。

最初はそんなに嫌ではなかった。

ていうかむしろ仲良くなれるかもと。

でも、嫌だ。

しかしその嫌な気持ち、理由などを

考えれば考えるほどうんざりして

くるし、そんなことを考える時間は

無駄。そこそこ考える、なら良い

かもしれないがその嫌な感情に

使う時間が増えれば増えるほど

そんなことにとらわれる自分のこと

も情け無い。


確か高校の時にも同じ感情を抱いた

ことがあった。

あそこがここが嫌だと、あの子の

ことを喫茶店で数人で話しをした。

その時には相当スッキリしたのだ。

自分が嫌だと思う人を他の人たちも

嫌だと言う安心感。


だがその後どうにもスッキリしない。

喋ったことで嫌な気持ちがくっきりと

浮き彫りになったような気がした。

後味の悪さ。



時間と感情の無駄遣い、とまでは

言えないのかもしれない。だが。