日本人には明快な日本人としての哲学がある。
そしてそれは書籍としてはなくても心の中に存在する。
新渡戸稲造が「武士道」を英語で書いた。日本には特に武士道という本はもともとなかった。
なぜなら必要なかったから。しかしそれは昔からあった。
ある有名な宗教学者が日本に仏教が伝来した時日本人にはすでにもともと仏教観があったと述べられた。特に彼は「無常」のことを指摘していた。
仏教とは宇宙の真理を釈迦が説かれそれをもとに作られた宗教である。それはもともと原理・原則でありあらゆる宗教、哲学のもとになるものである。もちろんあとで作られた経典にはいろいろその時代の考えが付け足され、真実から離れてしまったところも少なくはない。しかし原型を感じ取れる。
釈迦が言った「その人にとっての真実が真実だ」といったところにも真理が存在する。
日本人はもともと原理・原則を理解していた。ゆえに気持ちよく仏教が取り入れられ、世界の中で最も仏教を高いところまでもっていき華を咲かせた。
縄文時代には大変文化の高い集落がたくさんあった。何万年もの間それは栄えた。文字もあった。野蛮な弥生文明が大陸から来て平和は一変した。縄文時代からは武器が出土しない。なぜなら戦う必要がなかったからだ。中央集権国家も必要なかった。外敵がないわけだから。そんな時代が何万年も続いた。
永遠を友に持った日本人は忍耐力があり自然を大切にした。
宮本武蔵の「五輪の書」を読むとかれが最終的に本来は全く戦う必要性のないという悟りの境地に到達していたことがうかがい知れる。すなわち縄文の「知」である。かれもそこに到達した。
それは日本人の悟りである。彼は幸いにも書を残してくれた.しかしもしそれがなくてもその考えは日本人の心に存在していただろう。
それが日本人の哲学である。
真実はもともとその人の中にあり、書物で書く必要がなかったからだ.逆に書くと真実から離れてしまうと思ったのかもしれない。