078相良頼綱公60回忌法要及び令和8年度熊本地震の報告書

                           2026.10.15 宮原秀範

 

9月24日に田中氏より、相良家40代ご当主相良綾乃様ご臨席の下、頼綱様生誕150周年と没後60回忌法要を執り行うことに相成りました。何卒、お繰り合わせのうえ、ご来臨の栄を賜りますようにご案内申し上げます。と連絡が有り出席する事にしました。

令和8年10月10日午前10時に、青井阿蘇神社本殿で相良家ご繁栄祈願祭で始まり。

午前11時に願成寺本堂にて、頼綱公様60回忌法要及び集合写真撮影。

正午より、西間上町いず美にて会食がありました。

 

今回姫様は、奥方様とお嬢様の三名様で、10月8日から人吉入りされ、青井神社のおくんちも見学されました。会食では楽しいお話をされ和気あいあいに行われましたが、本日お帰りの為13:30には鹿児島空港に出発され、滞りなく今回の法要も無事終わりました。

会食も14:30に解散となり、楽しいひと時でした。

 

1.   青井阿蘇神社、相良家ご繁栄祈願祭

2.   願成寺頼綱公60回忌法要

 

 

60回忌法要の司会進行を、田中氏が行い。挨拶文を以下に記す。

 

相良頼綱公60回忌法要、田中氏の挨拶

                                                                                                                                                  令和8年10月10日願成寺にて(11:00~11:45)

それではですね 相良家 初代 相良長頼公、今日の青井神社の宮司の祝詞にもありましたけれども 、まあ 建久9年(1198年)という時代にこちらに、まあ頼朝の命を受けて 下向してこられた、頼朝が鎌倉幕府を開いたのがいい国作ろうということで 、我々も 覚えていたんですけれども、どうも年代も怪しい みたいな感じで、ちょっとずれているという気もしますが 、1192年 やはり 前後に こちらに来ておられるということでも、建久9年もちょっと調べてみれば 何年か解ると思いますが 、まあそういう流れの中でご承知の通り、初代は最初相良の庄に、いわゆる、前回お参りに行きました 正念寺(しょうねんじ)そして湯前の城址、あの一体を収めてそれから こちらに2代頼影公の時に 人吉の方に、来たと言うことだろうと思います。 由来この願成寺様を菩提寺として相良は武運長久(ぶうんちょうきゅう) ・花営反映(かえいはんえい)等々 願ってこられたと思いますが、当時は神仏習合でございますので、さきほどちょっと申し上げました。

青井阿蘇神社の拝殿で、ですね、護摩炊き供養を願成寺様と共に行い、そして翌年の新年のお願いをされたという風には伝わってきているところでございます。

よって初代相良長頼公を はじめ 歴代尊儀(そんぎ)並びにご家中の皆様方、 それから先ほども申し上げましたが 益田敬三さんのご指摘により37代相良頼綱公様生誕150周年、没後 60周年でございます。 60回忌でございます。

そのご供養と相良家 38代頼知(よりのり) 様、生誕124周年 没後30周年でございます。 合わせて お参りをしていただければ幸いでございます。

どうぞよろしくお願いをいたします 。

 

(注、田中様のごあいさつをそのまま文にしております)

 

 

3.西間上町いず美にて、会食

 

 

 

3.   今回の人吉入りは、おくんちや催し事が多く、いつものホテルが取れなく、アゴダで格安の宿を見つけ予約を取りました。

ただ、お風呂(シャワー)・トイレが共同で、夜中に何度か階段を下りたり、出入り口のそばで音がうるさく。テレビもイヤホーンで聴く有様でした。安いのは意味がありますね。

明日は、八代で相良家や宮原家の先祖のお墓の確認に行きます。

本日21:00に就寝です。明日朝6:00に出発予定です。

 

4.   10月11日(日曜日)

7:00時に八代到着、八代人吉側のトンレル附近~松橋氷川インター間が50km走行の為、渋滞が発生するので、いっもより早くに出発しました。八代附近のトンネル内も凸凹した箇所や、橋の継ぎ目がいたるところ補修してありました。古い瓦の屋根はブルーシートが多くみられました。

松橋の相藤宅も伺う予定ですが、心配になりました。

 

④長毎公の石碑 ③義陽公の墓 ⑦八代神社(妙見宮) ⑥明言寺 ⑤公忠の墓

の順番で、調査していきました。

 

 

④第20代相良長毎公の石碑

正面右の石の囲いが転倒していたが、左右の灯篭は無事でした。

震災前

震災後

③第18代相良義陽の墓(頸塚)

前回10年前は、階段部が崩落して登れませんでしたが、今回は無事に登れました。

お墓の本体は、無事でしたが、まわりの石灯篭がほとんど転倒しています。

震災前

震災後

 

⑦八代神社(妙見宮)

妙見宮本体は無事ですが、まわりの古い建物は完全に崩壊していました。

駐車場や敷地内に大きな地割れはまだそのままの状況でした。

どうにか参拝が出来ていましたので、お参りしてきました。他にも何名かいらしていました。

 

震災前                   震災後

 

⑥明言院の宮原(橘)公忠の逆修碑

お寺の方から10年前震災は無事だったのに、今回は残念ながら転倒して割れていました。

妙見宮の霊符を作った公忠がこの寺にこもり、法華経の一千巻を百編も読破した記念のものです。

震災前              震災後

⑤氷川町の宮原(橘)公忠の墓 小さな五輪の棟が本当のお墓です

 

八代地区を調査して、今度は松橋地区へ10:30頃到着しました。

相藤氏の自宅が心配でしたが、無事に生活されていました。

電気、水は井戸が有り生活が出来ているようです。屋根は10年前の震災後に新しくされたものでした。ただ玄関のアルミドアが曲がって出入り出来ないそうです。まずは一安心しました。

今回の調査を話すと、一緒に同行してくれました。

 

①    相良神社(相良堂)

震災前

鳥居と本殿は無事でしたが、正面左の石碑やまわりの石灯篭がほとんど転倒していました。

 

 

震災後

まわりの石灯篭も無残な状況です。

震災後

本殿は無傷のようです。

震災後

 

毎年12月2日の例大祭は今回無理みたいです。

小熊野神社の宮司に確認します。10/13に電話して例祭の件を伺うと、区長と一部の関係者で行う方向で考えていますとの事でした。

 

 

① ―2小熊野豊野神社(相良神社の宮司様)

自宅も被災されてブルーシートがかかっていましたが、電話で話したらどうにか生活が出来ていますとの事でした。鳥居一部破損や石灯篭が全部転倒ですごい状況でした。

 

震災前

 

震災後

 

① ―3常楽院(真言宗醍醐派) 供養会の時は昼食を、いつもこちらで食事をしていました。

相藤さんの案内で、和尚様とお話しが出来ました。

本堂の仏像が前に転倒して、両腕が破損したが、補修をして仏師様に仕上げてもらわれたそうです。

村じゅう震災で大変ですとおっしゃっていました。

 

②    豊福長伝寺跡(第2期豊福城)

震災の前に台風でイチョウの木が怖いので伐採されたそうです。

本堂や16代義慈・17代晴廣は無事でしたが、18代義陽の五輪の塔が転倒しています。

積上げる順番が現在不明のようです。

 

 

震災前(右の五輪の塔が義陽の墓)

震災後

 

お堂は無事でした

 

※今回取り急ぎ現場状況の記録写真を撮り、簡単ですが報告書といたします。

                  令和8年10月15日 宮原秀範