066宮原家の系図さがし
平成30年6月29日 宮原秀範
第15世宮原公継の波乱万丈の生涯 ⑥
10.県会議員1886年(明治19年~明治22年)50歳
熊本県議会誌や人吉市史より
公継は、明治15年頃熊本改進党の結成の為、起草委員に選ばれ熊本県からは公議政党の山田武甫(実学派)、宗像景雄(相愛社)、人吉の宮原公継の三人が選ばれました。その後県会議員を明治19年~22年まで務めました。県会議員の時の写真を探しましたが、まだ見つかっておりません。
渋谷季五郎氏が持っておられた写真を添付しますが、公継の時代より後の写真です。
11. 人吉町村会議員 1889年(明治22年)53歳
人吉市史に明治22年~明治25年
人吉町の村会議員選挙
人吉町町の会議員選挙が、4月25日当選者は次の12名である。
【川北町】 蓑毛実造・米良以平・倉本勝次・倉本松造・高橋新造
【川南町】 加藤克一・田宮敏男・樅木義道・高田 普・新宮嘉善・宮原公継・雨宮 直
12.人吉町町会議員 1892年(明治25年)56歳
衆議院選挙と党派の争い
前年11月に国会が解散され、25年1月から総選挙が行われ、球磨郡では国憲党員が多数入り込み選挙人を威嚇し、警察は国憲党の先鋒隊のごとくで、人吉・上村・大畑・多良木・山田・一武等で次のよ うな事件が有りました
1.上村戸長、犬童慶一・同助役、尾方来一は殴打されて負傷。
2.大畑村尾方文蔵、一武村で後ろから頭を打たれ死亡。
3.多良木学校教員、千田・深水両人殴打される。
4.山田村助役、山田秀信国憲党より毒酒で殺され、そのうえ家屋損害を受ける。
5.一武村丸目徹・田代蔵・渋谷礼の3名宅に国憲党24~25名押し寄せ、石瓦を投げて雨戸、壁を打崩す。
6.人吉二日町の民党本部へ国憲党2~30人、午前4時頃押し寄せ乱入、暴行され、負傷23名、この時消防組取締のため集会するを巡査より解散を命ぜられ、そのあとに国憲党押し寄せ乱暴するという。
人吉市史に明治25年~明治28年
人吉町町会議員選挙、5月1日投票結果当選者
第1級 高橋新造・緒車栄次郎・倉本松造・宮原公継・補欠千々岩知実
第2級 米良以平・丸尾静・中村武・犬童次郎・補欠豊永謙
【町村会選挙】
町村発足にあたって、まず最初に実施されたのが町村会議員の選挙でした。選挙権・被選挙権を与えられる「公民」は、満25歳以上の男子戸主で2年以上当該町村に居住、町村協議費負担、地租または直接国税年額2円以上納付と、その要件が細かく定められました。また、会社その他の法人あるいは当該町村の非居住者であっても、町村税納入額が町村民のうち第3位の者より多額である場合は選挙権が与えられました。こういった要件を満たす公民=選挙人たちは、町村税納入額の多い者から1級・2級(市の場合は1~3級)に区分され、1級・2級各選挙人の投票によりそれぞれ議員定数の半数を選ぶという等級選挙制がとられていました。