054(先祖ゆかりの地に行こう)五条宮

                            2018.3.9 宮原秀範

 

橘氏の大阪・奈良にゆかりの神社・お寺の紹介をします。

平成26年5月3日~5日の2泊3日の旅行でおとずれました。

最初は、大阪市天王子区真法院町24-9に有る、五条宮を紹介します。

 

 

五條宮(Wikipediaより)

五條宮(ごじょうのみや)は大阪市天王寺区真法院町に鎮座する神社。

 

【所在地】:大阪市天王寺区真法院町24-9 TEL06-6771-5444


【主祭神】:敏達天皇(第30代天皇)橘氏の祖神を祀る全国唯一の神社。

【例祭】:7月16日(夏祭)・10月16日(秋祭

【歴史】:

四天王寺建立の折、医療病院の鎮護として医道の祖神五条大神・少彦名命を祀る。

後、敏達天皇社と改められ、東成郡五条村の鎮守となり、鬼門・火災除けの神としても信仰された。敏達天皇が皇太子のときに居住した邸跡という。

明治5年(1872年)、村社に列し、大正4年(1915年)6月、神饌幣帛料供進社に指定される。

 

【神社概要】

由緒書によれば、日本最古の都・難波京の五條筋に当たる場所であり、敏達天皇が皇太子時代に居住した邸宅跡であったとされます。

神社としては、四天王寺建立の折(593年頃)、四天王寺内の施薬院(現・薬局)および療病院(現・病院)の鎮護として医道の祖神である五条大神、少彦名命(スクナヒコナ)を祀ったことに始まるとされ、後に敏達天皇社と改められ、東成郡五条村の鎮守となったとされています。

また、鬼門・火災除けの神社としても信仰されたそうです。

なお、由緒書には以下のように記されています。

 

【敏達天皇とは?】

敏達天皇(びだつてんのう)とは30代天皇であり、聖徳太子の叔父推古天皇の夫に当たります。

敏達天皇の父・欽明天皇の時代に日本に仏教が伝来するのですが、その時期より、古来より宮中祭祀を担ってきた神道を推す勢力と、外来よりもたらされた仏教を推す勢力に分かれ、二派の間で確執が生まれます。

そうした背景の中、敏達天皇は排仏を訴え神道を尊んだ「神道派の天皇」だったとされています。
 

【橘氏とは?】



橘氏(たちばなうじ)とは「橘」を氏の名とする氏族であり、飛鳥時代末期、県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)が元明天皇から「橘宿禰(たちばなのすくね)」の氏姓を賜ったことに始まるとされています。

つまり、県犬養三千代が橘氏の祖とされますが、この人物は敏達天皇の後裔に当たる美奴王(みぬおう)の妻であり、後に離別して藤原不比等の後妻となった際に「橘」という姓を賜ったそうです。

上記が定説ですが、この説に則って考えると橘氏と敏達天皇は無関係と思われます。

しかし、敏達天皇の祖母橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ)であり、また敏達天皇の後裔に当たり聖徳太子の妃となった橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)の名前にも「橘」が含まれています。

そのほか、敏達天皇の異母弟に当たる聖徳太子の父の用明天皇は「橘豊日天皇(たちばなのとよひのすめらみこと)」という名を持っており、また聖徳太子の生誕地とされる橘寺にも「」が含まれます。

これらのことから「橘氏」とは、敏達天皇および その祖先に関わる血統であり、聖徳太子にも深く関わる要素であったと考えられます。

そのため、橘氏の祖神を祀る全国唯一の神社とされるにも関わらず、橘氏の祖とされる県犬養三千代ではなく敏達天皇が祀られるのは、こうした背景に基づく血統を表しているのではないでしょうか?

ちなみに『記紀』において初めて「橘」の名のつく人物は、ヤマトタケルの妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)であるとされています。