044宮原家の系図探し 24-4.橘公忠が宮原公忠へ改名する

                        平成29年12月1日 宮原秀範

 

橘公忠公の奥方の墓

「奥方は上有佐に墓あり。今に御向□□に五輪残れり」とある。公忠と奥方との墓が東西むかいあっていたのではないか。

「天正のころ大杉あり、元禄年中大風に倒る。この木を売りて石灯籠二つ建立なり」ともある。

奥方の墓の参考地として上有佐、川田リツ氏のやしき付近を想定しているが、五輪塔の石材(凝灰岩)が多量にあり、四方仏(三面彫刻)や、「奉寄進、恵美」とよまれる石灯籠のさお石(砂岩)もあるが、確言は今のところできない。


 

明言院代表者:日隈甯尚) 熊本県八代市興善寺町一八一九

明言院(みょうごいん)境内の逆修(はい)境内には、1546年、宮原城々代、橘公忠がこの寺にこもり、法華経の一千巻を百遍も読破した記念に建てた、逆修牌があります。