あなたの住むその世界のために、自分を役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、優しくいたわり、気持ちを察してあげて下さい。同時に、邪悪なものに対しては、敢然と立ち向かって下さい。


人のために、惜しみなく自分を役立てて下さい。そうするとあなたがこの世に存在したことによって、世の中が明るく豊かになります。そして、人生の戦いに臆することなく立ち向かい、いかなる事態におかれても自分には困難を克服し障害を乗り越え、霊的品格と強靭さを身に着けていく力が秘められていると、自信を持って下さい。それでこそ、あなたも宇宙の神に貢献していることになります。


多くの人間は、地上だけが人間の住む世界だと考えています。現在の生活が人間生活の全てであると思い込み、そこで物的なものをせっせと蓄積しようとします。戦争、流血、悲劇、病気の数々も元はと言えば、人間が今この時点において立派な霊的存在であること、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。


あの二千年前のイエスを導いてあれほどの偉大な人物にしたのと同じ霊力、同じインスピレーション、同じエネルギーが、二千年後の今の世にも働いていることを是非知ってほしいのです。あなた自身も神の一部です。その神の温かき愛、深淵なる叡智、無限なる知識、崇高なる霊的知識が、いつもあなたを待ち受けています。何も神を求めて過去にさかのぼることはないのです。現代にも同じ神がここに存在します。


イエスご自身は、神として崇められることを望んでいらっしゃいません。イエスは人間としての偉大な模範です。霊力の働きを伝えると同時に、霊的法則、愛と親切、奉仕という人生の基本原則を強調しました。イエスの遺した偉大な徳は、人間としての模範的な生きざまです。


宗教家とか信仰心の深い人は霊的に成長度が高いという考えが、人類を永い間悩ませてきました。しかしある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。宗教とは無縁の人のほうが遥かに霊格が高いというケースがいくらでもあります。大切なのは何を信じるかではなく、日常生活での行いです。

どこにいても人のためになることを心掛けましょう。手を差し伸べるべき人はどこにでもいます。悲しみの中にいる人に優しい言葉をかけてあげるだけでもいい。沈んだ人の肩にそっと手をかけて力づけてあげるだけでもいい。そうしたあなたの愛が、その人にとって、それまで近づけずにいた霊の力とのつながりをもたせるのです。


物質の世界に存在するもの、それが物であろうと人間であろうと、またその人がいかに高い社会的地位であろうと、それを信仰の対象としてはいけません。物質の世界の彼方にあるものへ目を向けて下さい。


宗教的教義による心の束縛は、地上世界の病苦であり、大きな害悪をもたらします。なぜならそれは、魂の病気だからです。一旦魂が宗教的束縛を受けるようになると、その迷信の厚い壁が突き崩されるまでに、死後の世界のおいても非常に永い時を要します。
 人は教義を守るから立派になるのではありません。人間は歴史的に教義の名のもとに戦争をしかけ、異教徒の命を奪ってきました。魂を束縛し、人間の精神的自由を奪い、霊的成長を遅らせるものは、いかなるものであっても取り除かねばなりません。


 

 

 

 

「あなたに理解していただきたいのは、バイブルの言葉を云々するよりも、もっと大切なことがあるということです。“主よ、主よ”と叫ぶ者が敬虔なのではなく、神の意思(人の為に、人の為に、)を実践する者こそが敬虔なのです。それをイエスは二千年前に教えています。」 

 

 

「人間は、肉体を通して自我を表現している霊魂なのです。それが、地上という物質の世界での生活を通じて、魂を成長させ発達させて、死後に始まる本来の霊の世界における生活に備えているのです。」

 

 

「霊的真理を説き聞かせることは、神の愛を注ぐことです。その愛が魂の琴線にふれると、まず精神の視野が開けて人生観が変わり、あなた方が説く霊的知識のかけがえのない価値に気付くようになります。」

 

 

 

「あなた方としては、1人ひとりが、できうる範囲内で霊的知識を広めることを心がければよろしい。自分自身が光明を見出したように、今度は、誰か自分以外のたった1人に光明を見出させてあげることができたら、それだけでこの地上生活は有意義だったことになるのです。」

 

 

「人間は、とかく金持ちを羨ましがりますが、その人たちの多くを待ち受けている運命をご存じありません。財産を自分のことだけに使う人は、利己主義者であり、そういう人の将来には、恐ろしい逆境が待ち受けております。羨ましがらずに、憐れんであげるべきです。」

 

 

地球人類は今まさに危機の真っ只中にあります。何事につけ誕生には苦しみがともなうものですが、新しい秩序の誕生にも大きな苦しみがともないます。その誕生が近づくにつれて苦痛も増大してきます。
 しかし間違いなく言えることは、新しい世界の種子がすでに地上世界に根付いているという事です。既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄しても、それは功を奏さないでしょう。
 イエスは、「天に為される如く地にも為されるであろう」と二千年前に述べています。それが実現しようとしているのです。
〈シルバーバーチの教え(上)〉P.66
 

 

 


「宗教とは何かと問われれば、わたしは躊躇(ちゅうちょ)なく申し上げます。―― いつどこにいても人のために自分を役立てることです。と、神学などはどうでもよろしい。教義、儀式、教典などは関係ありません。祭壇に何の意味がありましょう。尖塔に何の意味があるのでしょう。ステンドグラスの窓にしたからといって、一体どうなるというのでしょう。法衣をまとったら、どこがどう違ってくるというのでしょう。そうしたものに惑わされてはいけません。何の意味もないのです。
 自分を人のために役立てること、それが宗教です。あなたの住むその世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、やさしくいたわり、気持ちを察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対して敢然と闘ってください。
 わたしが地上へお伝えに戻ってきた真理とは、こうした何でもないことばかりなのです。」
『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』


 

 

 

 

大々的な組織体制のもとでの霊力の降下がなかったならば、地上世界はもっともっと深刻な事態に陥っていたはずです。潜在的な更生力が全世界に働きかけてきたからこそ、この程度で終わっているのです。

 

 

「夜明けの光が見えつつあります。あなた方が物的状況から予想するよりはるかに急速な足取りで近づきつつあります。今まさに地上世界は運命の岐路に立っております。私が心をこめ最大級の確信をもって申し上げたいことは、その新しい世界はすでに根づいているということです。これからの問題ではなく、すでに誕生しております。(中略)新しい世界は始まっているのです。」
 『シルバーバーチの霊訓』(2)P185

 

 

「ナザレのイエスは、大霊から託された使命を達成するために物質界へ降誕した大霊の使者の一人でした。イエスは地上でなすべき使命は果たしましたが、それで使命のすべてが終わったわけではなく、今なお霊の世界から働きかけています。」
『シルバーバーチの教え(上)』pp.137-138

 
「今やこの地上にも、霊力がしっかりと根づいております。その影響力の徴候をそこここに見ることができるようになりました。もう二度と地上から追い出される心配はありません。
過去幾世紀にもわたって、地上に霊力を根づかせようとする努力がくり返し試みられてまいりました。人類のすべてが大霊に近づき、その無限の叡智と知識と愛による恩恵に浴せるようにとの願いからでした。それが、今世紀に至ってようやく成就されたのです。」
『霊的新時代の到来』p.14

 

 

「霊的知識を広めることです。ときには拒否され、ときには嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあることでしょう。しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたは、あなたの為すべきことをなさったのです。
しかし、一方には、それが干天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人たちのお役に立てば、それだけで、少なくともあなたの人生は存在価値をもつことになります。」
『地上人類への最高の福音』pp.60-61

 


「もっともっと多くの人材――これがわたしたちの大きな叫びです。いつでも自我を滅却する用意のできた、勇気と誠意と率直さにあふれた男女――霊力がふんだんに地上世界へ降下して人生を大霊の意図された通りに豊かさと美しさと光輝にあふれたものにするためならいかなる犠牲をも厭わない人材がほしいのです。」
『シルバーバーチの霊訓―スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』

 

 


 「ナザレのイエスと同じ霊、同じ存在が今なお地上に働きかけているのです。死後、さらに開発され威力を増した霊力を駆使して、愛する地上人類のために働きかけておられるのです。イエスは“神”ではないのです。(中略)イエスを信仰の対象とする必要はないのです。イエスの前にひざを折り、平身低頭して仕える必要はないのです。それよりも、イエスの生き方を自分の生き方の手本として、さらにそれ以上のことをするように努力することです。」
『地上人類への最高の福音』 P264



「大霊の子らのために奉仕しようと努力している地上の同志の背後には、協力関係を求める巨大な霊的勢力が控えていることを知っていただきたいのです。そして霊的真理を武器として、あらゆる迷信、あらゆる邪悪と戦い、尊い真理の光で地上界を照らしていただきたいのです。」
『シルバーバーチの教え(上)』p.73


「とにもかくにも、霊的知識を広めることです。すべての者が霊的知識を手にすれば、きっとその中から、その知識がもたらす責務を買って出る者が出てくることでしょう。不安のタネの尽きない世界に平和(やすらぎ)を招来するためには、霊的真理、視野の転換、霊的摂理の実践をおいて、他に手段は有り得ません。
ストレスと難問の尽きない時代にあっては、正しい知識を手にした者は、“真理の使節”としての自覚をもたねばなりません。」
『霊的新時代の到来』p.291

 

地球人類は今まさに危機の真っ只中にあります。何事につけ誕生には苦しみがともなうものですが、新しい秩序の誕生にも大きな苦しみがともないます。その誕生が近づくにつれて苦痛も増大してきます。

しかし間違いなく言えることは、新しい世界の種子がすでに地上界に根付いているということです。既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄しても、それは功を奏さないでしょう。イエスは、「天に為される如く地にも為されるであろう」と二千年前に述べています。それが実現しようとしているのです。

これから地上には、いくつもの大きな変化が生じます。崩壊や多くの大変動があるでしょう。皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかもしれません。「たいへんな時代になった」と、おっしゃるかもしれません。しかし、そうした変動の背後には、地上世界を進化させようとしている大きな力が存在しているのです。
(シルバーバーチの教え(新版・上)4章 スピリチュアリズムが目指す新しい世界)

 


古い時代の文明が破滅してしまったように、現代の物質文明は完全に破綻状態に陥っています。そのかけらを一つひとつ拾い上げて、永遠の霊的摂理の上に今一度築き直す、そのお手伝いをするために私たちは戻ってきたのです。それは私たち全員に大霊からの愛が流れており、その愛であなた方を愛しているからです。
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 「私たちには為さねばならない仕事があるのです。偉大な仕事です。よろこんでその手を、その心を、その精神を貸してくださる人々の協力を必要とする、大仕事があるのです。あなたもぜひ参加してください。あなた自身が手にされた知識を、寛容の精神で他人に披露して、その良さを知っていただくための努力を忍耐強く続けてください。」
 『地上人類への最高の福音』p.58

 

死者になることが悲劇であるかのようなご意見ですが、私はそのようには考えません。 私に言わせれば、死は魂が自由を獲得するための素晴らしい時なのです。
『シルバーバーチの教え・上』P176/後ろから2

 

 

 

「死ぬことは悲劇ではありません。今日のような地上世界に生き続けねばならないことこそ悲劇です。利己主義と貪欲と強欲の雑草で足の踏み場もなくなっている大霊(神)の庭に生き続けることこそ悲劇というべきです。

“死ぬ”ということは物的身体のオリの中に閉じ込められていた霊(真の自我)が自由を獲得することです。苦しみから解放され真の自我に目覚めることが悲劇でしょうか。豪華けんらんの色彩の世界を目のあたりにし、地上のいかなる楽器によっても出すことのできない妙なる音楽を聴くことが悲劇なのでしょうか。

地上で存分な創造活動ができなかった天才が、その潜在する才能を発揮する機会を得るのが悲劇なのでしょうか。利己主義もなく貪欲もない世界、魂の成長を妨げる金銭欲もない世界に生きることが悲劇でしょうか。あなたはそれを悲劇と呼ぶのでしょうか。一切の苦痛から解放された身体に宿り、一瞬の間に地上世界をひとめぐりでき、しかも霊的生活の醍醐味を味わえるようになることを、あなたは悲劇とお呼びになるのですか」

 

 

生きる意欲を無くしている人の処に出掛けていって、元気づけてあげ、疲れた人に眠る場を与え、飢えに苦しむ人に空腹を満たせて上げ、乾いた人のノドを潤して上げ、暗闇に閉ざされた人の心に明るい真理の灯火を灯してあげることです。
そうしたことを実行しているとき、貴方を通して、大霊の心が実行されているのです。

 

 


人のために、惜しみなく自分を役立てて下さい。そうするとあなたがこの世に存在したことによって、世の中が明るく豊かになります。そして、人生の戦いに臆することなく立ち向かい、いかなる事態におかれても自分には困難を克服し障害を乗り越え、霊的品格と強靭さを身に着けていく力が秘められていると、自信を持って下さい。それでこそ、あなたも宇宙の神に貢献していることになります。



どこにいても人のためになることを心掛けましょう。手を差し伸べるべき人はどこにでもいます。悲しみの中にいる人に優しい言葉をかけてあげるだけでもいい。沈んだ人の肩にそっと手をかけて力づけてあげるだけでもいい。そうしたあなたの愛が、その人にとって、それまで近づけずにいた霊の力とのつながりをもたせるのです。

 

死とは何ですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたに理解していただきたいのは、バイブルの言葉を云々するよりも、もっと大切なことがあるということです。“主よ、主よ”と叫ぶ者が敬虔なのではなく、神の意思(人の為に、人の為に、)を実践する者こそが敬虔なのです。それをイエスは二千年前に教えています。」 

 

 

「人間は、肉体を通して自我を表現している霊魂なのです。それが、地上という物質の世界での生活を通じて、魂を成長させ発達させて、死後に始まる本来の霊の世界における生活に備えているのです。」

 

 

「霊的真理を説き聞かせることは、神の愛を注ぐことです。その愛が魂の琴線にふれると、まず精神の視野が開けて人生観が変わり、あなた方が説く霊的知識のかけがえのない価値に気付くようになります。」

 

 

 

「あなた方としては、1人ひとりが、できうる範囲内で霊的知識を広めることを心がければよろしい。自分自身が光明を見出したように、今度は、誰か自分以外のたった1人に光明を見出させてあげることができたら、それだけでこの地上生活は有意義だったことになるのです。」

 

 

「人間は、とかく金持ちを羨ましがりますが、その人たちの多くを待ち受けている運命をご存じありません。財産を自分のことだけに使う人は、利己主義者であり、そういう人の将来には、恐ろしい逆境が待ち受けております。羨ましがらずに、憐れんであげるべきです。」

 

 

地球人類は今まさに危機の真っ只中にあります。何事につけ誕生には苦しみがともなうものですが、新しい秩序の誕生にも大きな苦しみがともないます。その誕生が近づくにつれて苦痛も増大してきます。
 しかし間違いなく言えることは、新しい世界の種子がすでに地上世界に根付いているという事です。既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄しても、それは功を奏さないでしょう。
 イエスは、「天に為される如く地にも為されるであろう」と二千年前に述べています。それが実現しようとしているのです。
〈シルバーバーチの教え(上)〉P.66
 

 

 


「宗教とは何かと問われれば、わたしは躊躇(ちゅうちょ)なく申し上げます。―― いつどこにいても人のために自分を役立てることです。と、神学などはどうでもよろしい。教義、儀式、教典などは関係ありません。祭壇に何の意味がありましょう。尖塔に何の意味があるのでしょう。ステンドグラスの窓にしたからといって、一体どうなるというのでしょう。法衣をまとったら、どこがどう違ってくるというのでしょう。そうしたものに惑わされてはいけません。何の意味もないのです。
 自分を人のために役立てること、それが宗教です。あなたの住むその世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、やさしくいたわり、気持ちを察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対して敢然と闘ってください。
 わたしが地上へお伝えに戻ってきた真理とは、こうした何でもないことばかりなのです。」
『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』


 

 

 

 

大々的な組織体制のもとでの霊力の降下がなかったならば、地上世界はもっともっと深刻な事態に陥っていたはずです。潜在的な更生力が全世界に働きかけてきたからこそ、この程度で終わっているのです。

 

 

「夜明けの光が見えつつあります。あなた方が物的状況から予想するよりはるかに急速な足取りで近づきつつあります。今まさに地上世界は運命の岐路に立っております。私が心をこめ最大級の確信をもって申し上げたいことは、その新しい世界はすでに根づいているということです。これからの問題ではなく、すでに誕生しております。(中略)新しい世界は始まっているのです。」
 『シルバーバーチの霊訓』(2)P185

 

 

「ナザレのイエスは、大霊から託された使命を達成するために物質界へ降誕した大霊の使者の一人でした。イエスは地上でなすべき使命は果たしましたが、それで使命のすべてが終わったわけではなく、今なお霊の世界から働きかけています。」
『シルバーバーチの教え(上)』pp.137-138

 
「今やこの地上にも、霊力がしっかりと根づいております。その影響力の徴候をそこここに見ることができるようになりました。もう二度と地上から追い出される心配はありません。
過去幾世紀にもわたって、地上に霊力を根づかせようとする努力がくり返し試みられてまいりました。人類のすべてが大霊に近づき、その無限の叡智と知識と愛による恩恵に浴せるようにとの願いからでした。それが、今世紀に至ってようやく成就されたのです。」
『霊的新時代の到来』p.14

 

 

「霊的知識を広めることです。ときには拒否され、ときには嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあることでしょう。しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたは、あなたの為すべきことをなさったのです。
しかし、一方には、それが干天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人たちのお役に立てば、それだけで、少なくともあなたの人生は存在価値をもつことになります。」
『地上人類への最高の福音』pp.60-61

 


「もっともっと多くの人材――これがわたしたちの大きな叫びです。いつでも自我を滅却する用意のできた、勇気と誠意と率直さにあふれた男女――霊力がふんだんに地上世界へ降下して人生を大霊の意図された通りに豊かさと美しさと光輝にあふれたものにするためならいかなる犠牲をも厭わない人材がほしいのです。」
『シルバーバーチの霊訓―スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』

 

 


 「ナザレのイエスと同じ霊、同じ存在が今なお地上に働きかけているのです。死後、さらに開発され威力を増した霊力を駆使して、愛する地上人類のために働きかけておられるのです。イエスは“神”ではないのです。(中略)イエスを信仰の対象とする必要はないのです。イエスの前にひざを折り、平身低頭して仕える必要はないのです。それよりも、イエスの生き方を自分の生き方の手本として、さらにそれ以上のことをするように努力することです。」
『地上人類への最高の福音』 P264



「大霊の子らのために奉仕しようと努力している地上の同志の背後には、協力関係を求める巨大な霊的勢力が控えていることを知っていただきたいのです。そして霊的真理を武器として、あらゆる迷信、あらゆる邪悪と戦い、尊い真理の光で地上界を照らしていただきたいのです。」
『シルバーバーチの教え(上)』p.73


「とにもかくにも、霊的知識を広めることです。すべての者が霊的知識を手にすれば、きっとその中から、その知識がもたらす責務を買って出る者が出てくることでしょう。不安のタネの尽きない世界に平和(やすらぎ)を招来するためには、霊的真理、視野の転換、霊的摂理の実践をおいて、他に手段は有り得ません。
ストレスと難問の尽きない時代にあっては、正しい知識を手にした者は、“真理の使節”としての自覚をもたねばなりません。」
『霊的新時代の到来』p.291

 

地球人類は今まさに危機の真っ只中にあります。何事につけ誕生には苦しみがともなうものですが、新しい秩序の誕生にも大きな苦しみがともないます。その誕生が近づくにつれて苦痛も増大してきます。

しかし間違いなく言えることは、新しい世界の種子がすでに地上界に根付いているということです。既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄しても、それは功を奏さないでしょう。イエスは、「天に為される如く地にも為されるであろう」と二千年前に述べています。それが実現しようとしているのです。

これから地上には、いくつもの大きな変化が生じます。崩壊や多くの大変動があるでしょう。皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかもしれません。「たいへんな時代になった」と、おっしゃるかもしれません。しかし、そうした変動の背後には、地上世界を進化させようとしている大きな力が存在しているのです。
(シルバーバーチの教え(新版・上)4章 スピリチュアリズムが目指す新しい世界)

 


古い時代の文明が破滅してしまったように、現代の物質文明は完全に破綻状態に陥っています。そのかけらを一つひとつ拾い上げて、永遠の霊的摂理の上に今一度築き直す、そのお手伝いをするために私たちは戻ってきたのです。それは私たち全員に大霊からの愛が流れており、その愛であなた方を愛しているからです。
()
 


 「私たちには為さねばならない仕事があるのです。偉大な仕事です。よろこんでその手を、その心を、その精神を貸してくださる人々の協力を必要とする、大仕事があるのです。あなたもぜひ参加してください。あなた自身が手にされた知識を、寛容の精神で他人に披露して、その良さを知っていただくための努力を忍耐強く続けてください。」
 『地上人類への最高の福音』p.58

 

死者になることが悲劇であるかのようなご意見ですが、私はそのようには考えません。 私に言わせれば、死は魂が自由を獲得するための素晴らしい時なのです。
『シルバーバーチの教え・上』P176/後ろから2

 

 

 

「死ぬことは悲劇ではありません。今日のような地上世界に生き続けねばならないことこそ悲劇です。利己主義と貪欲と強欲の雑草で足の踏み場もなくなっている大霊(神)の庭に生き続けることこそ悲劇というべきです。

“死ぬ”ということは物的身体のオリの中に閉じ込められていた霊(真の自我)が自由を獲得することです。苦しみから解放され真の自我に目覚めることが悲劇でしょうか。豪華けんらんの色彩の世界を目のあたりにし、地上のいかなる楽器によっても出すことのできない妙なる音楽を聴くことが悲劇なのでしょうか。

地上で存分な創造活動ができなかった天才が、その潜在する才能を発揮する機会を得るのが悲劇なのでしょうか。利己主義もなく貪欲もない世界、魂の成長を妨げる金銭欲もない世界に生きることが悲劇でしょうか。あなたはそれを悲劇と呼ぶのでしょうか。一切の苦痛から解放された身体に宿り、一瞬の間に地上世界をひとめぐりでき、しかも霊的生活の醍醐味を味わえるようになることを、あなたは悲劇とお呼びになるのですか」

 

 

生きる意欲を無くしている人の処に出掛けていって、元気づけてあげ、疲れた人に眠る場を与え、飢えに苦しむ人に空腹を満たせて上げ、乾いた人のノドを潤して上げ、暗闇に閉ざされた人の心に明るい真理の灯火を灯してあげることです。
そうしたことを実行しているとき、貴方を通して、大霊の心が実行されているのです。

 

 


人のために、惜しみなく自分を役立てて下さい。そうするとあなたがこの世に存在したことによって、世の中が明るく豊かになります。そして、人生の戦いに臆することなく立ち向かい、いかなる事態におかれても自分には困難を克服し障害を乗り越え、霊的品格と強靭さを身に着けていく力が秘められていると、自信を持って下さい。それでこそ、あなたも宇宙の神に貢献していることになります。



どこにいても人のためになることを心掛けましょう。手を差し伸べるべき人はどこにでもいます。悲しみの中にいる人に優しい言葉をかけてあげるだけでもいい。沈んだ人の肩にそっと手をかけて力づけてあげるだけでもいい。そうしたあなたの愛が、その人にとって、それまで近づけずにいた霊の力とのつながりをもたせるのです。

 

死とは何ですか?