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てくてく撮影日記

投稿内容は写真を主体にしつつ、ブラブラさんぽしていて発見したことも、くまなくチェックしていきますよ。

山梨県の橋が初お目見え。


都心から比較的近いところで、手軽に視界いっぱいの山と空を堪能できるのは山梨の魅力でもある。


先日、中央本線の車窓からふと現れた橋。これは「カンチレバートラス」ではないか??と思い、用事の帰りに途中下車したのがこの大月橋。
桂川に架かる橋で、国道20号線を通す。










上路式のカンチレバートラスは他ではあまり見ることができない。

中央支間にあるトラスの大部分は吊桁で、両側の橋脚と繋がっているトラスにそれぞれ固定されている。桁と橋脚が接合されていない箇所があるのが特徴。


そして、カンチレバートラスゆえに、橋脚と接している「ツノ」がこの形式の美しさでもある。


3枚目の写真にあるトラスと橋脚との接合部の具合がおもしろい。

トラスの先端と橋脚の接合部分は、よくこんな細さで桁を支えているなと感心してしまうほど繊細に感じる。


この形式はゲルバートラスとして紹介する資料もあるが、どちらも同じ意味である。また、写真には写っていないが一枚目写真で見て左側方向に桁橋が続いているので、下記の長さはそれを含んでいる。


山梨県大月市

形式:上路式カンチレバートラス橋

橋長:199m

幅員:6m

竣工:1958年(昭和33年)

1回目の新たなシリーズの幕開けは、昨日半世紀以上の歴史に幕を閉じたブルートレインから。


1958年(昭和33年)に『走るホテル』といわれ颯爽とデビューした青い客車の長大編成。東京-博多に寝台特急「あさかぜ」が誕生して以来日本全国を走ったブルートレイン。


少年の夢を乗せ、

少女の笑顔を乗せ、

若人の未来への架け橋となり、

故郷への感謝を詰め込んで。


約60年間に渡り私達の生活を支え人々に愛されてきた。

私も何回か乗車したが、結果として同じ名称の列車に二度乗ることは無かった。


最後まで残ったブルートレインは「北斗星」。

国鉄民営化、青函トンネル開通と共に走り始めた当時新しい名称の列車だった。

鉄路で繋がったトンネルもいよいよ来年には新幹線で繋がれることとなり、それに引き継がれる形で北斗星は姿を消すことに。





乗る方が好きで、撮る方はついでだったりお手軽なところにしか行かなかったが、最後は景色のきれいなところで、、、と、今年は寄り道してファンの間で有名な撮影地も行ってみた。

最後の日、目の前に姿を現す数分前から汽笛が聞こえ始め、沿線で見送る人々に北斗星は挨拶を交わしながら、走り去っていった。


東北本線

高久駅

東鷲宮-栗橋

いずれも寝台特急北斗星(上り)

正式名称は東京港連絡橋。

二層構造で、上層部は首都高速道路11号台場線、下層部は臨港道路海岸青海線(一般道路)とゆりかもめを通している。








羽田空港により高さ制限があるにもかかわらず、大型船航路確保のため海面上50mの空間を確保する必要があった。結果として航路部分を吊橋構造にして、両岸は高さを稼ぐため1km以上に及ぶアプローチが取り付けられることになった。このアプローチが長いため、橋を渡る時間が長く感じられる。


2000年代に入ると客船は大型化が急速に進み、世界各地を寄港するような超大型客船は、ほとんどレインボーブリッジをくぐることができなくなっている。そのため、東京港は晴海埠頭や日の出桟橋へ大型船を招くことができず、日本の海の玄関口とは言えなくなってしまっている。今後は大型クルーズ客船を接岸できる設備を台場地区に設置するそうだ。


規模としてはかなり大きい橋だが、近年大規模橋梁が西日本を中心に建設され、吊橋としては国内20位以内をキープしている状態。形態やメカニズムが似ている斜張橋を含めても全国的に見ると長く大きい橋は西日本に多い。


広い空と港の風景。


特に夏の日が長い頃は、湾内を往復する多数の船を遅い時間まで見ることができる。

ちょっとした小旅行気分にさせてくれていつの頃からか訪れるようになった。

付近の桟橋から見ると台場側は来る毎に新しい建物ができている。最近では隅田川河口から見えた勝鬨橋の手前に新しい橋が現れ、景色は刻一刻と変化している。


近年は多数の高層ビル建設やスカイツリーの存在もあって、レインボーブリッジのある風景は以前からあるありふれた都会の景色のように見えてしまいがちだが、橋としては全国的にも数少ない道路鉄道併用、ラーメン構造の大型主塔、ループアプローチ、海面上50mの歩道併設、と他では見ることができない組み合わせである。





東京都港区/江東区

形式:吊橋

橋長:798m

支間長:570m

主塔高:126m

幅員:29m

竣工:1993年8月


市谷水管橋は、外濠に架かる水道管専用の橋。


橋の下の半分以上は外濠の一部を活用した釣堀で、残りはJR中央線の市ヶ谷駅である。












外濠は言うに及ばず江戸時代からあるものだが、成立ちは場所によって大きく異なる。このあたりの外濠は、西側を市谷濠、東側を牛込濠(明治以降は新見附濠)と言い、現在でもそのように言うことがある。


水管橋は通常自然流下させているところが多くわずかに傾斜させているものが多い中で、この橋の傾斜角度はかなり大きい方だと思う。中を通る水は千代田区から新宿区へ流れていることになる。


他の水管橋は管が露出しているものが多く、大きな川を跨ぐ時はトラスやアーチ構造の橋梁を架けることもあるが、このように一般的なガーダー橋の中に通す例は少ないと思う。しかも、桁の左右にはコンクリート製の欄干を模した装飾を取り付け、あたかも歩道橋のような外観としている。こうすることで、鉄製の桁と欄干をコンクリートの一体構造のように見せて、美観を損ねないように工夫したのではないかと想像する。


東京都千代田区/新宿区

形式:5径間中路式プレートガーダー橋

橋長:100m程

幅員:4m程

竣工:1929年(昭和4年)

鎧橋は東京都心、日本橋川に架かる橋。

南詰には、東京証券取引所がある。


右岸、(橋の南)側は、日本橋兜町と日本橋茅場町。兜と鎧とはバッチリ合ったネーミング。架橋までは、「鎧の渡し」が存在しその名が橋にも受け継がれた。









今でこそ、主要道路に挟まれる補助的な橋だが、歴史は深い。

明治には架橋され、当時は木橋、後にトラス橋となった。後に路面電車が開通(後の東京市電→都電)し、さらに拡張も行われ、入口に4つの囲いを持つトラスが架かる様で、昭和初期までは立派な幹線道路だったようだ。

1946年(昭和21年)、橋の老朽化で東京市電の鎧橋部分は廃止になる。そして、架け替えが行われ、1957年(昭和32年)に現在の橋になった。


橋の通りには錦11系統の都営バスが運行されている。1971年(昭和46年)に廃止された都電36系統を受継いで転換された路線で、転換当時のコースを今でも大部分踏襲している。なお、かつて鎧橋を渡っていたのは都電36系統ではなく、戦前の別系統である。バスはこの鎧橋の部分だけ戦前回帰したコースになっている。都心部にあって廃止された都電や旧市電の面影を留める貴重な路線である。


橋に目を向けると、欄干のデザインが興味深い。他には例の無いがっしりとした厚みと斜めに切り出された石材が並ぶ姿は、単純な形にもこだわりを感じさせる。歩道部分も石畳風で、証券取引所のお膝元、小型ながらも由緒ある橋の風格である。


東京都中央区

形式:3径間カンチレバープレートガーダー橋

橋長:56.7m

幅員:19m

竣工:1957年(昭和32年)

初代竣工:1872年(明治5年) ※現在の橋は3代目

※資料によって、ゲルバー桁橋とあるが、「ゲルバー」はカンチレバー方式を開発した人の名前でどちらも同じ意味で使われている。

青木橋は横浜市にある国道1号線を通す橋。第二京浜の終点手前で、JR東海道本線や京浜急行線を跨ぐ道路橋。











橋は青くきれいに塗装されているのが目を引く。

橋脚が線路と線路の細い隙間に合うように設計されたからだろうか、細い鉄柱がズラリと並んでいて、規模の割りになかなか見ごたえがある。この橋脚も青く塗られていて、電車に乗っていても、外の景色を眺めていれば、青木橋をくぐったことがよく分かる。


周辺は旧東海道で、橋のそばには京浜急行の神奈川駅がある。往時の神奈川宿を彷彿とさせる意匠の駅舎が目を引く。隣の横浜がターミナルと言うこともあって駅は閑散としている。


橋の西詰は一際高い高台になっていて、周囲の高低差が大きい。南側は横浜駅方向に向かって線路の両サイドの地面レベルが共に下がっていて、鉄道によってここは地域が分断されたことが伺える。鉄道は勾配を避けたかったが横浜から北側は平地のスペース確保や迂回が困難で、直進して掘割を進む格好となり、当時の東海道を通すためここに橋が必要になったのではないだろうか。


横浜市内は市街地でも高低差が大きいため、ここまで大きい規模の都市では珍しく、坂道、陸橋、トンネルが盛りだくさんである。横浜に古い橋が多いのは、この街が長い歴史をかけてできた街であることを物語っているのである。


なお、橋のデータはほとんど見つけることができなかった。1929年(昭和4年)当時の資料として現在と同じ形の橋の写真があるので、おそらく改修を重ね今でも当時の桁と橋脚を使用しているのではないだろうか。


横浜市神奈川区

形式:不明(連続板桁?)

橋長:不明

幅員:不明

竣工:不明(1929年(昭和4年)以前か)

初代竣工:1870年(明治3年)

南辻橋は東京の下町、墨田区の大横川にかかる橋。

ここも地元密着の小さい橋。










かつて橋のすぐ北は竪川と大横川が交差していたが、どちらの川も片側が埋めたてられた結果、今ではL字型に折れ曲がる構造になっている。


橋の名前の、『辻』は交差していた河川の名残と思われ、周辺には新辻橋という名の橋も架かっている。


見た目古めかしいガーダー橋だが架橋後大きな変化もなく現在まで使用されている様子。欄干の取り付け方がとてもユーモラス。外側に張り出した曲線の支えは、装飾なのだろうか。一部既に無くなっているが補修されていないところを見ると、安全上問題ないということなのか。

墨田区の計画では近い将来架け替えが予定されているそうだ。ちなみに大横川は、橋の架け替えラッシュだ。現在は隣の菊柳橋が架け替え中である。


スカイツリーの開業で水運による観光が一目置かれるようになり、この橋の北側にも船着場ができると言う話があるが、果たして実現するのだろうか。錦糸町駅まで半端な距離だし、周辺は小規模オフィスと住宅ばかりだが。


東京都墨田区
形式:3径間カンチレバーガーダー橋

橋長:34.9m

幅員:11m

竣工:1931(昭和6)年1月

初代竣工:1659年(万治2年)

隅田川の橋の中でも、歴史の深い橋のひとつ、吾妻橋。

台東区花川戸と墨田区吾妻橋を結ぶ橋で、雷門通りを通している。


台東区側は水上バスや屋形船の乗り場が袂にあり、浅草駅とその繁華街もすぐ側。一方、墨田区側は、墨田区役所とアサヒビール本社が並び、通勤利用者の数も多く常に人が絶えない。近年はスカイツリーの定番撮影ポイントにもなっている。











周辺の建物の照明やかたちもあるが、夜景がとても美しい。そのせいか手元には夜の写真が多い。


以前も少し触れたが、赤い橋は絵本や模型ではスタンダードなのかのように目に付くことがあるが、実物はあまりない。個性豊かな隅田川の橋群の中でも、赤がメインの橋はここだけ。結構目立つものだ。


近年、この赤に異議を唱える専門家が表れ、自治体は色を変えることも選択肢の一つと取れるコメントを出すなど、将来何色にするかで揺れているらしい。


実は自治体で使うことのできる色は予め決まっていて、指定意外の色を使うには、知事や国の許可が必要な場合もあるそうだ。こと赤は景観上うるさいというか、神事に関わる特別な色とか、緊急設備の目印でもあり、規制が厳しいそうだ。あるフードチェーンが京都市内で赤が使えなかったことは、住人はもとより、旅行で行った人もよくご存知のこと。


都内有数の歴史ある名橋だが、本当に色は変わるのだろうか。



東京都台東区/墨田区

形式:3径間上路式ソリッドリブ2ヒンジアーチ

橋長:150m

幅員:22m

竣工:1931年(昭和6年)

初代竣工:1774年

久しぶりに多摩川の橋。

都道20号線、野猿街道を通す。












20年ほど前までこの周辺は橋が少なく、ひとつ下流にある関戸橋は当時大渋滞していた。この府中四谷橋の開通を期に日野市と府中市が直接結ばれ、多摩地域の南北流通は飛躍的に改善したそうだ。

南側周辺は多摩丘陵の一角で高低差が大きい。多摩川もこの辺りは浅川と程ヶ久保川とが合流する地点で川幅が増すところでもある。


写真を撮ったのが初夏と真冬大雪の次の日。主塔の高さが際だち、秩父の山々や青い空と共に素敵な風景を演出する。季節によって多摩川の雰囲気も一変することを改めて思う。


斜張橋としては東京都内屈指のスケールで、支間(主塔間)の長さと、主塔の高さはトップである。

しかし、全国規模で見ると見事に西高東低になっていて、この規模でも府中四谷橋は全国20位にも入らない。


ちなみに斜張橋以外の構造、形式で見ても、大きい橋は西日本に集中している。


東京都府中市・日野市

形式:3径間連続斜張橋

橋長:446m

支間長:260m

主塔高:61m

幅員:21m

竣工:1998年(平成10年)12月17日

日連大橋(ひづれおおはし)は、相模湖の西端部に架かる。












壮大な中路アーチ橋で国内ではスケールの大きい部類かと思う。


かつては上路式と中路式を組み合わせたワーレントラス橋で全国的にも珍しい形態であったが、老朽化で現在の橋に架け替えられた。


深い谷間に橋を架けるとき、足場の都合、上路アーチをかけることが多い中で、架け替えを中路式としたのは、旧橋の特徴的だった外観を少しでも残そうとした結果なのだろうか。中路式は全国的にも上路、下路式と比べるとその数は少ないだけに気になる。


旧橋時代に、かながわの橋100選に選ばれている。


ちなみに相模湖は相模川本流にかかる相模ダムによってできた人造湖で、主に湖より下流を相模川と呼んでいる。この橋の周辺は湖の上流側で、このあたりからさらに上流は、桂川と呼ばれている。相模川は桂川の部分も含め総延長109kmに及び、富士五湖最大の山中湖を水源としている。


神奈川県相模原市緑区

形式:中路式ローゼ(172m)、単純銅鈑桁、12径間連続曲線銅鈑桁

橋長:236m

幅員:12.5m

竣工:1993年(平成5年) 旧橋1959年(昭和34年)