本日は、私が高校生の時に入部していた演劇部の顧問であり、国語の教師だった、恩師T先生に会いに行きました。


T先生、もう十数年前から


絶賛難病と格闘中


昨年の初夏頃にお会いして以来の御無沙汰





入所されている施設で、カラオケに興じる


病の影響で回らない口であるのに、シッカと熱唱するT先生


私は生まれ持った謎にデカい声量で、T先生と共に昭和の楽曲を

合唱し熱唱。


そしてT先生の居室に移動



私のTシャツを着てくれいるT先生親子😅。


室内を見渡すと棚には


夥しい書物


ソレを見た途端に私は


高校の国語科教員室みたいだ!


と思わず声に出してしまいました。


私が朗読の講師を勤めている事を知っているT先生は

アレコレと資料や書物を私に見せます。


幸い住むと人のいふ


あカールブッセ


フランスのルオー爺さんのようにね


茨木のり子


などと、詩の一フレーズを口にしただけで、瞬時に作者の名前が出てくる


高校3年間なんて、57歳に達した今からすると


ほんの一瞬の月日


しかし、T先生との出会いにより


演劇への扉が開かれ

言葉の持つ大切な意味を知る


と後々の私に大いなる影響をもたらしていただきました。


かつて40代の教師

かつて10代の生徒


今や


80代と50代


そんな二人が、この度は


まるで国語の授業を受けていたあの日

演劇に心血をそそいだあの日


歳はとったが


あの日に戻った、戻れた様な気持ちになれました。


T先生は残りの寿命を


あと1000日


という目標をかかげ


逝くそのときは


我が人生に悔いなし

じゃーまたね!


という事に決めているとの事



帰り際のハグ


私は、鼻の奥がツンとして涙声になるのをこらえ


では、あと1000日の寿命に際して、その1000日が

より充実したものである様にお手伝いしますニヤリ


と言いました。


私が二十代後半の時に大腿骨骨頭壊死発症


2年弱


途方に暮れ

もがき苦しみ

まったくどうしてよいかわからない


ビッコになった脚を、人に見せたく無いし自分でも

見たく無い


そんな矢先の占い館からのスカウト


こんな姿でも人前に出なくてはならないのだったら?


と思索し、敢えて不自由な身体で舞踏という手段で、人前に破行を晒して、己の真実を受け入れようという意図で決行した


モリノスパフォーマンス第一回目


新宿の某ビルの屋上で開催したイベントの時に、T先生は

ソレを観に来てくれました。


パフォーマンスが終了し、T先生の姿をみつけた当時の私は、T先生にハグというより、しがみつき


ものすごく辛かった


と泣きながらT先生の耳元に言った事を、T先生は


覚えていました。


以来の私の暗躍(活躍ともいう?)数々を、しょっちゅう会うわけではないのに、遠くから応援し見守り心配してくれています。


教師という職業は


そういうものです。


私の人生においての宝とは


本物の教師に出逢えた事です。