先日
奇蹟のカンパネラ
魂のピアニスト
と評された
※イメージ画像
フジコヘミングが鬼籍に入られたと報道で知って以来
私が持っている、フジコヘミングのCDを聴き、残されているドキュメンタリー動画などを連日見ています。
私が謎に占い師としてブレイクじみた時と、話題になったのが
フジコヘミングが弾く
ラ・カンパネラ
及び最初のCDが爆発的に人気なった頃と、やや近い時期です。
当時、セッションにお越しいただいたお客様からも、口々に、フジコヘミングのピアノが素晴らしいと言っていた事を思い出します。
私は3度フジコヘミングとの小さい接触があったのですが、1度目は若い頃、俳優養成所の研究生だった頃、劇場案内のアルバイトで上野の森の音楽堂だったと思います。何故か皆が敬遠していて、渋々とクラシックの事など知らぬ私が楽屋係になりました。係といっても控室の前で基本立っているだけの仕事なのですが、その時に
機嫌の悪そうな薄汚い外人のおばさん
が室内にいて物憂げにブツブツ言っていて、若き日の私は
怖そうな人だな
と緊張したものです。
その演奏者が後々フジコヘミングだったと知ったのは
彼女が有名になった時の事です。
2回目は、流行りに流行っていたのでソロコンサートを
聴きに行った時の事、コンサートピアノの前に現れたのが
異形のお婆さん
気怠そうに椅子に腰掛けてイキナリまるで
機関銃の様な楽曲を奏ではじめました。
いいかわるいかではなく
高齢者が息も乱さず、鍵盤を叩きまくる様子に
驚愕と感動をしました。
コンサートが終わり劇場を後にすると、先ほどまで舞台にいたフジコヘミングが野外にいて、私を見るなり、絹を裂いた様な声だがゆっくりと
あなた、猫飼っているのね、服見たらそう思うわ
と言います、当時は自宅に2匹の猫がいたので、私の着る服には、頓着しないので着る服にはだいたい猫の毛がついていました。
3回目は、フジコヘミングとヨーロッパのベラルーシ交響楽団との共演、ドアオープンを待ちながら劇場側のカフェで友人とお喋りしていたら、まるで海女の様な格好をしたフジコヘミングが、劇場に向かって
疾風の様に走っている
姿を目撃
外でウロウロしかも走ってる
フジコヘミングを見て、
開演30分前なのに一体何をしているのだろうと
不思議にもなりハラハラとしたものです。
以来、他のピアニストのカンパネラをソチコチで聴く機会がありましたが
皆、苦しそうに、汗だくで演奏
そして音色はパキパキしていて速い
が
フジコヘミングのカンパネラは
ガンガン鍵盤叩いているのにゆったりしている
今、私が思うに、フジコヘミングの演奏は
現代の弾き方ではなく
リストが作曲した1838年の時代は
速弾きでありながらも、フジコヘミングが演奏する
様な雰囲気を醸していたのではないか?
と思い、老齢の私としては、若きピアニストの譜面をキチンと踏んだカンパネラより
なぜかほの懐かしい様な気持ちになれるのが
フジコヘミングが表現するカンパネラだなと、思ったのでした。
60代から脚光を浴びて90歳過ぎても尚、ピアノを弾き続けるという事は至難の業。
しかし、きっとフジコヘミングは
私がピアノ弾かなきゃ猫の餌代に困るのよ
とか言いそうだなと
故フジコヘミングを偲んだのでした。