2017年3月24日、金曜日、私は落合の事務所で仕事をして最後のお客様をお見送りした後に着信アリ・・・。長年にわたり御夫婦共に親しくさせていただいている

格闘家黒澤浩樹選手

からでした。黒澤選手は私が2016年の2月に人工関節置換術のオペをしてからは、キツいリハビリ生活を送っていた当時の私を心配してくださりいつもにも増して頻繁に電話をいただき、励ましてくれたり心配してくれたり、リハビリに根を上げて泣きの入った私を笑わせてもくれました。
黒澤選手も私の後に、空手、格闘道を極めるため長年傷めていた膝を大手術され御自身も極ストイックなリハビリをされていました。お互いに忙しい生活、しかしソノ日の電話での会話は

久しぶりに、黒澤選手御夫婦と私三人で会って食事でもしょう、いつかはなんて言っていたら日にちが決まらないので明日にしよう!と翌日に会う約束をしていました。

その翌日、黒澤選手夫妻に夜に会えるとワクワクとしていた夕刻、彼の奥様弘美さんから着信アリ・・・。私は待ち合わせ時間の変更かな?と思い気楽にスマホに耳をあてたら、

黒澤選手が死んだ

との知らせでした。
夜に私に会うために、私を喜ばすために道場から自宅に向かい、自宅に置いてあった私にと思いついた贈り物を取りに行った時に倒れたとの事。

自宅での変死(?)と判断をされたため亡骸が警察に運ばれて死因を特定(?)するために解剖されると聞き、頭も真っ白になりながら、警察に向かいました。警察の一室には弘美さんがいて、突然すぎる展開に二人とも茫然としていました。二人で検察官(?)の説明を聞いても虚ろで生返事、とにかく解剖する事だけは理解したのですが、白衣を着た検察官(?)は医師に見え黒澤選手を蘇生させてくれるのでは?と錯覚してしまいました。

長い時間が経過され、シートに覆われた黒澤選手と対面

「モリノス先生!ウヒャヒャ〜!」

とイタズラが好きな黒澤選手の事だから、パチッと目を開けてビックリさせるのでは?と思うくらいまるで狸寝入りをしている様な顔でした。

しかし彼の顔を触ると

氷の様に冷たい・・・。

昨日笑って話して今日会うはずだった人が?

イキナリすぎて涙もでませんでした。

急すぎる事ではあるけれども、色々な手続きが妻である弘美さんには待っていて悲しむ間も無く、都内の霊安室に黒澤選手は運ばれました。

生前、黒澤夫妻と私は自分達は子供もいないで年を重ねていくのだから、モリノス先生も独りだし老後は三人で住んだら楽しいね、などと本気でじやーどこに住もうかと談義したり、奇しくも三人のうちの誰かが先に死んだらこうしょうなどと、話していた事もあり、生前の黒澤選手の意向を思い、私と弘美さん、そして黒澤選手の極親しい方にだけ訃報をお知らせしました。

納棺の時には私と弘美さんだけで、赤い花を赤コーナーに青い花を青コーナーにみたて棺桶に納め、道着姿の黒澤選手の遺体の胸にはグローブを添えて出棺し、道場の先輩方、生徒達と骨を拾いました。

黒澤選手が召されてもうすぐ三回忌を迎えます。

亡くなった直後はマスコミや、自称黒澤選手とはかなり親しかったというか輩がおしよせ、彼の交流関係を熟知している私と弘美さんは、

貴方達の事など知らないし、黒澤選手ともそんなに仲良くなかった筈なのに?と眉根を寄せただけでなく、無配慮に押し寄せて来る輩に憤るより傷ついてしまいました。

あらんことに、SNSなどでは、彼の根拠のないゴシップとかスキャンダルの嵐な書き込みを読んだ時には、そんなものは気にしなくともよいのに、
あまりにも事実でも真実でもないコメントには
故人の尊厳を汚して一体何をしたいのか?と呆れ帰りました。

黒澤選手は生前よく私に言ってくれていました。

「モリノス先生?俺もモリノス先生と読んでるけど、モリノス先生?俺と喋る時はいつだって敬語じゃないですか、モリノス、黒澤って呼び捨てにしましょうよ、長い付き合いなんだから堅苦しい事やめましょうよ」

と仰っていました。

普段人に気を使い敬語が習い性になっている私はこの彼の一言がまるで私の普段の生活の核心を突かれた様な気がしたものです。私が黒澤選手(私が選手と呼ぶのは生涯現役のファイターだと思っているからです)。

黒澤選手が亡くなって以来、私は定期的に彼の残した未だに



黒澤イズム

を継承している

聖心館空手道

の道場に通っています。
彼の魂が充満する空間で、道場に祀られた祭壇に手を合わせ、

格闘の神様になった黒澤選手と対話し、弘美さんと故人との思い出話をしては、笑ったり泣いたりし、道場生の皆様の稽古を見学しては黒澤選手から稽古をつけられた皆様の姿に黒澤選手の姿を探しています。

亡くなった当初に比べると、世間の彼に対する誹謗中傷も下火になりましたので、暴露めいてはいますが、当時は言いたいことを我慢していましたが、今なら私が知ってる真実をお話ししてもよいかと思い書かせていただきました。

黒澤選手は私にとって兄
奥様の弘美さんは姉

の様な存在です。

私も黒澤選手が亡くなった時の年齢に近づいてきました。

もう少し年を重ね、私にお迎えが来てあの世で黒澤選手と再会したら、

私は浩樹兄貴と呼び
モリノスおそかったじゃないか

と、肩を叩き合ってふざけたり、生前のお互いの苦労話など分かち合いたい会いたいと思っています。

なにより嬉しかった事は、軟弱で得体の知れない私をいつもいつも黒澤選手は思ってくれていた事です。

黒澤選手は試合には出ていませんでしたが、膝の手術の後の私より過酷なリハビリという戦いを毎日繰り広げていました。亡くなる最後の最後まで
戦っていた黒澤選手をおこがましいですが、

親友として誇りに思います。