2025年10月20日(月)雨のち曇り☔

 

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明倫学舎は本館だけじゃなくて、周辺にも市指定の文化財がたくさんあります!


 

 南門(市指定有形文化財)



新明倫館の正門として建てられた。藩主が聖廟を拝する春秋の「釈菜(孔子祭)」や公式行事以外は開かれなかった。本願寺山口別院に移され正門となっていたが、寄付され平成16年(2004年)に元の位置に移築された。

 

 

毛利家の家紋 一文字三星紋(いちもんじみつぼしもん)




毛利家の家紋として最も多く使われ、一番有名な家紋。
毛利家の先祖である大江広元が使っていた家紋でもあり、一品の位を持つ阿保親王の末裔であったことから図案化。

「一品」とは律令制での最高の位。
「3つの黒丸」は、オリオン座の中央にある3つの星のことで、上から「大将軍星」「左将軍星」「右将軍星」といい、3つ合わせて「三武星」や「将軍星」と呼ばれ、この3つは武神をあらわしており、古くから武家の間で信仰され、武家の家紋として多く使われていた。

 

皇族であるという「格式」と「武」の両方を併せ持つ家紋である!!!!✨

 

 

 聖賢堂(市指定有形文化財)



聖廟前、観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構。

両塾を合わせて一棟とし東田町の阿呼社境内に移築されていたが、大正7年(1918年)に再び現在の位置に移された。

建物は切妻造り、起り屋根桟瓦葦で、桁行7.68m、梁間2.86m。

外観には南側に4か所、西側に2か所の火燈窓があり、北側には後ろに庇をつけた入口が設けられている。

内部は畳敷き10畳半と板敷き1畳半があり、当時は聖廟で行う釈祭(孔子の祭り)の道具などを収めたり、その準備に使ったところでもある。

 

 

 水連池(国指定史跡)



藩政時代、遊泳術や水中騎馬が行われた。東西39.5m、南北15.5m、深さは1.5mあり、周囲を安山岩の切石で築いている。

藩政時代はここで、遊泳術並びに水中騎馬の訓練が行われた。

藩校の水練池でわが国に現存する唯一のものである。




横にある明倫小学校の校舎は木造で瓦葺

今の小学校ではなかなか見れない構造ですし、しっかりの子供達のプライバシーを守るように木の柵がしてあるのも良いなと思いました!


こんな所で勉強できたら、頭良くなった気分になれそうです😂😂😂



それではまだまだ萩旅行続きます!

 


では~🫧