2026年9月11日(金)曇り☁️


ここでは文化センターと色々なサイトで見た資料をもとに

私なりにまとめてみたウルルの歴史についてです。

何か参考にあれば幸いです!


※主語である私たちはウルルに住んでいる先住民族のことを指す。


 年表まとめ


◯探検家の到達(1870年代)

|アーネスト・ジャイルズやウィリアム・ゴスが訪れ、

|「エアーズロック」等と命名。

|

◯先住民保護区の指定(1920年)

|オーストラリア政府により

|地域一帯が先住民のための保護区に指定される。

|

◯ピランパからの避難(1930年代)

|牧場の進出で食料が激減。警察との対立や過酷な弾圧により

|アナングに強い恐怖が広がる。

|

◯ 国立公園の創設(1958年)

|国立公園となり、滑走路やモーテルが建設される。

|

◯エアーズロック・リゾートの開業1983〜1984年)

|被害を抑えるために、公園外にエアーズロック・リゾートが開業し、

|公園内のモーテルは閉業される。

|

◯ アボリジニ土地権利法の制定(1976年)

|法律に基づき、自分たちの土地に対する権利を

|正式に主張できるようになる。

|
◯伝統的所有者の認定(1979年)
|裁判所により、104人の伝統的所有者が
|ウルルに対する権利を有していると正式に認められる。
|
◯所有権の返還(ハンドバック)(1985年10月26日)
|オーストラリア連邦政府から所有権が与えられ、
|土地が正式にアナングへ返還される。 
|
◯ユネスコ世界遺産の登録(1987年)
|ウルル・カタジュタ国立公園の自然価値は
|ユネスコ世界遺産リストに登録された際に認められた。
|
◯文化センターの開設(1995年)
|
◯ウルルの登山禁止(2017年11月)
|取締役会は完全一致で2019年10月からウルルの登山を禁止
|することを投票で決定した。
|
◯ウルルの永久閉鎖(2019年10月26日)
|政府が正式に土地をアナングに返還してから
|正確に34年後に永久閉鎖された。




 ウルルの歴史:どのようにしてこの聖地を守ってきたのか


私たちアナング(Anangu)にとって、ウルルは単なる観光地や大きな岩ではありません。数万年の昔から、祖先である精霊たち(チュクリッチャ)から受け継いできた大切な聖地であり、私たちの生き方そのものです。

しかし、外の世界から「ピランパ(白人)」がやってきてからの100年余りは、私たちにとって激動の歴史でした。


ピランパ(白人)との出会いと交換貿易

探検家であるErnest GilesとWilliam Gosseは、カタ・ジュタとウルルを最初に目にした白人(ピランパ)です。

彼らはそれらをオルガ山(Mt Olga)およびエアーズロック(Ayers Rock)と名付けました。




私たちが最初に経験したピランパとの接触は、宣教師、先住民福祉巡回官、探鉱者、冒険者たちでした。

私たちは金を探しに来たピランパとディンゴの毛皮を、食料や工具、衣服と交換して過ごしていました。

私たちの中には、ラセター(Lasseter)が金を探しに来たときのことを今でも覚えている者がいます。




なんでオルガ山とエアーズロックって名前をつけたの?

 エアーズロック(Ayers Rock)の由来

  • 命名した人:ウィリアム・ゴス(William Gosse)

  • 命名の年:1873年
  • 経緯:1873年7月、探検家ウィリアム・ゴスが南オーストラリア政府の探検隊を率いてこの地域を調査していた際、巨大な赤色の一枚岩を目にし、当時の上司・権力者であったヘンリー・エアーズ首相への敬意を表して「エアーズロック」と命名しました。


オルガ山(Mount Olga)の由来

  • 命名した人:アーネスト・ジャイルズ(Ernest Giles)

  • 命名の年:1872年

  • 経緯:アーネスト・ジャイルズが1872年に遠方からカタ・ジュタの岩群を目撃し、遠征のパトロン(支援者)であった植物学者フェルディナント・フォン・ミュラー男爵の助言に従って命名しました。ミュラー男爵は、ロシア皇帝ニコライ1世の娘でありヴュルテンベルク王妃となったオルガ王妃(Queen Olga of Württemberg)から支援を受けており、彼女への敬意として最高峰に「オルガ山(Mount Olga)」と名付けました(全体は「The Olgas」とも呼ばれました)。


現在の正式名称はどっち?

伝統的な所有者である先住民アナングの権利復権に伴い、

二重名称法(Dual Naming Policy)を経て、

現在はアナングの本来の呼び名が先頭に来る正式名称となっています。

  • エアーズロック → ウルル / エアーズロック(Uluru / Ayers Rock)


  • オルガ山 → カタ・ジュタ / オルガ山(Kata Tjuta / Mount Olga)


確かに現在では二重名称法が認められてはいますが

今でも継続して白人たちが勝手につけた名前を使用しているって

現地の方々はどう思っているのかな、、、なんて考えたりします、、。



困難と苦難の時代(1930年代〜)

1930年代になると、牧場主たちがこの地域で牛の放牧を開始しました。

私たちの食料源は失われ、警察の巡回が頻繁になるにつれて、対立が増加。

私たちの仲間の中には、首に鎖を巻かれ、足枷をはめられて連れ去られた者もいました。


パディ・ウルル(Paddy Uluru)の兄弟がウルルで警察官に撃たれたとき、

私たちはピランパを非常に恐れるようになり、深刻な日照りも重なったため、多くの仲間が食料や水を求めて伝道所(ミッション)や牧場へと避難し、この地域を離れ猿を得なくなりました。


ウルルって名前はどこから来たの?

「パディ・ウルルの兄弟」という名前を見た時に

この人たちがウルルの名付け親なの?と思ったのですが

調べてみる限り住民アナングの言葉(ピチャンチャチャラ語/ヤンクニチャチャラ語)に由来し、場所の固有名詞であるということがわかりました。


ただアナングの伝統では、特定の土地や聖地と強い結びつきを持つ人々が

その場所の名前を自分たちの名として持つことがあります。

なので今回の「パディ・ウルル兄弟」のように

土地の名前が人物の名前(家系)としても使用されることがあるそうです。



観光地化と聖地の被害(1940〜1980年代)

1948年に未舗装の道路によって観光客がウルルに一気に訪れるようになり、

1958年にはここに国立公園を創設し、滑走路を建設することが決定されました。その後、モーテルも建てられた。


公園が人気のある観光地になるにつれて、大切な環境や聖地に被害が生じ始めます。

被害を抑えるため、1983年にエアーズロック・リゾートが開業し、

1984年には公園内のモーテルが閉鎖された。



土地を取り戻すための闘い(1970〜1985年)


1970年代、多くのアナングがウルルで暮らすために戻り

私たちのリーダーたちは、土地との文化的繋がりが確実に保護されるように長期的な交渉プロセスを開始しました。


1976年の『アボリジニ土地権利(ノーザンテリトリー)法』により、

私たちが土地に対する権利を主張することが可能になりました。


1979年、土地主張委員のトゥーヒ裁判官は、104人の伝統的所有者がウルル、57人がカタ・ジュタの権利を有していると正式に認めました。


1982年、ノーザンテリトリー政府は、ウルルとカタ・ジュタの所有権を10年間の包括的パッケージ交渉の一部として提供しようとしましたが、

ノーザンテリトリーの他のアボリジニにとって利益にならないと考えられたため、私たちはこの提案を拒否しました。

最終的に1985年、オーストラリア連邦政府は私たちに土地の所有権を与えることに同意し、

1985年10月26日の公開式典にて、ウルル・カタ・ジュタ土地トラストに譲渡不可能な無償開拓権(所有権)が与えられました。



出典:National museum Australia

National museum Australia



ウルルの登山禁止

アナングは、ウルルに登ることはチュクルパ(Tjukurupa)の違反であると常に信じてきました。




チュクルパ(Tjukurupa)とは?
こちらの記でぜひ確認してください〜👀✨


ウルル上りの観光ルートは、先祖のマラ族の男性がウルルに到着した際に通った伝統的な道の路線に沿っていました。
ウィリアム・ゴスはおそらくウルルに登った最初のヨーロッパ人であったと考えられますが、最初に記録された登頂は1936年。

岩を登る人数は徐々に増加し、死亡者数が増加した結果、

1966年に登山の一部に鎖が設置されました。

さらに1976年にチェーンを拡張するなど、変更が行われたが

伝統的な所有者との協議は行われませんでした。


長年にわたり、ウルル登山で37人が命を失い、

数千人の来訪者の存在が浸食を引き起こし、ウルルの上部に残された人間の排泄物やゴミが下流の水路へと流れ落ちました。岩に生息するシードエビ(オタマジャクシ)は、歩行者に踏みつけられ、

絶滅の危険をほぼ追い込まれました。

最も重要なのは、ウルルはアナングにとって神聖な場所であるということです。


2017年11月、取締役会は全会一致で2019年10月から登山を禁止することを投票で決定しました。
ウルル登山は、2019年10月26日にウルルでの式典の後

政府が正式に土地をアナングに返還したのから正確に34年後に、永久に閉鎖されました。


共に守り、伝える「共同管理」の今

現在、ウルル=カタ・ジュタ国立公園は、私たちアナングと政府(非先住民)が共に話し合う「共同管理(Joint management)」という形で運営されています。


理事会では、アナング(男性4名・女性4名)と非先住民(4名)が対等に座り、伝統的な風よけ(yuu)のように公園を取り囲んで、文化や環境、訪問者を守る決断を下しています。


文化センターやガイド付きウォークを通じて、私たちは自分たちの法律である「チュクルパ」や土地への敬意を訪問者に伝えています。



 「世界遺産」としてのウルル(自然と文化のダブル評価)

ウルル=カタ・ジュタ国立公園は、世界でも珍しい「複合的な価値」を持つ世界遺産。

  • 自然遺産として(1987年登録):地球の歴史を物語る独特な地質プロセスや、美しい自然美が評価された

  • 文化遺産として(1994年追加登録):人間と自然環境が調和して作り上げた「文化的景観(Cultural Landscape)」として認められた


先住民アナング(地元のアボリジニ)の人々にとって、この土地は単なる景色ではなく

生活の規範や信仰の根幹となる「チュクルパ(Tjukurpa)」そのもの。



ウルルは世界一大きい岩じゃない?!

私は恥ずかしながらウルルにいく前はウルルが世界の中心であり

ウルルが世界で一番大きい1枚の岩だと思っていました。


ただ実際は世界で2番目(※諸説あり)

世界で一番大きい1枚の岩はオーストラリアの西オーストラリア州にある

「バリングラ(マウント・オーガスタス)」なんだとか。


出典:ウィキペディア


バリングラとウルルを比較してみるとこんな感じ👇

バリングラ

⚫︎底面積:4,795ha

⚫︎比高:858m

⚫︎標高:1,105m

ウルル

⚫︎底面積:333ha(東京ドーム約71個分)

⚫︎比高:335m

⚫︎標高:868m


そうこの数字をみると雲泥の差というのがわかる、、、。

バリングラはウルルの約2.5倍以上と言われている。

しかし私たちが見えているウルルは巨大な氷山の一角に過ぎないと言われているので

地下深く5〜6mまでは巨大な岩盤が続いているとか。


世界のおへそって、、?

地図で見ると地図で見ると一目瞭然ですが、

ウルルは広大なオーストラリア大陸のほぼ中央

(内陸の乾燥地帯「レッドセンター」と呼ばれる地域)に位置しています。

身体の中心にある「おへそ」と同じように、「オーストラリア(あるいは地球)の中心にある存在」という意味を込めて比喩的にそう呼ばれるようになりました。

さらにウルルの周りは見渡す限り見渡せる平坦な赤土の砂漠地帯。

その遮るものが何もない大地のど真ん中に、

ポッコリと巨大な岩が飛び出している姿が

まさに「人間のおへそ」のように見えることから例えられていると言われています。


じゃあこれはデベソってことですね、、、?笑



次の記事ではウルルの自然と生き物たちについてまとめようと思います〜🐍



では〜🫧