2019年4月30日(火)晴れ☀️



歩いていたらたまたま見つけたのは




蔚山東軒
(울산동헌/ウルサントンホン)




蔚山東軒は1997年10月9日に、蔚山広域市の有形文化財第1号に指定されました。


チーン郡衙ってなに?チーン
簡単に言えば役所です!

群の官人(群司)が政務を執った役所である。





駕鶴樓

(가학루/カハクル)






まず東軒に入る前の一番最初にあるこの門は

駕鶴樓と言います。


駕鶴樓は緊急状況などを伝える機能、また蔚山都護府の内衙の正門(南門)として使われていました。



チーン都護府ってなに?チーン

簡単に言えば 警備員さん!
みたいなものです👮🏻‍♂️

中国の漢、唐王朝の時代に、辺境警備・周辺諸民族統治などのために置かれた軍事機関。







駕鶴樓はいつ造られたかは不明ですが、「古文献」の記録によれば1600年代にも存在したと書かれています。

文献資料によると1847年に壊れる危険があったため、全て取り壊し1859年都護府使のイチョンイクがもう一度修復したが、日本植民地時代である1930年代に焼失して消えてしまいました。




1981年再び駕鶴樓を建てましたが、原型と違うことから2013年ソウル大学の博物館に貯蔵されていた日本植民地時代の駕鶴樓の写真を元にまた復元作業が進められ、今の姿になりました。






確かに説明文と乗ってる白黒の写真と
私が撮った写真の駕鶴樓は
とても似てますよね!!デレデレ









それでは中に入ってみましょう!





ここは내아(ネア)と言われ 内衙のことです


中はこんな風になっています。





チーン内衙ってなに?チーン
内衙とは地方官たちが生活する場所です








これが동헌(トンホン)と言われ東軒です





チーン東軒ってなに?チーン
地方官たちが政務を執っていた建物のことです。
先程説明した地方官たちが生活をする
「内衙」の東側にあることから、東側と呼ぶようになりました。


東軒は日本植民地時代には郡庁の会議室として、使用されたようです。






これが오송정(オソンジョン)と言われます。



오송정(オソンジョン)も내아(内衙)と同様に
生活する家として使われていました。








これは孝子 ソンドさんの碑と
蔚山に赴任した府使たちの功徳を称える石碑が、建てられています。









たまたま見つけた建物が こんなに歴史あるものだとは知らなかったのと
また日本と関連のある建物だったということに とても驚いたと同時に
見ることができてよかったと思いました。






私がここを見学して 一番気になったのは

日本はなぜ駕鶴樓を焼失させたのか

ということです。




今の東軒はおじいちゃんの溜まり場になっていて、きちんと説明を読まなければ 何も分かりませんでした。
こういう所で 韓国語を勉強していてよかったなと実感できます。








それでは〜🐰