先月、叔父が亡くなり 83歳の誕生日を祝った3日後の事だったようです。
私の父の 長兄で 男4人、女一人の5人兄妹弟の長男。
兄弟の一番上…って事で、 私が子供の頃から 温厚で 沈着で
4人の男兄弟の中でも 一番どっしりしたような人でした。
近年は 持病のパーキンソンを患ってはいたけど
まあ、 『叔父さんも歳とったなー』 って感じるものの
急激な悪化も無かったようで 普通に暮らしていました。
亡くなった日も 趣味の書道をやっていたそうで
墨を擦り、 指にも墨が付いていたそうです。
夜になり 『胸が苦しい』 との事で 病院に行くと 肺炎の診断で
そのまま入院し、 その夜に亡くなったそうです。
葬儀場の小さな部屋には 叔父の手による 書の お軸が左右の壁に 何服も 掛かってました。
裁判所に書記官を勤めた叔父で、息子も公務員ですので
もっと多い弔いがあっても不思議じゃないのだけど
弔問客も少なく
叔母が その葬儀の小ささの理由を 親族に見せました。
叔父のペン書きで
『新聞の死亡広告は出さない事。
葬儀は簡素にする事。
早急に連絡する場所。
連絡しなくてもよい箇所』
のような 走り書きのメモでした。
最後の方は 字が乱れていたので
多分、 胸が苦しくなり始めて 書いたらしいとの 事。
それとは別に 数年前に書いた これは 和紙に得意の 書道で
黒々と書かれた
『尊厳死宣言書』
・ 私の持病が悪化し、私の意思確認 (脳死状態や、植物状態) 出来ない状態に なった時
いたずらに 延命の行為をされることは拒否します。
・ ただ、 私の 痛みや苦痛を取り除く治療は 施してもらえるように
お願いします。
・ それにより、私の生命が 短くなっても
すべて自分の責任の元に 宣言します。
のような事が書かれてあり 日付、署名、捺印 が したためられていました。
はぁ~~~~~~~
さすが 叔父さんらしいね
と 感心。。。。。。



喪主の従兄弟も、 『あっぱれ』 な人生だったのではないか…と
謝辞を述べ
棺に 『あっぱれ』 の扇子を飾ってました
ほんと。。。。
お見事な!!! 死にっぷり!!!!
こう、 『逝きたい』 (生きたい)…もんです
生きることと 死ぬことは 人の 営み。。
どちらも避けては通れないし いつまでも生きてなんか いやだし。
せめて 生きてられるうちには 精一杯




そして死ぬ時は その叔父みたいに あっさりと





オットも 今、保険の仕事をしているので
60歳とかくらいになれば 5年ごと くらいに
『エンディングノート』 を 書こう
と 言っています。
子供も居ないし、口づてに伝える事も 出来ないから
私も、賛成だったけど
ますます身に染みた 叔父の死にっぷりでした。
とりあえず
座右の銘




つよく



やさしく



うつくしく




で、
今年も 生きてまいります