映画『沈黙-サイレンス』 | お気楽マーニャのブログ

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WOWOWで視聴。遠藤周作が、1966年に、書き下ろした小説『沈黙』をマーティン・スコセッシが2016年に映画化した作品。『沈黙』は、遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。内容は、江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を描いたもの。何十年も前、大学時代に小説は読んだけれど、キリシタン弾圧の非情さだけ覚えていて、詳しい内容は忘れている。けれど、映画は観たいと思っていた。素晴らしい映画だった。脚本も納得がいくし、俳優もカメラワークも素晴らしい。二時間半引き込まれて、あっという間だった。私は無宗教なので、本当の信仰心は理解出来ない。お寺に行くのは大好きだし、一応仏教徒だけれど、その日の気分で教会に行って、神様に心の中で感謝したり、お願いをしたりもする。クリスマスもバレンタインデーも欠かせない。信仰心はないけれど、宇宙のどこかに偉大な神が一人いて、地球上の全ての生き物を創造し、地球上で起きる全てのことを把握し、采配しているとも思っている。その神は、仏教も、キリスト教もイスラム教も、全ての宗教を超えた存在。どんな神を信じるかは、人それぞれ。それを誰も止められないし、非難することも出来ないはず。江戸時代初期、日本でキリシタンが弾圧されたのも、幕府が本当にキリスト教を憎んだのではなく、国民を統治するのに、人を惹き付ける宗教家が権力を持つのを恐れたから(多分)。弾圧の方法は残酷極まりないが、マーティン・スコセッシは親日家だからか、弾圧する日本人の方にも人間味を持たす。五島列島に布教に来た神父に日本の現状を説明し、粘り強く棄教を諭す長崎奉行のイッセー尾形。日本人のキリシタンを処刑から救うために、神父に、形だけでいいからと、踏み絵(キリストが描かれた板を足で踏み、キリシタンではないことを証明すること)をするように優しく促す通訳の浅野忠信。決められた仕事として処刑をする方も痛みを伴う。神父は、最後にキリストの声を聞く。踏みなさい、と。本当にキリストの声が聞こえたのか。それとも、自分が聞きたい言葉を聞こえたと、己を騙したのか。神父は捕まったキリシタンの命を救うために踏み絵をし、自分も生きて行くために、棄教を宣言して、日本人として生涯を終える。しかし、心の中には最後までキリストがいた。人間がどんなに苦悩している時も、神は沈黙している。しかし、何かここは見逃せない、と思った時はシグナルを送ってくるこのでは?私は漠然と輪廻転生を信じているので、心が清らかで、優しい人が事故や病気で若くして亡くなっても、何か意味があるのだろうと思っている。そう思わなければやりきれないからかもしれないけれど。瀬戸内寂聴さんが、信者さんから、あの世はありますか?と問われて、私は死んだことがないのでわかりません!、と答えているのをテレビで見た。映画のなかで、隠れキリシタンが、神父に、死んで天国に行けば、苦しみも悲しいこともないのですね、と問い詰める。神父はイエスと答える。出演の神父役、アンドリュー・ガーフィールドが素晴らしい。『アメイジング・スパイダーマン』に出た人らしいけれど、観てないので、私には彼が神父そのものに見えた。キリシタンでありながら、躊躇いもなく踏み絵をして生き延びる漁師に窪塚洋介。お金欲しさに密告して役人に神父を売る。しかし、良心の呵責から、神父に赦しを求めて神父の側を離れない。久々に画面で見たけど、いい役者さんだわねー。浅野忠信は、どう見ても人の良さそうなお顔だからホッとする。この映画での演技は可もなく不可もなく。残酷さも慈悲深さも合わせ持つ長崎奉行役のイッセイ尾形。軽すぎる。ひとり芝居の時ののりと同じに見える。でも存在感はさすが。重すぎて当分は観たくない映画だけど、何年か後もう一度観たい。素晴らしい映画に仕上がって、遠藤周作さんも喜んでいらっしゃるのではないかしら?一度だけ、仕事で遠藤氏とお話しする機会に恵まれた。内容は、絵画について。紳士的で、知的でダンディーな方だった。原作ももう一度読まねば!