映画、海でのはなし。 | お気楽マーニャのブログ

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脚本、監督、大宮エリー。スピッツの音楽から生まれた小さなラブストーリー、という宣伝文句にひかれてオンデマンドで視聴。軽い恋愛ものかしら?と観はじめたら、とんでもない、人間の業を描いた重い重い作品。台詞、ひとつひとつが哲学的で、安易に聞き流せないのに、全編スピッツの歌が音量大きく流れて邪魔をする。作品の内容と、スピッツの歌がひとつのビンに入った水と油のようで、何度馴染ませようと振っても分離してしまう。私もスピッツの歌は大好きだし、内容も哲学的だと思うけど、この映画とは違うなーと感じてしまった。             ある日、一人娘の宮崎 あおいは、  父親(勝野洋)の浮気に気がついてしまう。父親がトイレの中まで携帯を持って入り、会話の最後におやすみのチューを言っているのを聞いてしまったのだ。浮気してるでしょ!と問い詰めても、空耳だよ!仕事の電話だよ!と父親はとぼける。

母親に告げ口しても、お父さんがそんなことしないわよ、私も女だから判るわよ、と取り合わない。母親役の毬谷友子、懐かしい❗

釈然としないまま、不安な気持ちを友人の西島秀俊にぶつける。彼は、大学で物理を教えている非常勤講師。

あり得ないよー、あんな武骨な人がそんな事いえないよ、浮気出来るなんて思えないなー、と彼にも否定されてしまう。

しかし、ある日家に帰ると、真っ暗な部屋の中で母親が泣いていた。やっぱり、浮気していた。おまけに高校生の息子もいるらしい。あなたの弟よ。と母親に言われて、愕然とするあおい。お父さんに抗議しようよ!と母親に詰め寄るが、母親は、私たちは言える立場ではないのよ、と意外なことを言う。実はずっと隠していたけれど、私は正式な妻ではない、籍は入っていないのよ、と告白されてしまう。お父さんには奥さんがいて、その人とは別に女の人も子供もいたのよ、と残酷なことを言う。自分は私生児で、父親とは名字が違うという真実を信じられないあおい。父親に認知されていても、自分は恥ずかしい存在だと嘆く。深く傷付いて、深夜西島を呼び出し、生まれた時から自分は存在自体が間違っていた、と苦しい胸の内を明かす。それは違う、人には境遇や生まれた経緯なんかを超越した核がある、人は誰でも生まれてきた意味がある、と慰める西島。あまりの寂しさから、あおいは、西島に、抱きしめて!、私は好きなの、と懇願するが、西島は答えてくれない。ごめん、好きだけど妹にしか思えない。嘘はつけないと西島。心なく抱きしめてしまうとかえって相手を傷付けてしまうことがわかっているのだ。淡々と、人と距離を置いて学問の中で生きている西島も、自分の両親のことで深く傷付いていた。才覚もないのに、株やいろんな事に手をだし、借金を重ねる父親。その父親を止めることも出来ず、助けることも出来ない母親は、苛立ちから精神のバランスを崩し、パチンコに入り浸っている。パチンコでお金を稼ぐと気が紛れるのよと、言い分けをする母親。ボクはお金は渡しているだろ?!、パチンコはもうやめてくれ!、と息子が頼んでも、私は死ぬ気でパチンコをしているのよ!、と母親は生活を改めない。バカな二人だと軽蔑しても、両親が心配で堪らない西島。母親を幸せにしたくて頑張っても、伝わらない虚しさに涙が溢れてくる。

    ラスト、残念ながらチープになっちゃうのよねーあせるあせる。勿体ない。監督は表現したい思いがハッキリとあるのに、どう落としどころを見つけたら良いのかわからなくなった感じがする。やっぱり監督第一作目だもんねー。(あくまでも個人的見解です、⤵⤵ゴメンナサイ)。最後に西島が、あおいを抱きしめたのは男女の愛情からではなく、自分があまりにも寂しくて、誰かに抱きしめて貰いたくて、彼女を抱き締めたのだと思う。そしてお互いの心の傷を慰め合いたかったのだ。  これは、観る人によっていろんな感じ方があるとおもうけど、、、。兎に角、西島秀俊が素晴らしい!人物にリアリティーがある。ひとつひとつの仕草や目線に嘘がない。深く優しく繊細。 彼の出演作のベスト5に入るんじゃないかしら?私的には、あと三作は、ドラマ、あすなろ白書。朝ドラ、純情きらり。映画、Dolls,ドールズ。あと一本は不明。映画、サヨナライツカ、はセクシー賞。宮崎あおいは、いつもながらの達者な職人芸(ゴメンナサイあせる)。でも嫌味なくかわいい。 二人の共通の友人に菊地凛子。出番は少ないのに、存在感は流石だわー。西島との微妙なやり取りが色っぽい  西島の台詞の中に、相対的、絶対的、パスカルの人間は考える葦である、という言葉が度々出てくる。ストーリーを追うのではなく、観た後、人間とは?生きる意味とは?をじっくり考えたくなる映画。観て良かったわ