佐伯市歴史資料館と国木田独歩館 | 猫にこばん キャンピングカーでごはん

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紹介していければいいなあ。と思っています。

 

こんばんは、mmm(まーママ)です。

 

12月24日(日)
佐伯城跡へ山登りした後は、
 
佐伯市歴史資料館
大分県佐伯市大手町1丁目2番25号
 
江戸時代を中心に、中世(平安時代末期~戦国時代)から近代初頭(西南戦争)までの歴史が紹介されている資料館です。
 
 

 

佐伯市歴史文化施設共通観覧券を購入しました。(一般500円)「佐伯市歴史資料館」、「城下町佐伯 国木田独歩館」、「佐伯市平和祈念館 やわらぎ」の三館を各一回観覧できます。(発行日より1年間有効)

 

 
 
戦国の城 栂牟礼城(とがむれじょう)
佐伯氏(さいきし)が築いた山城
 
 
 
豊後を牛耳っていた大神氏の一族の中に、あの方の名前を発見して喜ぶワタシ。やっぱりただ者じゃなかったと確信。
 
 
 
佐伯城の初代藩主 毛利高政
豊臣秀吉配下の大名。関ヶ原の戦いで西軍に加担したため、佐伯に転封となりました。
 

森氏から毛利氏へ

天正10年、豊臣秀吉が備中高松城を水攻めし、毛利輝元と対峙していたとき、織田信長が本能寺で明智光秀に攻撃され自刃したとの報が届きます。

秀吉は信長の死を隠し、急ぎ輝元と和睦、姫路に戻りました。

一説によると、この和睦の際、森勘八郎(のちの毛利高政)が毛利方の人質に入り、その折、「森」と「毛利」の読みが同じであるという理由で、毛利輝元のすすめにより、森から毛利に姓を変えたともいわれているそうです。

 

 
 
佐伯城の模型
 
 
 
西南戦争では、政府軍と西郷軍の激戦が繰り広げられたそうで、今でも台場の跡が多数残されているそうです。
 
 
 
遠くに見えるのが、朝から登山した佐伯城跡。

引き続き、城下町を散策します。

 

 

 

薬医門

 

 

 

お茶室 汲心亭

藩のお米蔵の跡

 

 

 
安井(あんせい)
この井戸は、藩医 今泉元甫が、飲料水に苦しむ城下西町の人々のために私財を投じて掘った三つの井戸のひとつです。
 
 
国木田独歩館
大分県佐伯市城下東町9-37
 
 
 
明治26年10月から明治27年6月まで、国木田独歩と弟・収二が下宿した坂本永年邸です。
 
 
 
8畳間は、国木田独歩が鶴谷学館に赴任していた8ヶ月間下宿していた部屋です。
 
 
 
気泡の入った窓ガラスは当時のものだそうです。
 
 
 
同行していた弟が過ごした3畳間。
 
 
 

 

明治の文豪・国木田独歩
 
明治26年、英語の教師としてやってきた独歩は、城山の下の坂本家に下宿して、わずか1年たらずの間に城山をはじめ佐伯の山野を歩き回り、後に佐伯を舞台にした「春の鳥」、「鹿狩」、「源おぢ」などの作品を残しました。