こんばんは、mmm(まーママ)です。
9月25日(土)
久しぶりに、長崎街道を旅します。
残っているのは、小倉側8宿と長崎の合計9宿。
まずは、こちらから。
■本町八坂神社
佐賀県鳥栖市本町1丁目867
八坂神社のある瓜生野町は、田代宿・轟木宿間のほぼ中間にあたります。
恵比須天・大黒天
鉄棒の奥にあった、
秋葉神社
さて、田代宿へと向かいましょう。
■田代外町追分石
佐賀県鳥栖市田代外町1488-2
追分石とは、街道が左右に分かれる所に建っている石(標柱)のこと。田代宿・西口の追分石からウォーキングスタートします。
右 さか、左 くるめ道 と、彫られているそうです。
田代宿は、とっても親切。足元に案内板があるので、
とってもわかりやすいんです。
外町恵比須堂
田代宿町本陣跡
■田代外町天満宮
佐賀県鳥栖市田代外町524
サロンパス工場の敷地の角を曲がったころに、
田代宿問屋場跡
人足、馬の継ぎ場です。こちらの向かい側が、
田代宿高札場跡
幕府の達しなどを告げる場所。
伊能忠敬測量基準点
小倉まで20里、長崎まで37里
田代宿上使屋跡
オランダ商館長や幕府の役人などが宿泊しました。
田代代官所跡
江戸時代、鳥栖市の東半分は対馬藩の飛地でした。対馬藩は田代領を治めるために代官所を設置し役人を派遣しました。
これは、初めて見ました
大きな石に彫られた、えびすさま。
文化14年の文字がありました。西暦1817年、江戸時代ですね。
まだまだ歩いて、
■田代八坂神社
佐賀県鳥栖市
伝田代代官所通用門
えびすさま。
■田代昌町 追分石
佐賀県鳥栖市田代昌町28
右 ひこ山、 左 こくら・はかた道の文字が刻まれています。
江戸時代、ここは長崎街道と日田・英彦山道の分岐点で田代宿の東口でした。
しばらく行くと足洗川があります。
田代宿に入る旅人が、ここで足を洗ったといわれています。
■長崎街道 田代宿■
田代宿(佐賀県鳥栖市)は、対馬藩の飛び地だった田代領の宿場で、北東の出入り口には日田彦山道へ分かれる道しるべとして追分石が置かれ、外町には、久留米道へ分かれる追分石が置かれていました。
次は、原田宿へ