お話会でのお話 | ☆ツインくるミラクルやってクル★【縁結び宇宙シンクロ夫婦】のブログ☆

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このブログは魂が望む相手との出会いや統合していくカップルに必要な情報を発信してます。ここに辿り着いた皆さんが愛し愛される関係で男女の調和のエネルギーを発揮していけるように応援してます。

土曜日に
同じ職場の方々による、
私のお話会がありました。


うれしいことに
話好きの私が何でも話していい会




それを喜んで聞いてくれるという、
私にとって、
なんともありがたい会です




お子さま相手に「宇宙語」だってしゃべっちゃうよ〜♬



*\(^o^)/*  *\(^o^)/*  *\(^o^)/*  *\(^o^)/*  *\(^o^)/*


本音が言えるようになってる人の前では、
思わず本音が出てしまうんですね。

なので、

お話会での私の楽しみは、
自分が話すことよりも
他の人の本音が聞けた時なんです。


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日頃気になってるけど、
言わないでいたことを、
なぜか話してしまう。

そんなことが起きます




同じ職場の仲間ということもあって、
人間関係で感じることを共有してる。



※イメージです


同じ人物に不満を持ってたりするんです。

学校のクラスで起きることと同じ。



※イメージです




大人の世界の縮図が
                子供の世界でも起きる。

大人の世界が変わらないと
                子供の世界も変わらない。




みんな先生のいうことを聞いて
ちゃんとやってるのに、

一人だけちゃんとやらない。

先生に怒られても、
クラスメイトに嫌われても、

ぜんぜん平気(そう見えるだけ)で、
それどころか、

自分に対する
みんなの態度に
反発してる。

言ってもわからない
その理解できないその子の態度に、
関わるのが面倒になって、

そのうち、
その子は、
みんなから孤立していく。

この孤立していった子が、
学校で起きてることを家で話したら、

親はその子を孤立させた人たちを
悪く思うかもしれない。

どんな話も、
片側の人から聞く話は、
その人が感じたことのみしか
伝わらないから。

なので聞いた親は、
被害者だと思ってる自分の子を守るために、
みんなと戦う加害者になってくこともある。


お互いを理解しようと思わない限り、
和解できないからね。



理解し難い相手を理解するって、
これなかなかできないっす。


…>_<…  …>_<…  …>_<…  …>_<…  …>_<…



私も正義感を強く持っていた頃は、
そうでしたから。



この例えでいうところの
自分が孤立していくタイプ
を経験したことで、

私は、
どちらの気持ちも
理解できるようになった訳です。

なので、
考え方の異なる人を、
どうしても受け入れられない人たちに、
両方の観点からどんだけ説明しても、

片側の体験しかしていないのだから、
相当な想像力のある人にしか、
通じなくて当然だなと思います。


でも、

              諦めずに

                                        話します。




一人の理解し難い変わった人
(そう感じる人)に、
腹を立てる人というのは、

学校でも、
職場でも、

仲間と仲良くやっていくには、

やりたくなくても、
やらなければならないことがある。

やりたくても、
《我慢》しなければならないことがある。

みんながやりたいことしか
やらないで、

やりたくないこと
やらなくなったら、
めちゃくちゃになっちゃう
と思ってる。

それをやったこともないのに、
(頭で想像しただけ)
そうなると信じてる。

だから《我慢》しなければ、
人と調和が取れないと
信じてる。

その考えは、
子供の時に親からそう教えられて、
その通りにすることができた人。

自分の欲求を《我慢》することで、
平和が成り立つと思ってるから、

《我慢》しない人が
理解できない。

そんな人がいるから、
調和が乱れると思ってしまう。

自分が《我慢》してるから、
《我慢》しない人を許せないだけなのに。

人を許せない気持ちが、
調和を乱してるってことには、
気がつかない。


孤立していくタイプの人も、
親からその《我慢》を
教えられたんだけど、
それができなかった人。


やりたくないことは、
どう頑張ってもできない。
(頑張らないけどね)

やりたいことは、
《我慢》できない。

《我慢》できない自分を
どう思ったかで、
周りからの扱われ方に違いがでる。

自分のことを、
自分がどう思ってるか、
どう扱ってるかが、

外側の現実になってるから。

それが自分だと
認めることができて、

やりたいことをする
自分が好きだとしたら、

自分がやりたくないことを
喜んでやってくれる人がいたり、

やりたいことを
応援してくれる人が
現れたりする。

それ、
まさに今の私なんです。

あきらかに違う考え方の
私の話を聞く会ですからね。


え、いいの?

しかも、
めっちゃ理解しようと
話聞いてくれてる。


なんたって自分のことが、
わかってないと
人のことはわからないのに。

自分のことが
わかってないってことが
わかってないのに。
(ややこしいな)


ややこしや〜♬   ややこしや〜♬



聞こうと思ってもね、
考え方の違う人の話だから、

頭では理解できるんだけど、
めっちゃ抵抗してる(笑)

相手にそうされたんじゃなくて、
自分がそうさせてるのよん。

何度そう言っても、

イヤイヤ、
だって、
こんなことをしてくるんです。

自分の現実は自分が創ってんの。


自分がその出来事を創ってることを、
認めないと、
状況を変えることができない。

変えることができるのは、
相手ではなくて自分。



どうしても
自分が感じたことより、
相手がした行為に意識が行ってしまう。

この段階だと、
自分がどう感じたかを
気づいていくまで、
ちょっと時間がかかる。


他人がいないと、
自分がわからないようになってる。

それも受け入れにくい人がいないと。

受け入れにくい人との
関わりを避けると、

別の、
しかももっと強力に、
受け入れにくい人が現れる(笑)

自分の現実にそういう人が
登場してるってことは、
自分が感じたことを
《我慢》してるからだよ。

どう見ても
《我慢》してないように見える
その嫌な人だって、
別のところで《我慢》してる。

職場では自由奔放で、
家庭では《我慢》の人だったり。

その人の一部分しか
見えていないだけで、


自分が嫌う相手ほど、
自分とそっくりなんだから。




そっくりだから、
その嫌いな相手に思うことを、
他の誰かに自分も思われてる。

自分が知らないだけで。

なんで知らないかと言ったら、


言いたいことを、
言いたい相手に言わないということを、
お互いがしてるから。



本人の耳に入らない。




自分が、
あの人にこんなことをされた被害者、
そう思ってしまう被害者意識が
なくならない限り、

このことをどんなに話しても、
話を聞けない。





聞きたくないから。


自分が被害者だと思ってると
自分と同じように、
誰かがその人から嫌な目に合う
場面を見る。

あいつは嫌なやつの証拠を集めては
ほらねって思う。

これを長い間続けてると、
もう証拠が集まりすぎてるから、


被害者意識を変えるのには、
自分と向き合う強い意思がいる。



広い視野が必要





ところが、
自分が被害者だという証拠が
たくさん集まってる人ほど、
もうそれしか見えないという
狭い視野になってる。

そうなってる人は、
視野を拡げるどころか
もっと見ないように、
視野を狭くしてしまう。

見ないことで、
気にならなくなったのと、

相手を受け入れたことは、
ぜんぜん違う。

嫌な相手をしっかりみて、
感じる本音は、
自分がいちばん受け入れたくない
ことだから。

それは、

あなたのようにしたい

                それが本音。


これを言ったら、
悶絶するよね。

それぜったい違いますからって(笑)




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悟り」って


「さ」を「とる」から

                               「さ   と  り」



相手との《差》がなくなること。

違いがないことに気づくこと。

そうなれば争いはなくなるのにね。






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