夫の家系が家紋や名字から、信仰に深い関わりのあることがわかり、その特徴が今にも影響を与えていることがわかりました。
陰陽道に関係する家系なので、陰陽師の術に関係する呪詛が今もいきているのです。
夫の父方の祖母は熱心な天理教の信者でした。
天理教の教祖の中山みきさんは修験者のご祈祷を受けた時に、神懸かりになり、その時に神様が、みきさんの夫にみきさんをお社として差し出さないと家運は衰退すると言われ、それに同意しました、
それから、みきさんは神様の言葉を降ろしたり、ヒーリングのようなことを人々にしていくようになったようですが、
教義に「陽気暮らし」というのがあって、この言葉は私は好きで、天理教というと「陽気暮らし」というイメージで別に反感を持つことはありませんでした。
最近になって先祖のことを辿るうちに関わった宗教を調べると、天理教の「陽気暮らし」の意味は、欲を捨てるために、神様がみきさんに「貧に落ちきれ」と家財一式を人々に奉仕させて、どんな状態でも心の平安を保てる見本となるように与えた試練からの言葉でした。
行き詰まった極を迎えると悟りに至ることもあるので、そのための試練だったのかも知れませんが、信者たちは教団のために、財産を差し出すことで、貧を味わい学びとした人も多かったのではないでしょうか。
この「貧に落ちきれ」が呪詛のような気がします。
なんだか、すご~くヤダな、この言葉(笑)。
その通りになっちゃったからかな(笑)。
でも「陽気暮らし」。
こちらもその通りなんですけど(笑)。
呪詛は気がつくと効力は無くなるので気がつくことが大事です。
天理教に限らず、教えを説く人が自分の問題を解決できていない人で、神様という外側の存在に救済を依頼したので、陰陽師、修験道の行者の術で、高級霊と名のる霊が憑依をしてしまい、支配欲という自我をコントロールされてしまったのではないかと思います。
高級だろうと低級だろうと霊からみたら、こちらの世界や人の考えてることなど、丸見えだと思うので、思ってることや出来事を言い当てたり、病気を治したり、奇跡のように感じさせて信じこませるのは簡単です。
先祖の誰かが信仰した宗教が及ぼす影響は、ものすごく根深いかも知れないです。
個人ではなく家系に及んでいるからです。
実際に夫の兄嫁は先祖供養系の宗教の信者です。こちらの新興宗教も調べると、修験者のご祈祷で神懸かりになった女性が絡んでいます。
夫の母は姑だった祖母と折り合いが悪く、宗教を嫌っていますが、宗教とは名乗らない◯◯会という集団の会員で、内容は宗教です。
私たち夫婦は宗教には属していないものの、神仏に対する信仰心はとてもあります。
そのせいか宗教のお誘いも多く、何かしらの宗教に属してる友人が過去には多かったです。
宗教ではない団体だったり、ネットワークビジネスも内容は宗教と同じだったりすることがわかってから、はっきり断れるようになりました。
わかるまでは、違和感がなく、どんなことでも受け入れる自分が心が広いと感じていました。
違和感を持つことはブロックがあるのだと思い込み、それを見つけて解放しなければと頑張りました。
宗教も宗教のような集団も固定観念をつくり、それに従う支配を気づかないようにしているので、その支配から抜けださないと本当の自由がないのです。
ウソや矛盾は、それを説いている人が夫婦関係も、親子関係も、人間関係も、表向きだけでなくうまくいっているかで見えてくると思います。
なぜなら見えない支配にコントロールされていると、本音がいえないので、人との本当のつながりができないからです。
本音を言えない関係は我慢しなければならないので、表面は仲良くても健康ではなくなります。
本音を語れる人は支配の中にいる人の壁を打ち砕くために、その関係を揺るがすことを言うかも知れませんが、それを怖いと感じたら支配の中にいるのかも知れません。
揺るがすことを言うのは家では私です(笑)。怯えるのは夫。
私の名前は天理教の教祖とそっくりな名前です。
神懸かった私を神様のお社に差し出せと言われても、契約しないでねと冗談をいっていますが、自分を救済できるのは自分だけ、外側の神様や他人ではないと知っています。
でも祖母が契約していた天理教の影響はあると思うので、契約を破棄する宣言をしましようと夫に言うと、「その契約って有効期間がないもんね、破棄しないと、すごいね」と宗教の怖さを感じました。
その他にも、幸福の科学の会員に短期間ですが、なっていたこともあり、霊波の光の会員にも、本当に短期間でしたが登録したことがあり、今思うと危なかったです(笑)。
宗教と名乗らない団体やビジネスは今も身近に寄ってきます、これらのことを気づいているので、誘いにくくはなっているようですが、気をつけないと魂の癖があります。
誰かが助けてくれたように感じても依頼して創造したのは自分で決定権は自分です。
いろいろな事がわかっても最近、危うくひっかかりそうになりました(笑)。
ものすごく気になる商品があり、持っているだけでパワースポットになるもので、波動が変わるので、持ち物すべての波動を瞬時に変えるものでした。
水道に使用すると水が変わるのですが、調べると、開発者に有名な修験者がメッセージを降ろし使命の契約をさせられていました。
このような水を変えるというのを他にも知っていますが、有名な宗教家が降りています。
世界を救済する使命とか、有名人を語るものに興味をそそられる信仰の家系の癖があります。
創造主は誰か特別な人など創らない、選ばない、そのように思います。
それぞれが特別で、それぞれが違い、みんなでひとつを現しているのだから。
陰陽道に関係する家系なので、陰陽師の術に関係する呪詛が今もいきているのです。
夫の父方の祖母は熱心な天理教の信者でした。
天理教の教祖の中山みきさんは修験者のご祈祷を受けた時に、神懸かりになり、その時に神様が、みきさんの夫にみきさんをお社として差し出さないと家運は衰退すると言われ、それに同意しました、
それから、みきさんは神様の言葉を降ろしたり、ヒーリングのようなことを人々にしていくようになったようですが、
教義に「陽気暮らし」というのがあって、この言葉は私は好きで、天理教というと「陽気暮らし」というイメージで別に反感を持つことはありませんでした。
最近になって先祖のことを辿るうちに関わった宗教を調べると、天理教の「陽気暮らし」の意味は、欲を捨てるために、神様がみきさんに「貧に落ちきれ」と家財一式を人々に奉仕させて、どんな状態でも心の平安を保てる見本となるように与えた試練からの言葉でした。
行き詰まった極を迎えると悟りに至ることもあるので、そのための試練だったのかも知れませんが、信者たちは教団のために、財産を差し出すことで、貧を味わい学びとした人も多かったのではないでしょうか。
この「貧に落ちきれ」が呪詛のような気がします。
なんだか、すご~くヤダな、この言葉(笑)。
その通りになっちゃったからかな(笑)。
でも「陽気暮らし」。
こちらもその通りなんですけど(笑)。
呪詛は気がつくと効力は無くなるので気がつくことが大事です。
天理教に限らず、教えを説く人が自分の問題を解決できていない人で、神様という外側の存在に救済を依頼したので、陰陽師、修験道の行者の術で、高級霊と名のる霊が憑依をしてしまい、支配欲という自我をコントロールされてしまったのではないかと思います。
高級だろうと低級だろうと霊からみたら、こちらの世界や人の考えてることなど、丸見えだと思うので、思ってることや出来事を言い当てたり、病気を治したり、奇跡のように感じさせて信じこませるのは簡単です。
先祖の誰かが信仰した宗教が及ぼす影響は、ものすごく根深いかも知れないです。
個人ではなく家系に及んでいるからです。
実際に夫の兄嫁は先祖供養系の宗教の信者です。こちらの新興宗教も調べると、修験者のご祈祷で神懸かりになった女性が絡んでいます。
夫の母は姑だった祖母と折り合いが悪く、宗教を嫌っていますが、宗教とは名乗らない◯◯会という集団の会員で、内容は宗教です。
私たち夫婦は宗教には属していないものの、神仏に対する信仰心はとてもあります。
そのせいか宗教のお誘いも多く、何かしらの宗教に属してる友人が過去には多かったです。
宗教ではない団体だったり、ネットワークビジネスも内容は宗教と同じだったりすることがわかってから、はっきり断れるようになりました。
わかるまでは、違和感がなく、どんなことでも受け入れる自分が心が広いと感じていました。
違和感を持つことはブロックがあるのだと思い込み、それを見つけて解放しなければと頑張りました。
宗教も宗教のような集団も固定観念をつくり、それに従う支配を気づかないようにしているので、その支配から抜けださないと本当の自由がないのです。
ウソや矛盾は、それを説いている人が夫婦関係も、親子関係も、人間関係も、表向きだけでなくうまくいっているかで見えてくると思います。
なぜなら見えない支配にコントロールされていると、本音がいえないので、人との本当のつながりができないからです。
本音を言えない関係は我慢しなければならないので、表面は仲良くても健康ではなくなります。
本音を語れる人は支配の中にいる人の壁を打ち砕くために、その関係を揺るがすことを言うかも知れませんが、それを怖いと感じたら支配の中にいるのかも知れません。
揺るがすことを言うのは家では私です(笑)。怯えるのは夫。
私の名前は天理教の教祖とそっくりな名前です。
神懸かった私を神様のお社に差し出せと言われても、契約しないでねと冗談をいっていますが、自分を救済できるのは自分だけ、外側の神様や他人ではないと知っています。
でも祖母が契約していた天理教の影響はあると思うので、契約を破棄する宣言をしましようと夫に言うと、「その契約って有効期間がないもんね、破棄しないと、すごいね」と宗教の怖さを感じました。
その他にも、幸福の科学の会員に短期間ですが、なっていたこともあり、霊波の光の会員にも、本当に短期間でしたが登録したことがあり、今思うと危なかったです(笑)。
宗教と名乗らない団体やビジネスは今も身近に寄ってきます、これらのことを気づいているので、誘いにくくはなっているようですが、気をつけないと魂の癖があります。
誰かが助けてくれたように感じても依頼して創造したのは自分で決定権は自分です。
いろいろな事がわかっても最近、危うくひっかかりそうになりました(笑)。
ものすごく気になる商品があり、持っているだけでパワースポットになるもので、波動が変わるので、持ち物すべての波動を瞬時に変えるものでした。
水道に使用すると水が変わるのですが、調べると、開発者に有名な修験者がメッセージを降ろし使命の契約をさせられていました。
このような水を変えるというのを他にも知っていますが、有名な宗教家が降りています。
世界を救済する使命とか、有名人を語るものに興味をそそられる信仰の家系の癖があります。
創造主は誰か特別な人など創らない、選ばない、そのように思います。
それぞれが特別で、それぞれが違い、みんなでひとつを現しているのだから。