今日はいのちの日 | Just to kill time

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退屈しのぎに・・・。

 

おはようございます晴れ

 

今日は穏やかないいお天気の東京です。

 

旦那も娘もお仕事中。

 

洗濯物を干し終わって一息ついてるところです。

 

これからゴミ出しして、新聞片付けて…

 

最近油っこい感じの食事だったから、今日はあっさり行こうかなぁ。

 

買い物は行かなくても冷蔵庫の中身と相談して作れるかな。

 

納豆食べようっとにひひ

 

 

昨日の夕飯は、写メは撮り忘れあせる

 

三食丼にお味噌汁、ブロッコリーのバター炒めとちくわにキュウリとチーズを挟んだ箸休めみたいなおつまみみたいなやつ。

 

 

 

生きてると実感した瞬間は?

 

今の戦争状態を目の当たりにすることで、自分がいかに平和に暮らしているかを実感します。

 

このままでいいはずはない。

 

でも、私にできることは何なのかはてなマークも思いつかない。

 

 

11年前、あの津波が日本を襲ったとき、今までで一番恐い地震を体験したとき、電車が止まり、物流が途絶え、スーパーに入店の行列ができたとき。

 

被災地より自分の生活にあたふたしていました。

 

落ち着くことはわかってた。それでもみんな自分の生活のことだけを多分考えていた。

 

大きな犠牲が出たにもかかわらず…

 

でも、確かにあのとき、「私は普通に生きてる。不自由な期間があったとしても無事に生活できてる。」と思った。

 

仙台は私も8年近く住んだ思い入れのあるところでもあったから、心が痛みました。

 

それは確かに。

 

微々たる額の義援金をコンビニで入れたような。

 

 

 

父が亡くなった時もあとを追うように母が亡くなった時も、これでもかというほど涙が出た。

 

自分は生きてるし、これからもまだ生きていく。

 

あの時も自分は生きてるんだなと思ったよ。

 

 

身体が痛いときって生きてる感ある。

 

今は右腕が痛いけど、骨折した時とかもそう思ったな。

 

生死を体感するほどの大病はしたことがないけれど、入院したり手術したりしたときは、「病院が病人を作る」みたいな感じがしましたっけ。

 

今コロナでなかなかお見舞いに行けない家族の方々はさぞかし心配だろうなぁと思います。

 

特にご年配の家族が入院しているとなればなおさら。

 

父が入院してた頃は、とにかく毎日のように通いましたよ。

 

母が夕方来るまで駅前で美味しいコーヒーを買って持って行った。

 

何するでもなく、父とおしゃべりしてました。

 

それが大事だと思ってたからね。

 

 

とにかくさ、いつまで続くんだろうってことだよむかつき

 

 

 

 

 

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