おばあちゃん家の思い出 | Just to kill time

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退屈しのぎに・・・。

 

 

おはようございます雨

 

あちこちで大雨警報が出たり、土砂災害警報が出たりとテレビを見てるとニュース速報が流れています。

 

本当に大きな災害につながりませんように。

 

 

一昨日の夕飯はワクチン接種後でついついホットモットのお弁当~~にひひ

 

昨日の夜は…ちょっと腕が痛かったので…バーガーキングぅあせるあせる

 

2日間も夕飯作りをさぼったわたくしてへぺろ

 

旦那がたまにはいいんじゃないはてなマークというお優しい言葉に甘えました。

 

さすがに今日はちゃんと準備させていただきます。

 

腕の方は痛みもだいぶ無くなってきて、特に生活に困るということはありませんでした。

 

娘が打った時は寝返りもつらいと言ってたんですが、私はそこまでではなかったよ。

 

これも年齢差なんでしょうかしら~うーんはてなマーク

 

旦那は打ったところに少し違和感があったようですが、ほぼなんともなし。

 

熱が36度7分とかで微熱出たとか言い出すようなやつですので。

 

で、8度超えたら心配してあげますと言っときました。

 

 

ブルー音符むらさき音符ピンク音符

 

 

私のおばあちゃんは息子が生後半年ぐらいのときに亡くなっています。

 

上野七軒丁というところにおばあちゃんの家がありまして。

 

今でいうと 根津 かな。

 

不忍池が割と近かったし、当時は路面電車が家のすぐ近くを走っておりました。

 

毎年お正月には必ず行きましたし、私の母が子宮筋腫の手術をした病院もおばあちゃんちのはす向かいくらいにある病院でした。

 

もちろん私や妹が生まれた病院でもあります。

 

おばあちゃん家の思い出と言えば、年に一度たくさんのいとこたちに会うお正月。

 

私はそこでは上から2番目だったので、下の子たちと一緒に遊んであげてました。

 

テーブルにはたくさんのご馳走が並んでいて、まるで宴会のような食事会。

 

男性陣は別テーブルでお酒飲みながらテレビを見たり談笑したり。

 

にぎやかな時を過ごしたのが一番の思い出です。

 

その後根津から安孫子へ引っ越したあたりから、母は何度か行ってるけど、私はおばあちゃんのお葬式のときに伺っただけだったな。

 

 

父方のおばあちゃん家はおばあちゃんが私が幼稚園に上がるか上がらないかくらいで亡くなっているので、その後はおじちゃん家という認識です。

 

私は父の兄であるそのおじちゃんが大好きだったので、小学校の低学年から夏休みに一人でお泊りに行ったりしました。

 

当時は庭に井戸水があって、スイカ冷やしたりしたんだよね。

 

秦野にあるその家、あの頃は本当に田舎でしたので、おじちゃんと一緒に川をさかのぼって上流まで冒険しに行ったりしたなぁ。

 

近所の東海大学のプールにも連れてってもらった。

 

もちろんお正月も家族そろって行きました。

 

 

子供の頃はお年玉目当てでってのもあったんだけどね。

 

とにかくどちらに行っても親戚が多くて本当に賑やかだった。

 

いとこの数もめちゃ多かった~。

 

大人になるにつれ、集まる機会も無くなり…

 

顔を合わせるのはどこかに不幸があった時…になっちゃいました。

 

悲しいですねぇ。