就活の思い出 | Just to kill time

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退屈しのぎに・・・。

 

おはようございますくもり

 

今日は一日曇り空の予報が出ている東京です。

 

朝8時半ごろからいよいよ足場が解体されておりますビックリマーク

 

1ヶ月ホロをかぶっていた我が家の全貌がいよいよ明らかにあせる

 

夕方旦那が仕事終わりに車を戻せば終了ですね~~OK

 

雨にならないといいけど…

 

 

夕べは予定通りチキンカレーにしたので、今日のお昼は残ったカレーをスープ仕立てにリメイクしてスープスパにしようと思いますグッ

 

お鍋もスッキリしますね。

 

 

ピンク音符ブルー音符むらさき音符

 

 

私が就活をしてた頃はバブルへ向かうそんな時期。

 

学生が企業を選べる状況ではありましたよね。

 

短大の就活ルームにはたくさんの企業からの求人ファイルが並んでいて、好きに選んで連絡をして、説明会へ赴いたりしました。

 

今みたいなエントリーシートがあるわけでもなく、各企業との連絡はほぼ電話でした。

 

試験を受けたり、面接を受けたりした後に、人事担当の方から受かれば電話がくるというシステムでした。

 

「午後5時までに連絡がいかなかったら、今回はご縁が無かったということで…」という説明を受けます。

 

緊張したよね~~アセアセ

 

家の電話の前で鳴るのを待ってましたもん。

 

それこそ携帯なんてない時代ですから、バイトも休んで自宅待機してましたよ。

 

お陰様で私は受けたのは1社だけでそこへ就職することができたんですけど。

 

ま、その会社へ入ったから今の旦那と会ったってことなんですけどもねにひひ

 

入社は私の方が先輩です。

 

私達の就活時代はコネも多かった。

 

私の同期にも何人かいた気がします。

 

私は受かった会社に縁もゆかりもなかったので、あまり期待はしてなかったですけど。

 

私がバイトしてた映画館はまさに父のコネで入りましたしねにひひ

 

 

 

その後の就活の思い出はといえば

 

息子のとき、これはかなりの氷河期で、大学3年生の夏からずっと就活してました。

 

くそ暑い中スーツ着てあちこち出向いていました。

 

親が何かをできるわけでもないのでねぇ。

 

ただ、就活中はほぼバイトができなかったから、金銭的な援助はしました。

 

 

とりあえず行きたかった関係の会社へ入れたのはかなりラッキーだったかもね。

 

 

娘のとき、いろんな会社で行う説明会を開く場所を当日迷子にならないようにと2人で場所を確認するという作業を土日にやってました。

 

私も地理に詳しいほうじゃないから、スマホの地図アプリを見ながら建物を確認。

 

会社によってはレンタルの会議室を使うところも多かったから、そういうビルをせっせと探したよね。

 

娘は自分のスマホに道順や目印を記録しながらよく歩いたな~~あせる

 

2人で知らない街でランチ探したり、楽しいこともあったけどね。

 

彼女も色々頑張って、結果たいていの方なら名前を聞けばわかる会社へ就職することができました。

 

結局今は転職しちゃったけど、とりあえず転職先も聞けばわかる会社ですんで、何よりです。

 

 

去年、今年と受験生や就活生には苦しい年になっています。

 

コロナ禍で退職を余儀なくされる方がいる中、新たに社員を採るのをやめる企業もあるとか。

 

氷河期どころじゃないのか。

 

どこかに病気の原因はあるんでしょうが、WHOの緩い調査じゃきっと何もわからないだろうな。

 

学生さんたちには何の非もないのだから、気の毒です。

 

きっと日が射す日がくるから、腐らず頑張ってほしいです。

 

つらいよね。