ブログネタ:災害時に政府が果たすべき役割
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あれから3年もたったのですね。
あの日、私と娘は家にいて、ものすごい揺れに動揺していました。
普段から防災意識があまり高いほうではなかったので、いろんなことが頭をよぎり・・・
電話したくてもなかなかつながらず、何とか旦那とメールのやり取りができてホッとしたのも束の間。
電車もストップで動く気配もなかった。
仕事で疲れた身体と3月の寒さに耐えながら、旦那は歩いて帰ってきました。
しかも・・・
歩いて出社もしました。
我が家の周りは電車の送電所があるせいで、停電になることはありませんでしたが、計画停電という言葉を聞き 「大変なことが起きたのだ」 という意識は常にありました。
その計画停電も政府が打ち出した打開策ではあったでしょうが、喉元過ぎれば・・・の現状は否めません。
もちろんこの私自身もすっかり生活はもとに戻り、来たるべき消費税アップのことなんぞを気にしてたりする。
風化させてはいけない震災を 私は生きてる間に2度経験したことになります。
阪神淡路のときは、宝塚に住んでいた友が恐怖を電話で語ってくれた。
その友もその震災での疲労がたたったのかどうかはわからないけど、ほどなくして急性白血病であっけなくこの世を去りました。
そうやって自分たちの案外身近にいたはずの人たちが命を落としてしまったあの日。
災害が起きた後、必死に行方不明者を探す自衛隊員の方々がいました。
警察官たちの姿もありました。
きついことだったでしょう。
ご遺体を運ばなければならなかった悲しみや厳しさはとても私ごときが何か言えるものでもありませんでした。
ただただ黙々と頑張る姿にエールをおくることくらい・・・それすらも自らの生活に追われて忘れていたかもしれません。
近所のスーパーからお米が消え、パンが消え、レジには信じられないほどの列ができ・・・
「何やってんのよっっ
」と思ったあの日。
100年に一度あるかどうかもわからない震災に巨額の投資が難しいのは理解できますが、果たしてこの大きな被害に対して今の政府が何をしているのか・・・
何事においても迅速な対応が望まれるのでしょうが、何が一番なのかは被災してる人にしかわからないものもたくさんある。
そういう苦しい思いをしている人たちの声がきちんと届けられる体制を一刻も早く作ることもそうですが、被害にあうたび、学校の体育館のような冷たい寒い(きっと夏は暑い)ところへ押し込められるのも・・・
2~3日の避難ならまだしも、今回のように家がなくなってしまった方々には、何が必要なのかは馬鹿でもわかる。
かろうじて津波を逃れたとしても、とても住める状態じゃなかったでしょう。
仮設住宅を建てるのも随分と時間がかかった記憶があります。
必死で立ち直ろうとする被災地の方々の足かせになるような政府では先が思いやられるというかね。
原発の問題もまだまだ心配な状態ですし。
ただ、資源に乏しい日本はそれこそ新しいクリーンなエネルギーが開発されない限り電力供給は厳しくなるばかりというのも事実。
反対しても電気は使う・・・では説得力がなさすぎる。
我が家にしても電気が止まったら・・・ありとあらゆるものが使用不能になります。
ガスボンベで使うコンロぐらいでしょう。
そうは思っても、灯油のみで動くストーブを買おうとは思ってないし、死にそうな夏場にクーラーは必需品だし。。。
この短い期間に 2度 も大きな災害に見舞われた日本ですから、もうないことを願っていますが、もし次があったら・・・
すべての政府関係者が同じ方向を向いて、しっかり迅速に動くということに尽きるのじゃないかと思います。
難しいことは勉強不足知識不足でよくわからないのだけれど・・・
政治の壁を取っ払って被災地と向き合ってもらいたいということかな。
今朝、電車に乗りましたが、やはり災害が起きた時刻に黙とうを・・・と車内アナウンスをしていました。
いまだ行方不明の方々もたくさんいらっしゃいます。
なかなか気持ちの区切りをつけるのは難しいことなのでしょう。
私の祈りが届くかどうかはわかりませんが、せめて安らかに・・・と思うだけです。
今はなかなか旅行は考えられないですが、東北は温泉も豊富で食べ物もすごくおいしいところです。
私ができる支援は 遊びに出かけること なんじゃないかなと。