3月11日に | Just to kill time

Just to kill time

退屈しのぎに・・・。



昨日のテレビはほぼ全局で 震災から1年 の特番が放送されていました。




まさにあの震災が襲った時刻、2時46分、昨日の私と旦那は買い物へ行く車の中にいました。



旦那は運転手でしたので何もできませんでしたが、私はちょうど聴いていたFMラジオの鐘の音にあわせて、少し黙祷をしました。




仙台は私も住んだ街です。



さすがに直後の映像には驚いたし、何とも言えない気持ちになりました。



行楽で訪れた海辺の町はどれほどの被害を受けたのでしょう。



報道する側もなすすべない事態、状況で、東北の方々は必死で今日まで生きてきました。



すごいことだと思います。




傷跡を消すことはできないけれど、人間には忘れるということも大事な要素なのかもしれません。



いえ。


あの未曾有の災害を忘れるということではなく、たくさんの人や物を失ったという記憶をあのままの状態で持ち続けたら、今笑って過ごすことはできないだろうと思うのです。



心が壊れて、生きる意欲もなくなってしまうかもしれません。



少しづつではあっても、いつしか悲しみは薄れて行く・・・人はそうやって生きて行くことができるんじゃないかと。



すべての悲しみを抱え込んだら、私なら生きていけないだろうと感じるのです。





起きた事実を受け止めて、前へ進みだすためにどれだけの力を振り絞ったんだろうと思うと、頭が下がる思いです。



微力でも何かできることはないか?



そうは思っても、被災地へボランティアに出向く覚悟も体力も足りない私には、募金という形くらいでしか協力できませんでした。



東北の食材を食べることや、東北へ旅行へ行くこと、それなら私にもできるかもしれません。





原発の有無も議論される中、これだけ電力に頼り切った生活の私たちに どこまでの我慢 ができるのかも大いに疑問です。



電気料金も値上げになる。

そのくらいは仕方がないけど、どこかで「げ」と思ってる主婦の財布もあります。



日本の原発を全部なくしたところで、お隣から漏れ流れてくる放射能は大丈夫なんだろか?と思わなくもなかったりして。


早く安全でクリーンな電力資源が開発されることを願ってやみませんが、どうなることか。




瓦礫の処理が1年かけても終わらないのは悲しいことです。


受け入れる側にいる自治体が二の足を踏んでる状況というのも、嫌な話ですね。





うまく言えませんが、東京にいる私も、あの時のあの地震の大きさに恐怖を覚えました。


電車が止まり、再開の目途もわからず、会社から歩いて帰ってきた旦那は、週明けも電車が動くところまで朝っぱらから歩いて出勤して行きました。


スーパーからお米が消え、ガソリンも制限され、普段ラクをしていた自分を戒める日々でもありました。



リュックを背負って買物に出向きました。



被災地じゃない私たちが普通に元気に過ごせないと、協力どころじゃないと思いました。



あれからもう1年が過ぎようとしているわけです。



何ともやりきれない恐ろしい災害を前に、あっけにとられるしかなかったこと。



その思いは決して忘れないでしょう。




まだ行方不明のままの多くの方々がいます。



踏ん切りつきませんよね。


気持ちがわかるなんて言っちゃいけないくらい辛いことなんだと思います。



多くのテレビ局であの恐ろしい映像を流していましたが、被災地の方々は見ることができないとお話されていました。






教訓を得て、前へ進む。



どれほどの気力がいるかを私なりに考えました。


ヘラヘラと日々過ごすことがどれだけ恵まれてることなのかを思い知る毎日です。




どうか1日も早い復興を。



日本を背負う中央の方々も、つまらない言い争いをするのではなくて、やるべきことをして欲しいと思うのです。



あらためて・・・



心より亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、頑張る東北魂を微力でも応援しようと思った昨日の私でした。




合掌