昨夜、旦那が「神戸新聞の七日間」というドラマを見ていました。
私もじっくりではありませんが、何とはなしに見ていて、あの当時のことを思い出していました。
その時、ちょっと酔った高校時代の男子同級生がメールをくれました。
私の仲の良かった同級生の女性は、結婚して、まさにその真っ只中で暮らしていました。
当時私は旦那の転勤で仙台に住んでいましたが、いつもの朝のように起きてTVをつけると、そこには信じられないような光景が広がっていたのです。
どのチャンネルもあの悲惨な光景を空から映し出していました。
15年たっても忘れることができない絵となりました。
報道もひと段落した頃、その友人は仙台に住む私のところへ電話をくれました。
「無事だったんだね!よかったあ!!」
『すごかったよ~~! アップライトのピアノが動いて、食器棚はめちゃくちゃ、足の踏み場もなかったよ~!』
そんな会話をしながら、長電話をして、彼女の体験を聞いていました。
彼女のご両親は当時宝塚のマンションにお住まいでしたが、そのマンションは倒壊寸前で、その方が大変そうでした。
彼女の元気な声を聞いたのはそれが最後になってしまいました。
ある日、彼女のご主人(わたしはお会いしたことはなかったけど)から電話が。
「高校時代にとても仲良くしていただいたと聞いていましたので、年賀状を探してご連絡させてもらいました。
実は、○○は震災の後体調を崩し、先日息を引き取りました…。」
急性骨髄性白血病。
これが彼女の病名でした。
受話器を持つ手からも聞いてる私の顔からも血の気が引いて行くのがわかりました。
悲しいのは当然ですが、その時はとてもこわかった。
葬儀の日程などのお話が出て、あわててメモをとりましたが、当時の私は小さい子供二人を持つ身。
かけつけることはできませんでした。
仲良し組の同級生に電話をして、弔電やお花を贈るのが精一杯でした。
あれからもう15年もたってしまったのだと思うと…
メールをくれた友人は「僕らが彼女を忘れないでいてあげることが彼女の供養になればいいけど」と言っていました。
私もその通りだと思うと返信しました。
年に1回仲間内での飲み会があるのですが、必ず彼女が大好きだった日本酒を席において、皆で乾杯するところから宴を始めるようにしています。
それは今でも変わらずにそうしているのです。
震災当時、直接被害にあわれた方々の心情を思うと、胸が痛くなります。
でも、あの震災がきっかけなのか定かではないけど、「病い」に倒れた人も大勢いるのでしょう。
そして、私のように離れたところでそんな訃報を手にした方もきっといらっしゃることでしょう。
誰も責めることができない「震災」の中で、私にも胸が痛む出来事があったのです。
まさに今日、あの恐ろしい震災は確かに起きたのですね。
私も今日は彼女のことを思い出し、いつまでも忘れないからねと心に誓う日にしようと思います。
私はどんどん老けていくけど、あなたはずっと若くきれいなままで私の心に残っているよ。