世界ふしぎ発見(12)  

 

西遊記で皆がよく知っている玄奘三蔵は釈迦が亡くなられて1500年余りのち、像法時代602年中国髄王朝時代にうまれた。日蓮大上人様も知っておられ報恩抄に書かれている。仏法を求めて遠くインド天竺まで旅をした玄奘三蔵は生きた仏だと書かれている。つまり人間としてとても優れている人だとおっしゃっている。                   西暦600年頃は仏陀が生まれてから1600年も経ている。あまりにたくさんの経文がありどれが人を救う正しい教えなのかわからない。元の言語で学びたいと天竺まで仏法探求の旅に出たのでした。艱難辛苦の上ガンダーラまでたどり着いた。彼がたどり着いたインドは仏教は衰退しヒンドゥー教の世界でとても荒廃していた。                       ナーランダ僧院で5年間学び、17年後、5000巻ともいわれる経を22頭の馬にのせ唐に戻ってきた。彼が主に持ち帰ったのは大般若経で、釈迦が説いたものではない。玄奘三蔵はサンスクリット語で書かれた原本を漢語に訳し自分で意味を付け加えた。日本では般若心経として300語にまとめられたのが普及している。                      唐の時代では鳩摩羅什が訳した法華経は存在し玄奘三蔵も学んだのですが、時期が来ていなかったのではと思う。仏法をもちいた唐の時代は中国でも一番栄えた時代だった。

 

西暦552年日本では 仏典は中国から百済を経由して、百済の聖明王から日本に献上された。聖徳太子は日本の文化を中国のように高めようと仏法の最高峰法華経を読まれた。それによって冠位十二階の制定や 604年和を持て貴しから始まる 十七条の憲法を制定された。 仏典の中でも唯一女人成仏を説いた法華経は女性皇后や女性天皇、女性貴族に篤く信仰された。

少し遡りますが、インドでは紀元前3世紀マウリア王朝のアショーカ王が仏教を篤く信仰し、仏法(ダルマ)による政治を志し、仏典結集などの事業を行った。それによって仏教はインド社会に広く受け入れられた。平和な社会が実現した。現在でも各地に作られた石柱碑、ストゥーパが残されている。アショーカ王の没後はマウリア朝は急速に衰え小国が興亡するという長い分裂の時期になった。

 

紀元1世紀中頃に北西インドにその支配を及ぼしてクシャーナ朝が成立した。そのカニシカ王(即位130年頃)も仏教をあつく保護したが、この時期の仏教はすでに草創期の仏教と大きく変わり、いわゆる大乗仏教が主流となっていた。これは出家者が自己の救済にとどまらず、広く大衆を救済しようという菩薩信仰によるもので、竜樹によってその理論が大成された。それに対して従来の部派仏教のなかで権威のあった上座部仏教は小乗仏教と言われるようになった。大乗仏教はパミールを越えて西域から中国、さらに朝鮮日本に広がり、北伝仏教ともいわれる。それに対して小乗仏教は、スリランカから東南アジアに広がっていった。竜樹(150-250年頃)によって大乗仏教は確立されたが、それ以後仏法は衰退していく

                                                

7-8世紀、インドにおいて仏教とヒンドゥー教の対立があったところにイスラム勢力が侵攻し、これら3つの宗教の力関係の中で仏教信者層がイスラム教に改宗するなどして仏教の存在意義がなくなっていったことから仏教が衰退に向かったという。私が習ったのは僧が権威を持ちすぎて傲慢になっていった。これではヒンドゥー教と変わらないと民衆の心が離れていったのが衰退の原因と習った。13世紀には完全に仏教は衰退消滅した。

 

イスラム勢力が入ってくるとヒンドゥー教カーストの身分差別に加えて女性蔑視が加わった。女性は男の半分の価値しかないというイスラムの教えだ。身分差別の上に女性差別が重なった。インドの男は女性に対する扱いが酷い。数年前のニュースで警察官が不可触民と呼ばれる少女を連れてきて皆でレイプした事件やつい最近(2024/08/15)女性の研修医が病院内で仮眠を取っていると、その病院のボランティアの職員に襲われレイプされ殺された事件。年間4万件以上の報告があり生後4か月の乳児も親族から性的に被害にあって殺された。これも氷山の一角で、それはインドの男性が持つ女性への倒錯した優越感だそうだ。全部の男性だとは思わないですが。

 

ムンバイ1日とニューデリー3日間だったけれど、駐在で現地にいた日本航空の職員の話で、ボンベイでは明るい新聞配達少年が親が乞食だからと親によって右腕を切られ乞食にさせられた話や、オールドデリーでは身体中が真っ黒で病気のような人たちが道路のわきに座って並んでいる。タクシーに乗っていると後ろから何人もの子供たちが「金をくれ」と走って追いかけてくる。とても不衛生で私は3日間下痢が続いた。人々の心はどんよりしていて、もがき苦しんでいる。「助けて―」と心(生命)が叫んでいるように思えた。                                           日本にいた時読んだのですが、インドの恐ろしい慣習や理不尽なことがたくさん書かれていた。三姉妹が私達がいれば親はダウリで財産を失くす。弟が結婚できないと3人で一緒に首つり自殺をした写真も見た。結婚の時のダウリが少ないと嫁は相手の親族から虐められて自殺するそうだ。男は嫁を自殺させてまた新しい嫁を貰う。男は結婚すれば儲かるわけです。男は必死で金持ちの娘を探す。親は娘が生まれると間引きといって殺してしまう。現代の医学では妊娠中に性別が判明するので中絶するのだと思う。そんなことから男は有り余っていて欲求不満でレイプするのかもしれない。

 

あれから51年も経っているが、インドは変わっていない。世界一の人口14億人の国ですが、2024年この8月のパリオリンピックでインドは銀1個と銅4個だけだった。その理由は栄養失調で、食べるものも満足に食べられず、学校にも行けずスポーツもできない人が2割以上いて、差別され、人間がまるで虫けらのように扱われているからだそうだ。人間尊厳の哲学がない国、謗法の国の恐ろしさがわかる。

 

でも今明かりが見えてきている。「世界ふしぎ発見」で2回も紹介された佐々井秀嶺氏がインドに仏教を復活させている。今2億人の仏教徒がいるそうだ。佐々井氏は33歳の時、修行中のタイからインドに来た。波乱万丈の人生だ。彼は人間として扱われていない不可触民にひどく驚いたそうだ。夢の中で竜樹が現れ、仏塔を建てよと言われたのでその土地を掘り返すと古い仏塔がでてきたそうだ。インドに仏教を弘めようと決心したと「世界ふしぎ発見」で話していた。

 

『ダリットと呼ばれる不可触選民は、最底辺のアウトカーストの下層民衆であり、インド全体の約2割いると言われる。学校にも通えず、家畜の死体処理やゴミ拾い、皮なめしいなどの仕事しか与えられない。生まれた時から、高カーストの者たちから「人間ではない」と教えられ、触るとけがれると忌み嫌われ、ひどい差別を受けてきた。井戸の水さえ飲ませてもらえず、泥水をすすり、食事は残飯をかき集めて食べるので、体も弱く病気にかかりやすい。 仏教に改宗した多くの人は、カースト(身分制度)の無い仏教に望みを託した人達だ。』

 

佐々井さんは不眠不休で貧しい人々のために働いた。“自分のことだけ考えるのではなく人の為に生きる。そうすることで、自分もよくなっていく”という思想を説いて回った。3千年も前から「人間扱いされなくて当たり前」という考え方を押し付けられてきた不可触民の人々が「同じ人間なのにどうして私達は差別されるのか?ヒンズーのカースト制度はなにかおかしい」と疑問を持つようになったのは本当に革命的な出来事なのだ。と佐々井氏は言う。

 

竜樹は大乗仏教の権実相対の権経を説いた。仏陀が法華経以前に説いた経文です。南無阿弥陀仏と唱える。つまり仏になりたいと唱える。法華経では仏とは遠くにいるものではなく。私達人間が仏だと仏陀が仰せになっている。ここが大きな違いです。南無妙法蓮華経と唱え自分自身に仏の命を顕現すると説く。それが人間革命です。南無妙法蓮華経とはそういう意味です。その生命について「人の一生はー4」から続きを書くつもりです。                                     その違いはあるが、仏教は人間を差別しない。人間は皆仏なのだから、今インドには仏教が再興された地ナグプールだけでなく、インド全体にインド創価学会が広まっている。アメリカにもインド人のSGIメンバーが多い。仏法西還にとても期待している