人の一生は(2)

 

色々な人の本を読むようになった。ジャン・ジャック・ルソーの「告白」は私の人生観を変えた。何て心のきれいな人なんだろうと心が吸い寄せられた。ルソーが好きになった。彼の書いた有名な本(エミール等)は読んだことはない、けれどこんな心の奇麗な人の書いた本はいい本に違いない。私もいつか自分のことを書くだろうと思った。そして今書いている。不思議に思う。

ルソーは1712年ジュネーブで生まれた。ルソーの母親はルソーを生んで産後の肥立ちが悪く何日か後に亡くなった。裕福な家の娘で美しく気立てがよく皆に好かれた。腕のいい時計職人の父親は妻をとても愛していた。再婚をしていても母の名を呼んで亡くなった。ルソーの叔母にあたる人がルソーを育ててくれた。父親はルソーにとても愛情を注いだ。ルソーを抱くようにして寝た。それは子供に対する愛ではなく亡き母に注いでいるような愛だったとルソーは書いていた。なぜかルソーは10歳で家出をし友達と冒険の旅に出る。全く無茶なことをしたと書いているが、その後は貴族のバラン夫人の家で働く。ルソーの心の美しさ生命境涯の高さは母親譲りで、愛の豊かさは父親から受けたのだと思う。彼の人格や教養はバラン夫人から授かった。18世紀頃のスイスやフランスはまだ公立の学校もなく文盲の人も多かった。ルソーはまさに稀有な人だった。

                                                        彼の思索は近代民主主義の礎になっている。彼の書いた思索がフランス革命の礎となり、アメリカ独立戦争にも及んだ。フランスの援助でイギリス植民地から独立した。彼の思索は彼の苦しみの中から生まれた。ルソーは私は「心の時代」になれば高く評価されるだろうと書いている。本を読んでいつかルソーのお墓に行きたいなと思った。

 

それから約30年ウォレンとパリに行ったとき、歩いているうちにパンテノン宮殿に行きあたった。そこがルソーの霊廟だとは知らなかった。私だけ地下に降りていった。近代の偉業をした人達の棺があり、その中にルソーの棺があった。「え?」とびっくり。私は彼の棺の前で手を合わせ南無妙法蓮華経と三唱し一礼した。「ウォレン、私の大好きなルソーの立派な棺が祀られていたよ。彼はフランスの国宝だったのよ。びっくりした。」といった。

 

高校を卒業して、三菱商事に入社した。幸運だったとしか思えない。配属された部署は繊維輸出部、ここで最愛の人サウジアラビア人のメイセルと出会う。彼とは5年後に日本で巡り会う。                                           会社で酷いいじめにあい、いぶりだされるようにやめた。課の女性達が皆で新入社員の私を虐めた。人間の心とは怖いものです。妬み嫉妬むき出しです。でも彼女たちは虐めているという意識がない。これが因果の理法となって自分に返ってくることも知らない。残業に次ぐ残業で私の心は潰れそうだった。題目を上げていたから助かった。でなければうつ病になって自殺していたかもしれない。                                                       ある会社の人事の人が人を止めさせるには膨大な量の仕事を与えるか。全く仕事を与えないかだ。そのうち気がおかしくなって止めると書いてあった。うつ病になって自殺したらどうすんねん。ブラック企業や。怖いなと思った。ますます人間の質が悪くなってゆく。

 

会社を2年で辞めて、1972年アメリカに渡る。ロスから世界一周の冒険の旅に出る。このことはそれぞれの国の歴史と共に次の回で書くつもりです。

 

旅行から帰ってきた私は孤独だった。安宅産業に再就職できたが、自分の居場所がない。日本に帰って驚いたのは父が朝晩勤行唱題している。毎年全く変わらないのに10年後の俺を見ろといつも言っていた。まるでメタバースの世界に生きていたような父がまじめに働いている。後でわかるのですが、父はすごい借金を抱えていた。当時のお金で1500万円、今なら5000万円くらいだろうか。この借金は交通事故に遭って右手の機能を失った慰謝料で、後に少しずつ弟が返済してくれた。彼の慰謝料もちょうど1500万円だった。詳しいいきさつは以前に書いた。

実家から逃げたくて仕方なかった。50年以上前はまだ女性が独立して住めるほどの経済力はなかった。逃げる方法はただ一つ結婚すること、なぜかアメリカで知り合った元夫が大阪で働いていた。周りがすべて結婚へ追い込む。こんな男と結婚しても私は幸せにはならないとわかっていたけれど私にはいつも選択肢がない。

                                                                    24歳で結婚して地獄の結婚生活が待っていた。彼は外面と内面が全く違う人だった。アメリカにいる時は親切だった。結婚すれば本性を現す人はごまんといる。こんな人 とてもじゃないけど一緒に住めない早めに別れようと計画するのですが、失敗ばかり。身体中に風が吹き抜ける。ふっと創価学会に入会しよう。御本尊様を信じている人達がいる。学会に入ったのは24歳の時、ちょうど毎日勤行唱題を始めた14歳から10年後です。一カ月ごとにある地区座談会と御書学は必ず出席した。大白蓮華、聖教新聞は購読して必ず読んだ。毎日の勤行唱題は続けていた。世界旅行しているときだけできなかった。これは絶対の基本です。この基本ができていなくて学会活動して大幹部になってゆく人は、宿命転換もできず、後々創価学会を潰そうとする天魔になっていく。今の創価学会原山会長がそうだ。俺は創価学会会長様だ。偉い様だ。東大出だぞと驕り高ぶっている心に魔が入っていく。表では池田先生を賛嘆し、裏では自分を批判する本当の信心のある人を潰してゆく。

 

泉北原山台、箕面、茨木と引っ越しをする。地区座談会は個人宅であり熱気があって楽しくて充実していてどの地区もいつも学会員でいっぱいだった。                                                   長女が生まれて子育てに悩んでいた。このことは以前に詳しく書いたので省くが、長女が3歳10か月のときに川崎病と診断された。                                                                   警察病院の周りは桜が満開で青い空にはえてとてもきれいだった。なんてきれいなんだろうとしばらく見とれていた。日は覚えていないのですが、この日は戸田先生の命日4月2日だと思っている。

 

入院の支度に帰った。私はある決心をしていた。心はさわやかだった。家に帰って仏壇の前に座り題目を上げ始めた。私は御本尊様に「申し訳ないですが、私は夫とは離婚します。もう耐えられない。あなたが変われば夫も変わるその指導を信じてどれだけ頑張ったか。夫にどれだけ優しくし我慢に我慢を重ねて虐げられ貧乏生活にも耐えたか。もう限界です」と思った瞬間、自分が真っ暗闇の中へ落ちていく。見上げると上には明るい丸い光が放っている。でも私はその光からどんどん離れていく、少し下に丸太のような枝が浮いているのが見えた。必死だった。あれにつかまろうと思って手を伸ばしたのですが、捕まえそこねた。後は真っ暗闇、私は「ご本尊様 助けて!」と叫んだ。その瞬間、そのまぶしいばかりの光の中に吸い寄せられ、気が付くと自分の周りに皆が楽しそに七色の薄絹を着た女性たちが踊っている。わーこれって文化祭や。楽しいな。私も仲間に入った。ふっと気が付くと自分は仏壇の前て題目を上げている。これって夢なん? 今まで鎖で足かせをされているほど身体が重かったのに、身体が飛び跳ねたいくらい軽い。御書に「地獄の苦しみパッと消え」とあるが、ほんとに消えた。 このことも以前に書いた。

 

私は夫が怖かった。自分の思い通りにならないと人を地獄の底に引きずり込んだ。暴力を振うのではない。感情が落ち込んで何とも嫌な雰囲気を辺りに振りまく。優しくすればするほど傲慢になっていく。でも私は何も言い返せない。身体が膠着してただ家の片隅に震える子ウサギのようだった。3歳から6歳くらいまでの記憶がよみがえってきた。私は元夫に自分の母を見ていた。父が母にお前はこんな子(弟)を産んだと虐め、母は私に当たり散らしていた。鬼のように怒る母、元夫の態度は私の心の奥の母に対する憎しみがヘドロのように渦巻いていたそれをよみがえさせた。真実の自分を見るのはとても苦しい。それが消えた。宿命転換できた。後年まだ残っていたのがわかる。一旦刻みついた心の傷はなかなか治らない。まして過去世で受けた傷はなおさらです。題目は続けないとまた逆戻りになります。少なくとも私は本来の心を取り戻せた。

 

元夫の家庭環境は父親が権力を握っていた。その傲慢さは私の父と同じだ。反抗ばかりする元夫を力で押さえつけて育てた。夫の心には人を思いやる心など育たなかった。人を愛する心など微塵もない。私のことはくず女としか思っていなくて、虐めることで自分の父親への憎しみを晴らしていた。彼は父親には逆らえなかった。因果の理法は他人へと向かう。そうして人を傷つけてゆく。全く目には見えない世界、けれど世の中は人々の不満で渦巻いている。生命が歪んでゆく。いつ自分が加害者になるか被害者になるかわからない。これが末法の世界です。

 

私は変わった。元夫が怖くなくなった。彼も虐待されて育った子ウサギだった。人間生命の意識の奥にある無意識の世界が少しわかるようになった。何度も書くが人間形成において身近な親の影響は大きい。親が生命レベルが低ければ子供も生命レベルが低くなる。元夫の父親は農学博士だった。とても努力家でそこまでなったのだけれど心の奥は愛されなかった父親を見返すためだった。