報恩抄(1)   

 

池田先生が亡くなられたと聞いてから、一週間後大白蓮華10月号が届いた。1ヶ月から2ヶ月くらい遅れて届く。封筒から取り出し、本を開けもせずそのままテーブルの上に置いた。何日かしてテーブルの上をかたずけていると大白蓮華10月号が目についた。パラパラっとめくると10月度御書講義、「報恩抄」というのが目についた。うん?報恩抄は大聖人が佐渡から戻られ兄弟子から、旧師道善房が死去の報を聞いた。亡き恩師へ報恩抄を認められたとしか覚えていない。内容を読むと座談会や御書学で何回も勉強している。御書名を知らなかっただけだ。ふっと大聖人の御書「報恩抄」を読んでみようと思った。

 

早速本棚から御書全集を出してきた。なんとまあ。きれいな御書でしょう。読んでないのがまるわかりです。小さな字でぎっしり書かれてある。頑張って読んでみようと老眼鏡をかけ虫眼鏡を使い読み始めた。これ大聖人様が書かれたのだ。すごい迫力、それに膨大なる知識と深さ、仏法の歴史を釈迦の時代からさかのぼって書かれている。人物に対する描き方がすごい。すべての宗派と何百人という人物が登場し善人悪人そしてその理由まできちんと書かれている。 大聖人様はすごい。もう呆然としてしまった。始めて大聖人の熱い心に触れたように思った。 南無妙法蓮華経を弘めなさい。今は末法の世、人の心は悪くなりいつこの世界が紛争で消えてしまうか? 日蓮一人仏の命を受け立ち上がっている。私に続きなさいと宣言している。この命を受け牧口先生、戸田先生、池田先生が立ち上がられた。遅ればせながら、御書ってすごい。確信が湧いてくると思った。パソコンも何もない時代に巻紙と筆で書かれたのです。ただただもう圧巻です。これはもう神業としか思えない。報恩抄は293pから330pまで37pもあるのです。ところが、日本の最澄のところで目の調子が可笑しくなってしまった。空海のこともきっと出てくるだろうに310pまで読んでギブアップです。

 

中国の宗教の歴史などほとんどわからなかったのですが、西遊記で有名な三蔵法師のことが書かれてあった。(301p)                                        唐の時代 玄奘・滋恩という僧が月氏(インド)に渡った。(AC700年代、)16年後に唐に戻る。彼の持ち帰ったのは法相宗というお経で、法華経よりはずっと劣る。がそのころ唐は太宗という賢王が治めていたと書かれている。太宗は玄奘をとても気に入り優遇した。知る人は法相教は低い教えなのだけれど誰も何も言わなかった。大聖人は法相宗は月氏の外道、漢土に渡れりかと書かれている。玄奘・慈恩(玄奘三蔵)のことは時の生身の仏ではと書かれている。あの鎌倉時代AC 1200年代に大聖人はこんな小さなことまで知ってられる。漢文を一度読まれたら覚えてられるのだろうか。人間の生命の歴史が大聖人様の生命に刻まれているとしか思えない。まさに仏。

 

大白蓮華の大聖人様の10月号の報恩抄拝読御書に戻る。報恩抄の終わりの部分です。                 「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらわず一同に多事を捨てて南無妙法蓮華経と唱うべし。このこといまだ広まらず。一閻浮提の内に仏の滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声も惜しまず唱うるなり。」(328p)

 

通解 「日本から中国・インド・全世界に至るまで、誰であれ仏法の智慧の有無に関係なく、皆、同じく他のことにかまわずに南無妙法蓮華経と唱えるべきである。このことはまだ広まっていない。全世界の中で、釈尊が亡くなってから二千二百二十五年のあいだ、一人も唱えていない。日蓮一人だけが、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と、声も惜しまず唱えているのである。」

大聖人は本抄で、人間として生きる根本の道は「報恩」にあることを示されています。そして大聖人御自身、旧師道善房の大恩に報いるためにも仏法を学び究められたと仰せです。続いて、釈尊が説いた一切経の中で、最高の真実を伝える経典は法華経であることを明かされます。さらに末法に広まるべき法は、法華経の肝心である三大秘宝の南無妙法蓮華経であるということを示し、大聖人がただ一人立ち上がり、声も惜しまず唱えている。南無妙法蓮華経は、大聖人の広大な慈悲によって未来永遠に流布し、一切衆生を救っていく大法であることを宣言されます。

 

私は以前から御書に出てくる三代秘宝の南無妙法蓮華経とはなんのことだろうと思っていた。教学では本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目と習った。それが末法の人々を救う教えだと習った。それが何か誰も教えてくれなかった。これ以上に肝心なことはないと御書で述べられている。なんなんだろう?                                   三大秘宝抄という御書があったので読むと、本門の本尊とは法華経二十八品の内、本門の法華経如来寿量品第十六のことで、朝晩の勤行で読む。以前に法華経の智慧で書いた。自で始まり身で終わる。ここでは私達自身のことが書かれている。                        本門の戒壇とはその御本尊をまつる場所で、私達の胸中、私達自身のことだ。(私はこの部分がわからなかった)私達は自分自身に題目を上げて宿命転換をしていくのです。                                       本門の題目とは正法像法時代の題目ではなく、日蓮大聖人が説く末法の南無妙法蓮華経のことと書かれてある。      そこから考えて三大秘宝の南無妙法蓮華経とは私達の生命のことだ。十界の生命には仏界を要している。南無妙法蓮華経とは仏の異名と大聖人様はおしゃってられるから私たち自身も仏だということ。戸田先生が牢獄で覚知された生命のことだと分かった。大聖人様がこれより肝心なことはなしとおしゃっている。私達の命のことだ。                  池田先生は戸田先生が、現代に南無妙法蓮華経を蘇らせて下さったと何度もおっしゃっていた。なにか御本尊様が順々に教えてくださっていたような気がする。                                              ちなみにウィキペディアで調べると、日蓮宗も日蓮正宗もそれぞれ三大秘宝の解釈が違っていて南無妙法蓮華経とは自分達の外にあると定義している。全く何もわかっていない。日蓮大聖人様の血脈を継いでいない。

 

声も惜しまず正義を叫ぶ。この信念を胸に人間の中へ                                解説として「有智・無智をきらわず」とあるように仏法についての智慧の有無をはじめとして、あらゆる分け隔てを超えて実践されるべき普遍的な大法であることが示されています。「一堂に多事を捨てて南無妙法蓮華経と唱うべし」と仰せのように、南無妙法蓮華経を唱えていく以外に成仏の道はないと確信して唱題行に励んでいく中に御本尊の偉大な力が現れるのです。

池田先生は自他ともに無明を打ち破らない限り、一人一人の生命の変革は実現しません。ゆえに、大聖人は、立宗宣言後、一日もたゆまず、「声も惜しまず」唱え続けられたのです。そのために命にも及ぶ大難を受けられました。しかし何も臆することなく、末法流布の使命の道を歩まれた。まさに、「声も惜しまず」とは、不惜身命の精神そのものなのです。

 

学会が世界192ヵ国・地域に妙法を弘通したことにより、「世界広宣流布」という大聖人の御遺誡が現実のものとなったのです。池田先生が「大聖人がただ御一人から開拓された、この末法広宣流布の大闘争を、現実に正しく受け継いでいるのはだれか。我ら創価の友以外には、絶対におりません。戸田先生は、関西の天地で獅子吼なされました「百年の大計、いな何千年の平和の大計を立て、持って、日蓮大聖人様の御恩に報、民衆万年の幸福を確立することが創価学会の使命である。」この師の心を、わが心に炎のごとく燃えたぎらせて、人間の中に飛び込んでいく。そしてまた一人一人と、信念の対話を繰り広げる。これが学会精神です。

 

御書に戻ります。「例せば、風に随って波の大小あり、薪によって火の高下あり、池に随って蓮の大小あり、雨の大小は竜による。根深ければ枝しげし、源深ければ流れながしという、これなり。周の代の七百年は文王の礼考による。秦の世ほどもなし、始皇の左道なり。                                                      日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。この功徳は、伝教・天台にも超え、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修業は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。これひとえに、日蓮が智のかしこきにはあらず、ときのしからしむるのみ 春は花咲、秋は菓なる。夏はあたたかに、冬はつめたし。時のしからしむるにあらずや。「我滅度して後、後の五百歳の中閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩はんだ等にその便りを得しむことなかれ」等云々(329p)

 

例せば、から、始皇の作動なりまでは人間の心の大きさ作用について書いてあると思う。中国の周時代が七百年も続いたのは開祖の文王の礼考によると書かれている。国民を敬う尊き心の人が国を治めればその国は栄え続く。反対に人を殺し欺いてきた開祖始皇帝の国秦は彼が亡くなるとすぐ潰れてしまった。転変地変も国も治める人の心の深さで決まると書かれている。                                                             南無妙法蓮華経は人々の元品の無明を開くことができる。その功徳は万年の外未来までも続くだろう。これは日蓮の智慧が優れているのではなく時がそうさせる。今末法はこの仏法が広がる時ですと書かれている。                                              そして釈迦が薬王品で、自分の滅後、後の五百歳に全世界に広宣流布するだろうが、悪魔、魔民、諸天、竜、夜叉、くはんだ、などに付け入るスキを与えてはならない。と書かれている。

                                                               大白蓮華には解説されていないが、私はこの部分が重要だと思う。今世界広宣流布の時、日本の創価学会副会長や秋山、原山会長、に魔が入り広宣流布を妨げようとしている。自分がカリスマになって私こそ池田先生の後を継ぐものだと天魔が躍り出てきている。創価学会本部は完全に魔の住処となっている。原山会長は権力とお金がほしいだけ。自分の息子を2022年6月に教学部長という最高の重責につけ原山ファミリーが創価学会本部を牛耳っている。少しでも原山会長を批判すると秘密裏に除名され周りの学会員から村八分にされる。信心のある正義の人が排除されていく。

                                           

アメリカでは総合長生島親分が去年1月からグアムにいる。一人で何をしているのだろう。権力だけは放さない。ズームミーティングで口を開けば、遺産をSGIに寄付してくださいとしか言わない。彼から題目を上げましょうという指導を聞いたことがない。池田先生が築かれたSGIアメリカをここまでだめにしたのは彼の信心にある。厳しい人生を宿命転換して生き抜いてきた本当の信心のあるメンバーを原山会長を批判したという理由で次々秘密裏に除名していった。生島会長とケビン・モンクリーフ壮年長の二人がわざわざ家まで訪ねてきて来て除名するのだ。そのうえに彼の周りの地区の人やリーダーに彼は有害人物だから無視するようにと電話を駆け回る。                                           生島親分の周りには自分をおだてるごますり幹部ばかりをはべらしている。今やアメリカメンバーは笛吹けど踊らずです。新しいメンバーは肝心の題目を上げないからこの仏法の功徳も確信もなく離れていくばかり。残念なことです。魔がしたり顔で喜んでいる。