よしきワールドツアーコンサート(2)

 

よしきさんは何度も日本に居を移そう、日本に帰ろうと思った。英語も全く話せなかった。 けれど、アメリカで頑張れと何度も励まされ今まで来たそうだ。                                         今年9月15日2023年 ハリウッドのチャイニーズシアターで、手形、足形を刻印した。日本人で初めてだそうだ。     そのニュースをこちらの日本語ニュースで見た。わぁ。どんな人なんだろう。と思っていたら10月20日ドルビーシアターでリクイエムワールドコンサートがあるとCMが入った。いいタイミングだ。かねてからこちらのニュースで写真等を見て俗世間には珍しいピューアな心を持った人だと興味があった。

                                                                    情報雑誌に彼のインタビューが載っていた。僕はミュージシャンとしてアメリカにきましたが、アメリカ人のアーティストになろうと思ったわけではなく、日本人として成功するかどうか試してみたかったんです。まだ自分は成功したとは思っていないし、今回チャイニーズシアターに手形と足形を刻印することになって「自分がやってきたことは間違ってなかったんだ」と少し思ったけど、まだまだこれからトライしなくてはいけないことがあります。夢を成し遂げるって1日で出来ることではなくて、(Constantly Challenge)当たっては砕け、当たっては砕け、ということを何度も何度も繰り返している中で、なんとなく道が切り開けてきたんだと思います。読者の皆さんも、アメリカに住んでいる日本の方も、いろんな場面で砕けてしまう時があると思いますが、失敗の数だけ成功に近付くと僕は信じていますので、皆さんにもぜひ頑張っていただきたいですし、僕の生き様が少しでも皆さんの心の支えになるのであれば、嬉しいなと思っています。(抜粋)

                                                                 運命を切り開いて悲しみをばねに自分を磨いている。何よりも謙虚だ。すごいなと思う。                             ロスにはもう一人すごい人がいる。大谷翔平選手ドジャース移籍、最近のニュースだ。コロナパンデミックのとき、ホームランを次々打つので、沈んだ気持ちを明るくさせてくれた。有難いなあと思った。日本の希望の星だ。

 

素敵なコンサートも終わり、いい気分で駐車場へ向かった。地下4階までエスカレーターで降りる。スマホで取った写真では表示の色が緑で(P4A/7)となっている。通路Aまで行って 1から数えるのだけれど6までで7がない。次からは3階の表示オレンジ色になっている。何度数えて歩いてもA/7がない。こんなことあり?と周りを探して歩く、次から次と車が私の横を通りすぎる。わけがわからず、ぼーっとして立っていた。すると一人の白人の女性と目が合った。彼女は車をUターンし私の横に留めた。「車探しているの?乗らない?」と言ったので、ドアを開けて乗った。いい車だな。と思った。反対側にあるかもと行って見てもない。広い広い駐車場で何が何だか分からなくなってきた。もしかして、私の車はパラレルワールドに入って消えた?(都市伝説の見過ぎだ)彼女は降りて探そうと車を止めて、歩きやすい靴に履き替えた。ほんとに親切だ。係の人に聞こう。と探してスマホを見せたのだけれど、スマホのバッテリーが切れた。こんな時に。私達はまた歩いて探した。 キーのブザーを押して歩くのだけれど、私のプリウスは2014年制で、鍵のバッテリーは入れたとこだったが、もう古くて鳴らない。前へ前へ歩いていると壁の手前に私の車があった。なんだか狐につままれたようで、壁の表示は(P4A/7)となっていた。私達は緑の表示地下4階を探していたが、彼女が言うにはここは地下5階だ。私達は歩くうちに地下5階に来ていた。表示がおかしいのです。アメリカに住んで25年アメリカの不親切さ、いい加減さに慣れているから怒る気にもならない。これではたくさんの人が探し回るのではないかと思った。携帯のない時代、証拠がないので、出口で恐ろしい料金を取られる可能性もある。公共の駐車場でさえこうなのです。                                                 ただ今回はそのアメリカ人の女性の親切が嬉しかった。名前を聞くとサラだという。今日のコンサートでオーケストラでフルートを吹いていたと言った。うあーすごい、才能があるんですね。(Wow you are talented.)と言った。彼女は私をじっと見てあなたは美しい。(You are beautiful) といったので、え?と思った。こんな心豊かな素敵な人に美しいと褒められて、後でほんとに嬉しくなった。車が見つかってこれで家に帰れるとまだぼーっとしていた。わたしはきちんとお礼を言っただろうか。

 

娘たちによしきのコンサート行ったよとラインを送ると、お母さん若いね。と返事が来た。褒められたと思っていたら、娘たちの想像していたよしきはXジャパンの若い人たちに熱狂的に受け入れられた時のよしきと思っていたようで、彼の作曲は年と共に重厚になってきているのだと思った。

 

アメリカは車社会だ。車がなくてはどこにも行けない。幸い私は日本でもアメリカでも車の事故を起こしたこともない。また事故に巻き込まれたこともない。不思議と守られている。何かが助けてくれなければひどい事故に巻き込まれただろうと思ったことが3度ある。

                                                          1度目はロス空港に着いた娘を迎えに行きフリーウェイで帰る途中、私の前の車が車線変更して左に入ろうとしている。左車線には車が走っている左の車はびっくりして左に寄ろうとするのですが、壁でスペースがない。私は危ないと心で叫んだ、すると前の車が気が付いた。さっと離れ猛スピードでいなくなった。一瞬の出来事だったけれど、ほっとした。運転手が気が付かなければ巻き込まれている。                                           2度目はシミバレーの一般道路、赤になったので止まっていた。T型交差点で、反対側車線の車が猛スピードで走ってくる。え? 信号はもう赤になっているのに。そこへ別の車が信号は青で左へターンしようと入って来た。一瞬で大事故になるところだった。あの猛スピードで当たれば私の車に跳ね返る。事故にはならなかった。一秒くらいの差で事故を免れた。左から来た車は2車線向こうの道路わきで止まって動かなかった。あまりの恐怖とショックで動けなかったのだと思う。                                                  3度目は54歳の時、セラミックスクールの帰り、家近くの信号のないT字型の交差点。いつもなら止まって確認するのですが、その時は遠くから車が一台走ってくるだけで、ああ行けるとそのまま左へハンドルを切り進もうとした。そのとき周りがオレンジ色にすっぽりつつまれた。ああまぶしい! 何も見えない。私はハンドルを元に戻し止まった。3秒くらいして猛スピードで私の車の左横を車が走り抜けた。え? 今の車? 身体の震えが先に来て、やっと事情が分かってきて、恐怖で身体が震えて止まらなかった。あの速度でぶつかっていれば完全に死んでいる。あのオレンジのまぶしい光は、何だったのだろうか? 私は生かされた。私にはなにか使命があるのだと思った。

 

あれから、17年 あのときは私達の生命は生まれ変わると覚知していたけれど、その生命の働きは分からなかった。戸田先生が私達が勤行唱題をしている間、私達の後ろに諸天善神が並び、私達の願いや命令を聞いて動くんだよと随分と前に読んだ。諸天善神は私達の目には見えない。その時、ほんまかな?と思った。数年前、冝保愛子さんという超能力者を知った。生命の動く速さは光より早いそうだ。ということは時間を超越する? 生命の不思議な働き、そのことは追々書いていこうと思う。