エドガー・ケイシーとスェーデン・ボルグ (4)
「生命」のところでも書きましたが、戸田先生が、科学が発達すればするほど、この日蓮大聖人の仏法が証明されるとおっしゃっていました。宇宙の主役ダークマターについて、引用しておきます。
「宇宙の主役、ダークマター」
目には見えないけれど、確かにそこにある謎の存在、ダークマター。光も電波も発することがないため、現在の私たちの観測手法では直接検出することができませんが、ダークマターが持つ質量によって引き起こされるいくつかの現象を通じてその存在が推測されています。例えば、渦巻銀河では明るさから計算される質量より、星々が銀河中を運動する速度から求めた質量のほうがはるかにおおきいことが知られています。また、銀河団の質量は、構成する各銀河の明るさから推定される質量よりも、各銀河の運動から求めた質量のほうがずっと大きいことも分かっています。宇宙において、ダークマターは私達がふだん目にする物質よりもはるかに重要な役割を担っているのです。
なぞに包まれるダークマターの正体
いったい、ダークマターの正体はなんなのでしょうか。ふつうの物質(バリオン)ではあるが、だしている光や電波が弱すぎて、私達の観測技術では検出できないだけなのではないかとする説と、ニュートリノなど(バリオン)とはほとんど相互作用しない物質なのではないかとする説が、唱えられてきましたが、現在ではいずれの候補もダークマターの存在量を説明できるだけの量がないことがわかってきています。まだ私達に知られていない未知の物質がダークマターの可能性が大きく、現在研究が盛んに行われています。 以上コンピューターの検索から。
わたしはこのダークマターという物質が、宇宙に溶け込んでいる私達の「生命」だと思う。私達生きている人間はこの物質が見えない。けれど死ぬとスウェーデンボルグが言ったような世界が宇宙に広がっている。そして天国に行くか地獄に行くかは私達が生きているときの行い次第です。
戸田先生は死とは眠りにつくことで生とは起きて活動を始めることだ。何度も生まれ変わってこの世で存分に生きることが出来ればほんとに楽しいことだ。そのための信心なのだよとおっしゃっている。
妙法尼御前御返事(1402頁)の御書講義の中で、成仏とはどんなことをいうのですかという会員の質問に答えて池田先生は「生も歓喜、死も歓喜」の大境涯なんですと。つぎにそんな素晴らしい境涯に、題目の修行だけで、本当になれるのでしょうかという質問に、御本尊への唱題行とは、宇宙に厳然と実在する仏界のリズムと我が生命のリズムと合致させ、わが身の上に仏界の力用を現すための「生命の調律」なのです。故に人間の生命を大境涯へと変革することが、成仏というのです。(抜粋)
私は小さい頃から「日本昔話の浦島太郎」の話が不思議で頭から離れない。そしてスウェーデンボルグのことを知った。彼はあの世にいる亡くなった人と交流できると思われているので、知り合いから頼まれる。例えば、「私の亡くなった夫はわたしに素晴らしい彫金のプレセントを誕生日にくれたのですが、それを作ったという職人が、まだお金をもらっていないと私の家に催促にやってきたのです。領収書は見つからないし夫は死んでしまったし、そんな安いお金ではないので払えない。あなたはあの世に行くことが出来るそうですが、私の夫に会ってお金を払ったかどうか聞いてきてください」と頼まれた。わかりました。3日ください。と約束する。3日後に彼女が行くと「ご主人は領収書をたんすの一番上にある引き出しのなかの隠し引き出しの中に入れているとおっしゃっています。」彼女は見つけることができて喜んだ。私は3日後というのが、不思議に思えた。そのほかにも 彼がイギリスで食事付きのボーデングハウスで部屋を借りていた。オーナーが10日や2週間も経って姿を現したりしてボルグさん食事もせずに一体どこにいっているんだろうと不思議がられた。 私はただ領収書のある場所をあの世に行ってテレパシーで呼び出して聞くだけなのに三日もかかるのかなぁと思っていた。あの世は時間も距離感もない世界なのに、でも少しあの世にいるだけでも帰ってくるとこの世ではすごく時間が経過しているのだと思った。これで浦島太郎の話が理解できたと思った。
太郎はカメの背に乗った時点で死んでいた。漁師の太郎は嵐に遭って遭難したのかもしれない。亀は太郎を竜宮城へ連れて行ったが、あれは海の底ではなく宇宙の天国だったのだ。太郎は善良でいい行いをしてきたので楽しい楽しい天国に連れられ過ごした3年間はまさに極楽だった。ところが太郎はふっとお父さんお母さん兄弟や村人達が懐かしくなり会いたくなった。太郎は自分が死んだとは思っていなかったので、「帰る帰る」と言い出した。が、乙姫様は困惑するばかり、なぜなら今いる世界は時間も距離感もないけれど、太郎がいた地上世界は確実に年月が過ぎているのだ。乙姫様は、太郎に玉手箱を渡した。それは太郎が天国で過ごした時間を地上時間に取り戻す箱だったのです。太郎はカメの背に乗ってあのなつかしい海岸にまたカメに乗せられて戻ってきた。ところが、誰一人太郎の見知った人がいない。村はすっかり変わっていた。太郎が全く見たこともない世界だったから、太郎は困惑して悲しみにくれた。そしてあれだけ乙姫様から開けてはいけないといわれていた玉手箱を開けてしまった。中から白い煙がでてきて太郎は急速に年を取り死んでしまった。太郎が帰った地上は数百年も経っていたのかもしれない。スウェーデンボルグはあの世は時間も距離感もないと書いていたが、私は宇宙時間というものが、あるのではないかと思う。星だって生まれては爆発して無くなるのだから、ただ宇宙時間というのは、地球時間に比べておそろしくゆっくり、止まってさえ思えるほどゆっくり流れているのではないだろうかと思う。 アインシュタインの相対性理論からいうと地球から打ち上げられた宇宙船に乗っている人間はやっぱり地球時間で年をとるということになるのではないかと思う。
池田先生は浦島太郎の物語は人の世の無常を表現しているのではないかとおっしゃっていた。私はそれで納得した。この物語は悲しすぎるといつも思っていたから。人間は生きている限りいつかは老いて死ぬ。どんなに愛していても、いつか愛する人とも別れなければならないときが来る。この昔話が今でも語りつがれているのは、人間の生命が深く共感しているからではないだろうか。
これくらいにしておきます。 興味のある方は本を読んでください。
私の読んだ本を参考に書いておきます。
「霊感者 スウェデンボルグ ウィルソン・ブァン・デュセン 今村光一訳」
「霊界日記 エマヌエル・スウェーデンボルグ 高橋和夫訳編」