日本から帰ってしばらく家を開けた後、
すぐに居候との同居が始まり、その後骨折。
この間、自分のことも家のことも何もできませんでした。
彼女がトイレと風呂掃除と掃除機かけは
やってくれていましたが、
細かいところの掃除はしないまま。
マンハッタンは排気ガスのせいで、
窓から黒い埃が入ってきて、
窓枠やカウンターがすぐに黒くなります。
ブラインドもすごい埃なため、3ヶ月に一度はふいていました。
元居候は頼めばやってくれただろうけれど、
頼むのは憚られたので、拭き掃除は一切なし。
けれど、彼女がいなくなって、足を地面についてよくなり、
カウンターも、棚もやっと掃除が終わりました。
(ここで水漏れで現在工事中となり、
家中が埃だらけになっていますが。。。。)
彼女のために空けたクローゼットや
箪笥の引き出しを元の通りにし、
ダメージを受けた箇所をなんとか拭き掃除で誤魔化し
家はすっきりしました。
足が痛いので、できるだけ歩かないため、
また再度生活のほとんどはベッド上ですが、
2月からの中途半端な気持ちが
やっと自分の将来を考える
というところまで落ち着いた感じがします。
さあ、これからどうしよう。。。。
65歳になればMedicareという老人用保険が使えるようになるため、
多くの人がこれを期に仕事をやめるのですが、
私はまだ時間があるため、抗ホルモン剤が終わったら、
65歳になるまでは
あまりお金のかからない保険に入っておけばいいか、と
考えていました。
ここで予想外なことが起きたのは、
乳がんの抗ホルモン剤を変えないといけないことです。
もう、後2年弱で検診以外はしなくていいかと思っていました。
けれど、薬をタモキシフェンに変えてしまったので、このままでは
後5年以上は定期的に病院に行き、
薬を処方してもらわないといけないのかもしれません。
(いずれにしても、甲状腺の薬はもらわないといけないので
通院は避けられないのですが。
通院しなくても処方箋を永久にくれればいいのですが
おそらくそういうわけにはいかないでしょう。)
1月になったら
今後どれくらいの期間、
タモキシフェンを飲まないといけないか、という判断のため
DNAのテストをするのではと
結果について問い合わせをしたらNP(薬が出せる看護師)が言っていました。
ここで今後どうするかを決める、
ということでもいいような気もしますが。
低所得者用の保険は年収が2万ドル近くなると
持ち出しゼロで使う事ができなくなります。
具体的には乳がんの再発予防に
そこまでお金がかかるわけではないのですが、
通常保険での予防医学にいくらくらいかかるのか
調べる必要がありそう。
今は不動産投資と貯金で生きていますが、
お金を稼いでしまうと、保険が奪われてしまうため、
日々練習している投機にもモチベーションがなく、
最近はだいぶやる気を失っています。
収入を上げると、どんなことになるのかわからないため、
おもちゃのお金は卒業できないし、
かといって、いつまでも
おもちゃのお金で練習をしていてもなあ、と思うのです。
抗ホルモン剤は乳がんの再発予防ですが、
とりあえず再発はしていないため、
これをやめるという選択もあるかと思います。
でも、どうも家をどんどん片付けたくなり、
私の潜在意識は
ニューヨークを出るつもりでいるのではないかと思います。