嫌だなと思った 感じたことはそのまんま汚れ無い器にそのままそれを荘厳受け止めるだけでよろしいこと
嫌だなと思った 感じたことはそのまんま汚れ無い器にそのままそれを荘厳受け止めるだけでよろしいこと
いきることとは
そうして
苦痛を一つ一つ
体験を過ぎ越す事でもあるから
汚れ無い器とは
Mariaの事でもあるが
受け皿といったりもするけども
パティナ
パテナ
聖体を
その上に置く
パテナ
皿
聖体とは
Nazarethのイエシュア自身であるけども
彼には
人類の全部の悪事の結果も
受け止めている次第だからである
そして
全部のその肉体に傷があること
最期には
マリウスか
彼はローマ兵であって
長い槍のその鋭い両刃の剣を
心臓部に突き刺して
心臓の膜を
二つに割き
心臓部の四つの個室を
抉る事で
そして
引き抜きまして
その砕かれた心臓からは
血と水の湧きだしたということ
その血と水を
被った
彼は
白内障の片目は一瞬で癒えた
とか
自己の内部の変化も同時にあって
多くのローマ軍の兵士たちは
その場に参加していた
100人を取りまとめるグループの隊長もあるし
彼らはエリートの中のエリートであって
軍事だけではない
行政も
民生も
実施していた次第であるから
ローマ帝国軍の軍人は
そのはじめは
みな貴族だということだし
名門の家の者たち
名誉ある市民
そのいろいろの名族の中から
皇帝は排出されてあるし
大祭司の権能も
皇帝であるがゆえに保持していた次第だ
ローマの神々に
多くの市民の身代わりになって
意を
宣言する者
はしわたし
ポンティフィケ
神と人を仲介する司祭であること
司祭職業では無いので
どこでもいつでも
祭司は
まつりことをつかさとる者であるのですから
名誉はあるけども
人々にこそ
奉仕する特務があること
これを知らないで
威張るのは
どうかな?
と云う事は
古来から
つねに
厳しく指摘されてきた次第
神に奉仕するとは
神を所有物化する事では無い
神の命令を聞いて
そして
どの人にも
神自身を
贈り物として
奉仕する事が
役目
務め
勤労奉仕ですね
それこそ
神殿で
偉く踏ん反りかえって
祭壇の前にいるのではないということ
そこを
Nazarethのイエシュアは
父の子である事で
いろいろ
イスラエル全土を
徒歩で
必要
支援
仁慈を必要としている人々に意図して
出向くのです
おもむきます
人気者に成るためではない
からでした
母ロバから
その時
引き離された
子ロバの背中に乗るのは
大きな馬に乗って
エルサレムの城の門を通過するためではないからでした
母ロバの気持ちは
いかがなものか
はじめて自らの背中に
重荷を載せたその子ロバの気持ちは
ということでした
過ぎ越しのまつりの時です
艱難を過ぎ越す時
何があったのか
永遠に忘れない事を記念して
それを
そのまま継承するため
鷲の翼に載せてもらうこと
潮の海
葦の生えた海をわたるとき
追跡者は
どんどん差し迫る
決して
おまえたちを
手放す事はしないと
全部
私の私物だぞ!!!と
そして
追撃して
奪還しようとして迫るからでした
馬車で
戦闘のように
奴隷生活を強いられて
しかも
初子は
大河に放棄しなさいと
命令されていた
ずーっと
長い事の
虐げ
マルトリートメントがあること
それでも
レビの人々は
荒れ野に渡りまして
神について
さげすむ
それは
水が無い
食い物が無い
エジプトでは
肉も食えたんだ
と
そこで
シナイの山にて
モイゼは
出会うその方から
知らせを受け止めたが
怒ることもあった
天主の顔をみたら
即死だから
恐怖心で一杯だった
それが
次第に
天主は
山から
麓に降りて来る
そして
人々は神である天主の声を聞きたいと希望するので
天主は
雷のような大音響で
大声を聞かせる
そして
人々は
もういい
聞かなくていい
モイゼ
お前が代表で聞いてくれといいますし
幕屋に
天主を
迎える事になる
そこで
箱
贖いの蓋のある箱をこさえる
正に
御御輿のようなものですが
二位のケルブが
配置され
膝をついて
かがみこみ
大きな羽根を
広げている
その真中に
天主は臨在しているのでした
アロンの杖と
マナを入れた金の壷と
石の板に記事されている
神言
南山堂安居子
そねみ 嫉む あのグループを構成する人々は そねむことのおおくてね・・・・。
そねみ【嫉】
〘 名詞 〙 ( 動詞「そねむ(嫉)」の連用形の名詞化 ) そねむこと。ねたむこと。嫉妬。
[初出の実例]「朝(みかと)猜忌(ソネミ)を避たまふ」(出典:日本書紀(720)持統称制前(北野本訓))
出典 精選版 日本国語大辞典
さい‐き【×猜忌】
ねたましく思ってきらうこと。「猜忌の念を拭ぬぐえない」
出典 小学館デジタル大辞泉
何故なんだろうかね
自分の中にある事を
たしかめる
確かに
確認
みる
ふたまなこ
で
事実を
みる
観察
臨在している
それを
確固不抜の意志で
みようとしないから
そねみ
と
ねたみ
なぜ
それそのものは
個人
個人の
内心から
生成
されて
競争心を生産し
競う事を意図しようとして
勝手に妄想して
自分でこしらえたGAMEに
強制参加させようとするのか
不思議な事だ
他人を何かで負かして
自らの勝利で
自負するのを
好むのか
そのような嗜みは
なぜ
人の頭脳神経細胞システムから
生産されてしまうのだろうか
それは
きっと
自分を保持して
生きるための
その人の頭脳神経細胞システムのオーダーそのものではないか
自分から死を選択する事を回避するためではないかと
おもえるが
どうだろうか
そもそも
自分自身があるというのに
他人と
見比べて
他者をうらやむ必然は微塵もない事だが
一つの憧れのような
憧憬とか
私淑とも違いますし
あの人よりも
自分こそ良い者でいたいんだ
という
その魂胆が
なぜ
その人の内部に形成されてしまったのか
あけらかにする方策
方便
方法は
あるのでしょうか
嫉妬とか
それ
羨ましいね
という
うらやむ心のその湧き出しているその状態は
一体
何でしょうね
侵害することもあることだ
自分で自分を侵害したり
その人は他者を侵害したり
物事を侵害したりすることもある
何か
知って欲しいからなのかもしれないが
その時に
冷静に
なぜ
自分は
この事を意図したのかと
内省する
鑑みる行為とは
選択することをしないのかなあ
ということ
一日の中で
内省する時間は
自分で
確保しないのでしょうか
冷静に
自分を
何も汚れの無い
鏡に
写して
染みのあるか
汚点の無いか
と
検査する事
それは
日本の神道では
神殿の鏡があることで
あれに自己を映す事で
知る事を
沈黙の内に
先祖様たちは
うながして
善きすゝめとして
顕示してくれているのですがね
ローマカトリックでは
祭壇の上に
顕示台
聖体
HOST
ほすと
とは
主人という意味だ
ホスチア
ユーカリステ
カリスと
カリス
CHARITE
仁慈の事です
メルシフルのその方
自分の肉体を
少しずつ
多くの人々に
別けて
与えている者
いのちのいのち
そのものだから
と云う事なのです
アンパンマンの寓意は
そこにあるのは
周知であって自明となってはいる
自分の身を切りまして
腹のすかしている相手に
自分自分を
食べなさいと
施すのですから
再起するのです
倒れても
復
起きる
生きる事をしているのは
アンパンマンであるけども
自分は
小学校3年生で
昭和53年かな
体育館で
人形劇団の人々が来訪し
アンパンマンを実演してくれていましたから
自らの顔を食べさせる者でしたね
それはなんとけったいな話なんだと
当時は一瞬
おもいましたけど
あーー
これは
Nazarethのイエシュア自身の事を
反射している創造
クリエイトした作意の結果なんだなと
そう実感したのでした
それはそうだな
腹をすかしている人に
これを
食べてと
いいまして
パンであるその者は
自分を食べなさいと
自分を犠牲として
さしあげるのですから
相手に
空腹の
飢餓の状態であるなら
なお
なをのこと
奈
安寧をメイキング
つくりだす
安
やすらけ
とは
やすら木
の事だ
善である果実そのものを
沢山ならしている
生木
葡萄の木
でもあるから
巨大なおおきな木
鳥たちが
その果実をついばみにきて
やすめる場所
つかれた人は
わたしが
やすませてあげよう
わたしのもとにきなさい
というのは
かの
Nazarethのイエシュア自身
そのもの
言
はじめに
言ありき
LOGO
THEO
南山堂安居子
酒を飲む行為にいつまでもアディクトしている状態を保持する以外生きる術がない存在の方もあるしね・
酒を飲む行為にいつまでもアディクトしている状態を保持する以外生きる術がない存在の方もあるしね・
それは
その方の自身の内部にある
苦痛の記憶があるからかもしれない
嫌な事
拒否したいが拒否しても無理やりその体験を過ぎ越して
痛みを抱えたまんま
RECOVERY
の対処をしていない状態を
保持して
さらに
苦痛体験を一つ一つ積み重ねている状態
どこかでその苦痛体験の積み重ねる事を
放棄して
自分を大事にする方法を採用して
自分から
それを詳しく知って
覚えて
実践を一つ一つ積み上げる事をこころにさすこと
は
賢明ではある
自分自身の事だけども
なんでも
自分で自分のコントロールを完全には出来る者は存在していないので
むしろ
自分は真面目にならなけばいけないんだ
一所懸命に生きなければだめなんだ
といういい子になろうと躍起になっている方の場合
親から褒められたいというその願望もあるからこそ
周囲の人々から
人気を得たいとか
認定では無い
自分自身の存在自体を高く評価して欲しいとか
有能だと認めてもらいたいのだとか
世間体を気にしてしまう意図もあるかもしれない
そもそも
立派になれとか
それは
その人の親が
弱い力しかなくて
その身体で労作もあまりできないまま
周辺の人々から
馬鹿にされていた
その親の姿を
みて
悲しみを知る子
小さな子がある
その子の
こころのうめきを
誰も知る事もしないでいた
ということもある
その子は
大人という
小さい肉身から
成長後の事
社会というのは
世間様ではあろうが
そこで
さらに
自分自身を理解する事になるが
世間の価値と
自分の中に生成していた価値の
矛盾を
処理する余裕は無くて
それを
勉強する時間など無かったと
いう
学校にいっても
勉強というホントの意義を知らないまんま
やり過ごす方もある
それは
国家の機関の提示する教育の内容と
その子自身の
理解し知りたい事との
完全な食い違いがあるからで
辛辣な経験をしていた子は
普通の教育にはあまり興味を抱く事は無いかもしれない
むしろ
とても悲惨な事を
つぎからつぎと
過ぎ越した事そのものを
しっかり
何故
そういう環境が
成立しているのか
理解したいのだと
いう事だから
その希望に
答える
先生とか
教師などは
そんなに
地上には存在していないようだし
特に
我が国の教師群というのは
学校の教育のその内実が
整理整頓されてあるけども
しかして
それで
その苦難を味わいつくしてきたその子に
とって
何を提供できるというのか
ではあるのですから
そこを
知って
理解したいと
希望しない教師も
多いのが
印象だ
単純に
かわいそうだけども
何もしてやれない
頑張れともいわない
と云う事でもあって
結局は
放置
ネグレクト
そのものを
贈り物にして
御仕舞
御免するとかしないとかではないし
理解したいのだという気持ちが
なぜ
芽生えないのか
不可思議と云う事
実に
摩訶不思議な事ではあるけども
辛辣な事を回避する人の心理模様はあるだろうし
ある者はそのくらいの苦痛は我慢せ
なんて
口にしていた者もあったけども
そして人の世の情けとかいいはじめるが
そこにあるものは
やはり
根性を据えろとかいう
根気を教えて
叩き込むその意図なのであろうか
人を理解するための方法論を
学びとして
理解しようとする努力は
必要だろうと
そう思うが
それは
そんなに簡便では無い
そもそも
自己自身を全て知っているなどありえないしね
そうして
生涯教育とか
社会教育とか
いう分野もあるものだが
どうしてか
風体の流行のような
それらに
引きずられてしまい
投資としての
案件として
査定されてしまうのは
なぜか
人の基盤を
通説として
何を
学び
それは
どう
活用するのか
手ほどきの見本とか
実際に
人が生きる事の
ライフヒストリーの事などを
もっと
十二分に
説明して
投資として
価値化してみたら
どうだろうか
自分自身を知る事という行為自体
かなり厳しい事です
気が付きを促す事であるし
気が尽きたくはない事も
あるから
つまり
否認して
生きて来た
なんらかの事実と云う事がいくつかあるものだし
それを
自ら
誠実に態度を形成して
受け止める
しつまり
沈黙の内に
整然と
荘厳にして
受け止める事の実践を
一つ
一つ積み重ねる行為
その目的は
自分に預かっている能力では
物事を
理知の理想像
IMAGEの通りには
変えると云う事がその通りには出来ないのだと云う事を確かめる事
やればなんでもできるんだとか
意図した事はかならず成就するんだぞ
とか
そういう
信頼できない
絵空事を
空想家して
夢想的な現実逃避の行為をそそのかすのではないこと
何が最善の事であるか
至高善とは一体何か
自分が気持ち良い好きな事をしているだけで
最高の幸福事象だと
いう視点もあるが
ほんとにそうなのか
検証する作業も必要だと云う事です
個人主義でどこまでも生きる事と
個別化の作業とは
全く違います
その内実が
ということを知る事
詳しく知ること
覚える事
自己覚知の作業の一つアプローチですから
そこは
誰もしない
自分で自分の世話をするということの本来の意味と意義です
セルフヘルプ
自助
共助
公助
たしかにその通りだが
その行為そのものは
共にあることで
三つの事を
統合化する事の
能力を
自身に獲得すと云う事でもあるのです
権能を有為に保持して
多くを所持している者ならば
やはり
そうではない者にその人は
奉仕する事は
必要な事で
善い事ではあるとは言えるのですから
倫理で査定してみてもそうだし
common senseでもそうですし
meritというのも相対的で私的個人の価値で判断はするが
完全に善い事としてのmeritは何か
功徳というのは
空想論のカルト宗教的な行為実践とは全く違いますから
voluntary
というのは
強制では無い
完全な自由の保持が出来ている者が
実践する事ですのでね
金を支払う事であろうが
金を全く要らないと云う事であろうが
その属性は関係無いのです
金を呉れ
ならそれをしてやるというのは
何でしょうね
その動機
Motif
その心の意図
何を意図するか
査定する能力を
自分でまず知識を理解して
それから
実地で
実践し
実行する事
ACT
ART
その明らかな行為のそれ
一つ一つの積み重ねの事
その事はどうするか
自分の判断で
思考する事
それを
支援する事は
セルフヘルプのHELP
HELPを自分からその者は
欲する
求める
かどうか
プライドというのは
自尊とかいいますけども
高慢さとか
傲慢さとか
とかとも云いますけども
さあて
左当て
その確実な事を
自覚す
という作業
静かに
瞑想ではない
黙って
自分の一つのおもい
ことば
おこない
を
査定して
観る
臨む事
鏡に映してみること
模範とは
仁慈滋養慈愛を
保持して
その相手と
自分に送られている仁慈滋養慈愛を
詳しく味わっているのかどうか
しること
すべからく
理解すること
自分には
何も善いものがない
何も微塵も良い品物はないと
思い込むことを
しているかどうか
など
自分自身の肉体とその精神神経の運動している機能と
その統合化されているその存在自体と
その物事の事を
確かに知る事
それらは
なぜ
自己にあるか
白黒の思考
認知の審判を実践して
自分を罰しようとしていないかどうか
または
同時に
他者を白黒で審判して
judgmentして
罰を贈る事を
希望していないかどうか
懲罰を喰らわしてやれと
思い込む事は
なぜ
そうなるのでしょうか?
ゆるし
とは
そのような
罰を行使する事では無い事である
侵害する事の恐怖
DEMERITを
詳しく理解する事が
出来るために必要な能力を
誰か
その必要十二分に保持している者に
贈り物として
送致してもらうことを
祈願する事