mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -67ページ目

嫌だなと思った 感じたことはそのまんま汚れ無い器にそのままそれを荘厳受け止めるだけでよろしいこと

嫌だなと思った 感じたことはそのまんま汚れ無い器にそのままそれを荘厳受け止めるだけでよろしいこと

 

 

いきることとは

そうして

苦痛を一つ一つ

体験を過ぎ越す事でもあるから

 

 

汚れ無い器とは

 

Mariaの事でもあるが

 

 

 

受け皿といったりもするけども

 

パティナ

 

パテナ

 

 

聖体を

その上に置く

パテナ

 

 

 

 

 

聖体とは

Nazarethのイエシュア自身であるけども

 

彼には

人類の全部の悪事の結果も

受け止めている次第だからである

 

 

 

そして

全部のその肉体に傷があること

 

最期には

マリウスか

 

彼はローマ兵であって

長い槍のその鋭い両刃の剣を

心臓部に突き刺して

 

心臓の膜を

二つに割き

 

心臓部の四つの個室を

抉る事で

そして

引き抜きまして

その砕かれた心臓からは

血と水の湧きだしたということ

その血と水を

被った

彼は

白内障の片目は一瞬で癒えた

とか

 

自己の内部の変化も同時にあって

 

多くのローマ軍の兵士たちは

その場に参加していた

 

100人を取りまとめるグループの隊長もあるし

 

彼らはエリートの中のエリートであって

軍事だけではない

 

行政も

民生も

実施していた次第であるから

 

ローマ帝国軍の軍人は

そのはじめは

みな貴族だということだし

名門の家の者たち

 

名誉ある市民

 

 

そのいろいろの名族の中から

皇帝は排出されてあるし

 

大祭司の権能も

皇帝であるがゆえに保持していた次第だ

 

 

ローマの神々に

多くの市民の身代わりになって

意を

宣言する者

 

はしわたし

 

ポンティフィケ

 

 

神と人を仲介する司祭であること

 

 

 

 

 

司祭職業では無いので

 

どこでもいつでも

祭司は

まつりことをつかさとる者であるのですから

名誉はあるけども

 

人々にこそ

奉仕する特務があること

 

これを知らないで

威張るのは

どうかな?

 

と云う事は

古来から

つねに

厳しく指摘されてきた次第

 

 

 

神に奉仕するとは

神を所有物化する事では無い

 

神の命令を聞いて

 

そして

どの人にも

神自身を

贈り物として

奉仕する事が

役目

務め

 

 

勤労奉仕ですね

 

それこそ

 

神殿で

偉く踏ん反りかえって

祭壇の前にいるのではないということ

 

 

 

 

そこを

Nazarethのイエシュアは

父の子である事で

 

いろいろ

イスラエル全土を

徒歩で

必要

支援

仁慈を必要としている人々に意図して

出向くのです

 

おもむきます

 

 

 

人気者に成るためではない

からでした

 

 

母ロバから

その時

引き離された

子ロバの背中に乗るのは

 

大きな馬に乗って

エルサレムの城の門を通過するためではないからでした

 

 

 

 

 

母ロバの気持ちは

いかがなものか

はじめて自らの背中に

重荷を載せたその子ロバの気持ちは

 

 

 

ということでした

 

 

 

 

過ぎ越しのまつりの時です

 

 

 

 

 

艱難を過ぎ越す時

 

何があったのか

永遠に忘れない事を記念して

それを

そのまま継承するため

 

 

 

 

 

鷲の翼に載せてもらうこと

 

潮の海

葦の生えた海をわたるとき

 

追跡者は

どんどん差し迫る

決して

おまえたちを

手放す事はしないと

 

全部

私の私物だぞ!!!と

 

そして

追撃して

奪還しようとして迫るからでした

 

馬車で

 

戦闘のように

 

 

 

奴隷生活を強いられて

 

しかも

初子は

大河に放棄しなさいと

命令されていた

 

ずーっと

 

長い事の

虐げ

マルトリートメントがあること

 

それでも

レビの人々は

 

荒れ野に渡りまして

神について

さげすむ

 

それは

水が無い

食い物が無い

 

エジプトでは

肉も食えたんだ

 

 

 

そこで

 

シナイの山にて

モイゼは

出会うその方から

知らせを受け止めたが

 

 

怒ることもあった

 

天主の顔をみたら

即死だから

恐怖心で一杯だった

 

 

それが

次第に

天主は

山から

麓に降りて来る

 

そして

人々は神である天主の声を聞きたいと希望するので

 

天主は

雷のような大音響で

大声を聞かせる

 

そして

人々は

もういい

聞かなくていい

 

モイゼ

お前が代表で聞いてくれといいますし

 

幕屋に

天主を

迎える事になる

 

そこで

 

贖いの蓋のある箱をこさえる

 

 

正に

御御輿のようなものですが

 

 

二位のケルブが

配置され

膝をついて

かがみこみ

大きな羽根を

広げている

その真中に

天主は臨在しているのでした

 

アロンの杖と

マナを入れた金の壷と

石の板に記事されている

神言

 

 

 

南山堂安居子

 

そねみ  嫉む   あのグループを構成する人々は そねむことのおおくてね・・・・。

そねみ【嫉】
〘 名詞 〙 ( 動詞「そねむ(嫉)」の連用形の名詞化 ) そねむこと。ねたむこと。嫉妬。
[初出の実例]「朝(みかと)猜忌(ソネミ)を避たまふ」(出典:日本書紀(720)持統称制前(北野本訓))
出典 精選版 日本国語大辞典

 

 

嫉(シツ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 

 

 

さい‐き【×猜忌】
ねたましく思ってきらうこと。「猜忌の念を拭ぬぐえない」
出典 小学館デジタル大辞泉

 

 

猜忌(サイキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

 

 

 

何故なんだろうかね

 

自分の中にある事を

たしかめる

確かに

確認

みる

ふたまなこ

事実を

みる

 

観察

臨在している

それを

 

確固不抜の意志で

みようとしないから

 

 

 

 

そねみ

ねたみ

 

なぜ

それそのものは

個人

個人の

内心から

生成

されて

 

競争心を生産し

 

競う事を意図しようとして

勝手に妄想して

 

自分でこしらえたGAMEに

強制参加させようとするのか

不思議な事だ

 

 

他人を何かで負かして

自らの勝利で

自負するのを

好むのか

 

そのような嗜みは

なぜ

人の頭脳神経細胞システムから

生産されてしまうのだろうか

 

 

それは

きっと

 

自分を保持して

生きるための

その人の頭脳神経細胞システムのオーダーそのものではないか

 

自分から死を選択する事を回避するためではないかと

おもえるが

 

どうだろうか

 

 

そもそも

 

自分自身があるというのに

他人と

見比べて

他者をうらやむ必然は微塵もない事だが

 

一つの憧れのような

憧憬とか

私淑とも違いますし

 

あの人よりも

自分こそ良い者でいたいんだ

という

その魂胆が

 

なぜ

その人の内部に形成されてしまったのか

 

 

あけらかにする方策

方便

方法は

あるのでしょうか

 

 

 

嫉妬とか

それ

羨ましいね

という

うらやむ心のその湧き出しているその状態は

一体

 

何でしょうね

 

 

侵害することもあることだ

自分で自分を侵害したり

その人は他者を侵害したり

物事を侵害したりすることもある

 

何か

知って欲しいからなのかもしれないが

 

 

その時に

冷静に

なぜ

自分は

この事を意図したのかと

 

内省する

鑑みる行為とは

選択することをしないのかなあ

ということ

 

 

一日の中で

内省する時間は

自分で

確保しないのでしょうか

 

 

 

冷静に

自分を

何も汚れの無い

鏡に

写して

染みのあるか

汚点の無いか

検査する事

 

 

 

それは

 

日本の神道では

 

神殿の鏡があることで

 

あれに自己を映す事で

 

知る事を

沈黙の内に

先祖様たちは

うながして

善きすゝめとして

 

顕示してくれているのですがね

 

ローマカトリックでは

 

祭壇の上に

顕示台

 

聖体

HOST

 

ほすと

 

とは

主人という意味だ

 

ホスチア

 

 

ユーカリステ

 

カリスと

 

カリス

 

CHARITE

 

仁慈の事です

 

メルシフルのその方

 

自分の肉体を

少しずつ

多くの人々に

別けて

与えている者

 

いのちのいのち

そのものだから

と云う事なのです

 

 

 

アンパンマンの寓意は

そこにあるのは

周知であって自明となってはいる

 

自分の身を切りまして

腹のすかしている相手に

自分自分を

食べなさいと

施すのですから

 

 

 

再起するのです

倒れても

起きる

生きる事をしているのは

アンパンマンであるけども

 

自分は

小学校3年生で

昭和53年かな

 

体育館で

人形劇団の人々が来訪し

 

アンパンマンを実演してくれていましたから

 

自らの顔を食べさせる者でしたね

 

それはなんとけったいな話なんだと

当時は一瞬

おもいましたけど

 

あーー

これは

Nazarethのイエシュア自身の事を

反射している創造

クリエイトした作意の結果なんだなと

 

そう実感したのでした

 

それはそうだな

腹をすかしている人に

これを

食べてと

いいまして

 

パンであるその者は

自分を食べなさいと

自分を犠牲として

さしあげるのですから

 

相手に

 

空腹の

飢餓の状態であるなら

なお

 

なをのこと

 

 

 

安寧をメイキング

 

つくりだす

 

 

やすらけ

とは

やすら木

 

の事だ

 

善である果実そのものを

沢山ならしている

生木

 

葡萄の木

でもあるから

 

 

巨大なおおきな木

 

鳥たちが

その果実をついばみにきて

やすめる場所

 

 

 

つかれた人は

わたしが

やすませてあげよう

 

わたしのもとにきなさい

 

というのは

かの

Nazarethのイエシュア自身

そのもの

 

 

はじめに

言ありき

 

 

 

LOGO

THEO

 

 

 

 

 

 

南山堂安居子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒を飲む行為にいつまでもアディクトしている状態を保持する以外生きる術がない存在の方もあるしね・

酒を飲む行為にいつまでもアディクトしている状態を保持する以外生きる術がない存在の方もあるしね・

 

それは

その方の自身の内部にある

苦痛の記憶があるからかもしれない

 

嫌な事

拒否したいが拒否しても無理やりその体験を過ぎ越して

痛みを抱えたまんま

RECOVERY

の対処をしていない状態を

保持して

 

さらに

苦痛体験を一つ一つ積み重ねている状態

 

どこかでその苦痛体験の積み重ねる事を

放棄して

 

自分を大事にする方法を採用して

自分から

それを詳しく知って

覚えて

実践を一つ一つ積み上げる事をこころにさすこと

 

 

賢明ではある

 

 

自分自身の事だけども

なんでも

自分で自分のコントロールを完全には出来る者は存在していないので

 

 

むしろ

自分は真面目にならなけばいけないんだ

一所懸命に生きなければだめなんだ

といういい子になろうと躍起になっている方の場合

 

親から褒められたいというその願望もあるからこそ

 

周囲の人々から

人気を得たいとか

 

 

認定では無い

 

自分自身の存在自体を高く評価して欲しいとか

 

有能だと認めてもらいたいのだとか

 

世間体を気にしてしまう意図もあるかもしれない

そもそも

立派になれとか

 

 

それは

その人の親が

弱い力しかなくて

その身体で労作もあまりできないまま

周辺の人々から

馬鹿にされていた

その親の姿を

みて

悲しみを知る子

小さな子がある

 

その子の

こころのうめきを

誰も知る事もしないでいた

ということもある

 

 

 

その子は

大人という

小さい肉身から

成長後の事

 

 

社会というのは

世間様ではあろうが

 

そこで

さらに

自分自身を理解する事になるが

世間の価値と

自分の中に生成していた価値の

矛盾を

処理する余裕は無くて

 

それを

勉強する時間など無かったと

いう

 

 

 

 

学校にいっても

勉強というホントの意義を知らないまんま

やり過ごす方もある

それは

国家の機関の提示する教育の内容と

 

その子自身の

理解し知りたい事との

完全な食い違いがあるからで

 

 

辛辣な経験をしていた子は

 

普通の教育にはあまり興味を抱く事は無いかもしれない

 

むしろ

とても悲惨な事を

つぎからつぎと

過ぎ越した事そのものを

しっかり

何故

そういう環境が

成立しているのか

理解したいのだと

いう事だから

 

その希望に

答える

先生とか

教師などは

そんなに

地上には存在していないようだし

 

特に

我が国の教師群というのは

 

学校の教育のその内実が

整理整頓されてあるけども

 

しかして

それで

その苦難を味わいつくしてきたその子に

とって

何を提供できるというのか

 

ではあるのですから

 

 

そこを

知って

理解したいと

希望しない教師も

多いのが

印象だ

 

単純に

かわいそうだけども

何もしてやれない

 

頑張れともいわない

と云う事でもあって

 

結局は

放置

 

ネグレクト

 

そのものを

贈り物にして

御仕舞

 

 

御免するとかしないとかではないし

 

理解したいのだという気持ちが

なぜ

芽生えないのか

不可思議と云う事

 

実に

摩訶不思議な事ではあるけども

 

辛辣な事を回避する人の心理模様はあるだろうし

 

ある者はそのくらいの苦痛は我慢せ

なんて

口にしていた者もあったけども

 

 

そして人の世の情けとかいいはじめるが

 

そこにあるものは

 

やはり

根性を据えろとかいう

根気を教えて

叩き込むその意図なのであろうか

 

 

 

人を理解するための方法論を

 

学びとして

理解しようとする努力は

必要だろうと

そう思うが

 

 

それは

そんなに簡便では無い

 

そもそも

自己自身を全て知っているなどありえないしね

 

 

 

 

 

そうして

生涯教育とか

社会教育とか

いう分野もあるものだが

 

どうしてか

 

風体の流行のような

それらに

引きずられてしまい

 

投資としての

案件として

査定されてしまうのは

 

なぜか

 

 

人の基盤を

通説として

何を

学び

それは

どう

活用するのか

 

手ほどきの見本とか

 

実際に

人が生きる事の

ライフヒストリーの事などを

もっと

十二分に

説明して

投資として

価値化してみたら

どうだろうか

 

 

自分自身を知る事という行為自体

 

かなり厳しい事です

 

気が付きを促す事であるし

 

気が尽きたくはない事も

あるから

 

つまり

否認して

生きて来た

なんらかの事実と云う事がいくつかあるものだし

 

それを

自ら

誠実に態度を形成して

受け止める

しつまり

沈黙の内に

整然と

荘厳にして

受け止める事の実践を

一つ

一つ積み重ねる行為

 

 

 

 

その目的は

自分に預かっている能力では

物事を

理知の理想像

IMAGEの通りには

変えると云う事がその通りには出来ないのだと云う事を確かめる事

 

やればなんでもできるんだとか

 

意図した事はかならず成就するんだぞ

とか

そういう

信頼できない

絵空事を

空想家して

夢想的な現実逃避の行為をそそのかすのではないこと

 

 

 

 

何が最善の事であるか

至高善とは一体何か

 

自分が気持ち良い好きな事をしているだけで

最高の幸福事象だと

いう視点もあるが

 

ほんとにそうなのか

検証する作業も必要だと云う事です

 

 

個人主義でどこまでも生きる事と

個別化の作業とは

全く違います

その内実が

ということを知る事

 

 

詳しく知ること

覚える事

 

自己覚知の作業の一つアプローチですから

 

そこは

 

誰もしない

 

自分で自分の世話をするということの本来の意味と意義です

セルフヘルプ

 

 

自助

共助

公助

 

 

たしかにその通りだが

 

その行為そのものは

共にあることで

三つの事を

統合化する事の

能力を

自身に獲得すと云う事でもあるのです

 

 

 

権能を有為に保持して

多くを所持している者ならば

やはり

そうではない者にその人は

奉仕する事は

必要な事で

善い事ではあるとは言えるのですから

 

 

倫理で査定してみてもそうだし

 

common senseでもそうですし

 

 

 

meritというのも相対的で私的個人の価値で判断はするが

 

 

完全に善い事としてのmeritは何か

 

功徳というのは

空想論のカルト宗教的な行為実践とは全く違いますから

 

 

voluntary

 

というのは

強制では無い

完全な自由の保持が出来ている者が

実践する事ですのでね

 

 

 

金を支払う事であろうが

金を全く要らないと云う事であろうが

その属性は関係無いのです

 

 

金を呉れ

ならそれをしてやるというのは

何でしょうね

その動機

Motif

 

 

その心の意図

 

 

 

何を意図するか

 

査定する能力を

自分でまず知識を理解して

それから

実地で

実践し

実行する事

 

 

ACT

 

ART

 

 

その明らかな行為のそれ

一つ一つの積み重ねの事

 

 

 

その事はどうするか

 

自分の判断で

思考する事

 

それを

支援する事は

セルフヘルプのHELP

 

HELPを自分からその者は

欲する

求める

かどうか

 

 

プライドというのは

自尊とかいいますけども

 

高慢さとか

傲慢さとか

とかとも云いますけども

 

 

さあて

左当て

 

 

その確実な事を

自覚す

という作業

 

静かに

瞑想ではない

 

 

黙って

自分の一つのおもい

ことば

 

おこない

査定して

観る

臨む事

 

 

鏡に映してみること

 

 

模範とは

 

仁慈滋養慈愛を

保持して

その相手と

自分に送られている仁慈滋養慈愛を

詳しく味わっているのかどうか

しること

 

すべからく

 

 

理解すること

 

自分には

何も善いものがない

何も微塵も良い品物はないと

 

思い込むことを

しているかどうか

など

 

自分自身の肉体とその精神神経の運動している機能と

その統合化されているその存在自体と

 

 

その物事の事を

 

確かに知る事

 

 

 

それらは

なぜ

自己にあるか

 

 

白黒の思考

認知の審判を実践して

自分を罰しようとしていないかどうか

 

 

または

同時に

他者を白黒で審判して

judgmentして

罰を贈る事を

希望していないかどうか

 

 

懲罰を喰らわしてやれと

思い込む事は

なぜ

そうなるのでしょうか?

 

 

ゆるし

とは

そのような

罰を行使する事では無い事である

 

侵害する事の恐怖

DEMERITを

詳しく理解する事が

出来るために必要な能力を

誰か

その必要十二分に保持している者に

贈り物として

送致してもらうことを

祈願する事