カトリックとは普遍的 公共に全て善い事の品物を提供する
あらゆる人々にとり 完全に善い御品物は
再生する生命そのもの
という事
餓死しても
また
生きることそのもの
慈愛の欠如を意図して
損した者には
また
再び
慈愛を
施す
それは
仁慈そのものであるから
死んだ者を
また
生かす
というのは
死んだから
Nazarethのイエシュア自身が
彼を
観る事は
まず
その一番目は
NazarethのMARIA自身の
明確にある行為であった
から
おもい
を
目ぐらした
行為実践
プラクティス
顕示
全てを
あけらかにしたのが
Nazarethのイエシュア自身
たむろ 屯 屯倉
たむろ
する
とかいうのは
人々が
あつまっている
自然に
か
意図してか
人の行為の結果である
たむろう
手むらかる
むろ
群がる
群像
軍人
集団化するから?
むら
もりあかる
盛り
杜
守
漏る
籠る
もる
音
SONO おと
というのは
SOUND
とても面白い
人の内的な思いを
言
として
発する
ときは
音になるから
その行為は
見た物事を
その個人は認知して
特定する
分類するとか
種類を区分けするとか
何かあるかと検分するとか
詳しく観察して
指示記号とする言
おもい
コトバ
の
コトバは
言
記号化する事で
情報を一人一人蓄積し記憶する事が
可能であるので
そこで
人の頭脳神経細胞システムの仕組みは
どんなことになっているか
ある情報を把握し
神経細胞の仕組みで
記憶を記録して
保存して
それを再利用できる事
脳の神経細胞群で
タンパク質の変質とか変化など状態がかわること
従来あった機能が喪失してしまう事もある
人の肉体の保持維持するために必要な仕組みは無数であるので
サブシステムの無数あることで
一つSYSTEMとして維持保持継続するための投資を自己で実施する必要があるが
それも出来ない状態を迎える時には
他者からの支援を要する事になる
人のいきることのいとなあむ
営み
経営
運営
維持する必要のあるのは生命と肉体
一人一人の
そこで
権力を保持して
命令を発達できる発する者と
それに抗う者とがあるが
はたしてその隙間の関係は一体なぜ
生成されるのでしょう
人という生き物の不可思議な處
何をその個人は得る事を期待するか
人々の共通の事と
私的な人のその人の個人の好む対象にしている物事
そのオブジェクトとサブジェクトの同時存在が
どうそれを統合化しているのか
インテグレートしているのか
その仕組みはどうなっているのか
非常に興味深い対象である
一つの種子から
成長する過程は
人も
植物も
他の生物も
同じ現象をみつけることができるが
なぜ
人という存在は
そうして
自己にある複数の機能を一つにまとめて居る事が可能だろうか
刺激 運動 安静
生きる事の不思議な現象
全体の統括する機能とそれぞれの部位の働きの程度の調整する機能と
一部の機能の不全や機能の支障を抱えているとしても
その本体全体は維持保持継続するためのエネルギーを欲することではある
しかも
一人
一人は
かけがえのない存在自体としてのそのもの
唯一無二である事
真剣に向き合う事の重要
組織の内部に
地位
権能を適宜に行使するための権限権威があるとすると
それは
一体
何のために全体の力とエネルギーの総体の一部分を行使するのか?
地球全体
宇宙全体
を
保持できているエネルギーと力
そのほんの一部分の力を
偉い
という人は
預かっているという考え方
授かる力というのは
所有する事では無い
管理して
その権能を
どうつかうのか
いつも明確に理知で検査し
倫理で査定する必要があると云う事であった
人というのは
完全に善い事を充満している存在では無いという大前提の元で
人という存在について検討する事は
賢明だ
絵画などの
ICON
IDEA
崇高な
完全な状態で完全に善い者としての人のIMAGEを
どこまでもいつまでも
愛着する行為にアディクトしているのは
危険を自等に招く
と云う事でもある
人々の中で
神のような者があったとしても
その人は
人である限りは
神では無い
死んだ時には神になるというのは
神道の意味
死んだ時に人は仏になるというのは
真宗の意味
人は
死んだら
神仏そのものに成るというのは
思想としては
従前から人々の頭脳神経細胞システム自体が生成してきた思想です
なぜそのような思考を人々がメイキング
作為して
きたのでしょうかね
しかも
神仏になっても位があるというのは
どういう事なのでしょうか
最高位である存在と
最下位である存在との
格差は
なぜあるのか
とか
器の大きさの問題だという人もある
そもそも
吉
あし
でも
全部
包括して
受け止める事の実践を十二分に出来ている実力のある能力を保持した者はあるか
と云う事もThemeの一つ
よし
あし
よい
わろし
あ
よお
よしなし
よくない
善の無しの状態を抱えてる場合
善と比較して
何が
そこには
顕示されてあるのでしょう
情報
外見
内面
内実
実情
物事は
表裏一体
陰陽一体
ある光
それに
てらされる
その人
では
何がそこにあるか
むらかっているのは
一体
何か
無数の生命の筒があること
肉体の構成している要素とは
細胞群
CELL
その一つ一つの細胞
は
小さな生命機械のようであるから
そもそも
人が機械とか機器
mechanic
MACHINE
いろいろな品物を用意し
材料を用意し
自己で
IMAGEしたそれに
近似した品物を創作します
想像したそれ
IMAGEを確固にして
組み立てる素材
部品
自働車などは
3000の種類も部品があるというのですから
人工の時計も
小さな腕時計でもそうだし
それは
もっと合理化
効率化で
小さな発動機とか
ミクロの
もっと
小さい部品を工作する
し
いろいろな品物を研究して材料を開発してきました
以下はコトバンクから参照
み‐やけ【屯=倉/官=家】
《「み」は接頭語。「やけ」は「やか(家・宅)」の音変化》
1 大化前代における朝廷の直轄領および直轄の農業経営地。屯倉とんそう。
「―を来目くめの邑むらに興たつ」〈垂仁紀〉
2 (官家)大和朝廷が朝鮮半島南部に置いたという官府。実体は不明。うちつみやけ。
「百済の国は、日本国やまとのくにの―として、ありくること久し」〈雄略紀〉
3 朝廷。
「―の船の名、枯野は、伊豆の国の貢たてまつる船なり」〈応神紀〉
精選版 日本国語大辞典 「屯倉」の意味・読み・例文・類語
み‐やけ【屯倉・屯家・官家・三宅】
〘 名詞 〙 ( 「み」は接頭語。「やけ」は「やか(家・宅)」の変化した語 )
① 令制以前、天皇の直轄地である御田(みた)におかれ、収穫した穀物を納めた倉および官舎。また、朝廷直轄領をもいう。⇔田荘(たどころ)。
[初出の実例]「屯倉(ミヤケ)を来目邑に興つ〈屯倉、此をば彌夜気(ミヤケ)と云ふ〉」(出典:日本書紀(720)垂仁二七年是歳)
② ( 官家 ) ( ①になぞらえ、日本に対する貢納国の意で ) 大和朝廷が四世紀末頃から六世紀後半まで南朝鮮に領有した直轄地。うちつみやけ。
[初出の実例]「天皇の所用(しろし)めす、彌移居(ミヤケ)の国、倶に福祐を蒙らむ」(出典:日本書紀(720)欽明六年九月)
③ 大化以後、正税として稲などを収納する公の倉庫、およびそれを管理する役所。
[初出の実例]「即ち正倉(みやけ)有り」(出典:出雲風土記(733)意宇)
④ 朝廷をいう。
[初出の実例]「官舩(ミヤケのふね)」(出典:水戸本丙日本紀私記(1678)応神)
『皇后(きさいのみや)〈略〉三軍(みタムロのいくさ)に令(のりこ)ちて曰(のたま)はく」(出典:日本書紀(720)神功即位前(北野本訓))
たむら【屯・群・党】
〘 名詞 〙 =たむろ(屯)
[初出の実例]「人皆党(タムラ)有り。亦達(さと)る者少し」(出典:日本書紀(720)推古一二年四月(岩崎本平安中期訓))
出典 精選版 日本国語大辞典
[字形] 象形
織物の縁飾(へりかざ)りの形で、純の初文。屯は縁の糸を房飾りのように結んだ形。〔説文〕一下に「(なや)むなり。艸木の初めて生じ、屯然(ちゆんぜん)としてむに象る。(てつ)(艸の初生)の一を貫くに從ふ。一は地なり。尾曲(まが)る」とし、〔易、屯(ちゆん)〕の文を引く。〔易〕によって文を解くものであるが、金文の字形は織物の縁飾りとして、糸を集めて結んだ形。金文に字を「玄衣黹屯(ふつじゆん)」「康右(祐)屯(純)魯」「屯右(純祐)眉壽」のように用い、「黹屯」は「黻純」、縫いとりの縁飾りのあることをいう。織物では織糸を集め束ねて作るので、屯束(とんそく)・屯集(とんしゆう)の意がある。屯難(ちゆんなん)の義は引伸、字形は草の初生とは関係がない。
[訓義]
1. あつまる、たばねる、つかねる。
2. へりかざり、糸を集め束ねて、へりかざりとする。
3. みちる、かたまる、まもる、たむろする。
4. むすぼれる、なやむ、かたい、おおい。
[古辞書の訓]
〔立〕屯 モハラ・ナツク・ムラガル 〔字鏡〕屯 ムラガル・モトル・トハス・アツム・アツマル・クシク・カカル・カコム・モハラ・タムラ 〔字鏡集〕屯 ウチハヤシ・モヂル・クシク・アツシ・カタシ・アラタム・タヲム・ハジム・タムロ・カガマル・モトル・アツマル・ムラガル・ツラナル・マロガス
[声系]
〔説文〕に屯声として春・頓・邨・純・鈍など十三字を収める。みな、まるく集まるなどの意をもつ字である。
[語系]
屯・純・邨・dunは同声。屯は純の初文。(冬)も糸端を結んでとめる形で、(終)の初文。屯と純、ととは同じ関係である。邨(そん)は邨集で村の意。(とん)は屯倉でまるい穀倉。織物を屯・純を以て数え、〔史記、秦伝〕に「錦千純」の語がある。村tsunは邨と声義近く、人の聚居する所をいう 』
以上はコトバンクから参照。