mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -26ページ目

アドルフという人物  ドイッチュの とても疲弊しているドイッチュの人々がいた時

 

 

 

非常に困窮して疲弊して不安がある

生命の侵害

生命保持がとても自力では出来そうにない

このままでは全滅するかもしれない

という

人々の認識が形成されている時に

 

 

 

みなの救い主だとして登場する救世主はあるだろうか

 

人気

期待を

その身に受ける

 

 

 

 

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IDOL

あいどる

 

偶像

 

 

IKON

 

ICON

 

アイコン

 

SYMBOL

 

望ましいと云う事は

どんな事か

諸国との敵対に於いて常に勝利している武力でも強い者として

智恵を働かせ

戦争に優位である者とか

 

 

正に

英雄としての

そのメサイア

 

 

 

人々が神に願ってやまない人物そのもの

偉大な王のような存在

 

具現として

出現する事を

いわいますからね

 

 

求めることは

MASS

大衆

大勢の人々の

念願

祈願だということ

 

 

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でも

人の王で国家自体は亡ぶとは

その通りではあることを

立証しているのですから

 

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その者の能力だけの問題ではない

 

民主主義であっても

大勢の人々が

大歓迎した者であるのであるから

 

 

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その結果は

どんな木の実を得たか

 

 

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なぜナチズムは「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」と訳すべきなのか(小野寺 拓也) | 現代ビジネス | 講談社


そこでアドルフさんを取り巻く権威者たちはアドルフさんをイネーブリングしてしまう







その通りです。あなたが言う「イネーブリング(enabling)」という言葉は、ヒトラーに限らず権力者と周囲の関係を理解する上で、とても核心を突いています。

# ◆ ヒトラーとイネーブラーたち

ヒトラー自身の暴走や過激な行動は、彼一人だけの力では実現しませんでした。
**取り巻く権威者たち(官僚、軍人、政党幹部、産業界のリーダーなど)が、彼を支え、助長した**ことで、彼は行動の自由を得ました。

これがまさに「イネーブリング」の典型です。

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# ◆ ◆ イネーブリングの構造

1. **権力者の強い欲望・目標を容認する**
   ヒトラーの場合、極端な国家拡張や民族排除の政策。

2. **周囲が批判や制限をかけない**
   「反対すると自分が危険になる」「権威に従うことが安全」といった心理。

3. **行動が実行可能になる環境を提供する**
   法律、軍事力、政治的支援、宣伝、財源などを提供。

4. **結果的に暴走が加速する**
   権力者の不完全さ(ヒトラー自身の強い偏見や妄想)が、
   周囲のイネーブリングによって拡大される。

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# ◆ ◆ 人間の不完全さとイネーブリング

ここでの教訓は、まさにあなたが話していた

> 「人は確かに不完全そのものだと自覚するためのLESSON」

とつながります。

* 権力者も不完全
* 周囲も不完全(盲目的従属や利害による協力)
* 社会状況や恐怖・不安が加わることで、危険な連鎖が生まれる

つまり、**個人の暴走は、集団の心理や環境によって増幅される**のです。

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# ◆ ◆ 現代に生かせる視点

この歴史的事例から学べることは、単なる過去の教訓ではなく、
私たち自身の生活や社会にも当てはまります。

* 権力者やリーダーに盲目的になっていないか
* 批判や制限をかけることを避けていないか
* 恐怖や不安が判断を曇らせていないか

こうした視点を持つこと自体が、**人間の不完全さを理解する学び**であり、暴走を防ぐ力になります。

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あなたが望むなら、この「権力者+イネーブラー+集団心理」の構図を、さらに心理学的・社会学的に整理して、
「人間の不完全さの連鎖」として見ていくこともできます。

進めてほしいですか?

小さな小さな子の心の祈りこそは意図のそれは何か汚れているものは無いと云う事だから、、

小さな小さな子の心の祈りこそは意図のそれは何か汚れているものは無いと云う事だから、、

 

お父さん

お母さん

御婆さん

御爺さん

兄弟姉妹

親類

近所のいろいろな人々の

あらゆる人々

地上にある全ての人々

 

最善である事を

贈る事

仲介そのものであろうと

そう云う事

 

何も育てなおしをしなさいとか

大人に向かって

子のよになれと命令して

意固地な幼稚さを演出する事ででは無い事だ

 

苦痛や

苦悩を

いろいろ

雑多に

抱えている者であっても

 

そこには

小さい子の時を

経過してきた

その人そのものがあるというのだから

そうだ

 

おさな子の よ う  な

その心

意図

 

それは

汚れ無いこころのそのものだよ

そうして

意味を知らせているだけのことだ

 

 

何か

誰かを意図して

その存在を抹消してしまえ

なんて

意図しないからだ

 

 

ある聖人は

いうが

 

その乳児で

それぞれが

意識して

そのお乳を奪い合う姿こそ

罪悪のそのものだとか

 

いきるためには

その乳児にはその母の乳は必要なのです

 

 

それは

そのままそうだから

 

人としてもそうして

生きる事の現実そのもの

 

では

そうして

何か

乳児でさえも

罪のあることを

覚えた時には

 

何を知る事を選択するのが

賢明なのか

云う事に

導く事

 

 

卑下する事では無い

 

尊重する事

 

 

善の欠如があるとするときには

何をいいますか

 

人は不完全な存在なのだと

自己覚知して

生きる事は

賢明で

御徳である

それは

全能者では無いし

善の事で充満している事でもないと云う事を

釘を自分で

刺す事

 

 

 

かよわいとはそういう事

 

 

善良さを求める事とは

一体

どういう事か

自分の能力では

完全な善徳を

生産できることはまずないのに

 

そうでありたいと希望し

そのいう者であるに違いないと

自分で自分を信じ込むのは

それは

大人の思考だということだ

 

 

 

それで全能の神から

ほめてもらいたい

など

意図しているのですから

これは

狡猾そのもの

 

といっていいだろう

 

 

 

そう嗜好のある者が

もしも司祭となることなら

どうなるか

 

その木に

成果するものは

どんな果実なのでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

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おさな子の心のような品物とは

何?

 

 

 

真に

ほんとに

善とは

仁慈を

常に

どのような状態の方に向けても

贈り物として

いつまでも

送り続ける事を

期待する事だということ

 

 

それは

自分ではなくて

 

Nazarethのイエシュアを運ぶ事だと云う事

光そのものを

 

必要であるものは

そうして

一人

一人にであるから

 

生命そのもの

 

 

いのち

そのものだ

 

 

 

子は

母の胎内に宿る事で

誕生する

その狭い道を通過して

広い世界にではることだ

うけめるその手は

 

腕に抱かれて安心している事を

その全てを知っている者が

保持している事

 

実際に体験したことの

安寧とは

記憶として

情報として

永遠に保管されること

 

 

その状態は

言を知り得た時に

自覚するための情報だ

 

 

人の社会は

人為で構築してきている

 

当然

不完全な者の行為であることで

 

善意の欠如の事はいつでもあるのだから

 

その不足の善を

 

補って

償いとして

提供してくれている者こそ

Nazarethのイエシュア自身であり

その幼きイエシュアを

その腕にして

世界の人々の

灯台の光のようにして

光を指し示すのは

Josephでもあり

マリアでもあること

 

 

西暦27年まで

家庭として

あった

Nazarethにて

 

 

その後に

Nazarethのイエシュアは

 

西暦30年に

逮捕されるのです

 

大罪人の中の大罪人として

烙印を

自分から

彼は

受け止めた

 

多くの人々の

身代わり

 

特に

バラバイエシュアという人物と

目の前にいて

侮辱の限りを尽くす

大祭司のJoseph(カヤファの息子)

 

殺すなと云う時には

敵を愛しなさいという命令とは

 

Nazarethのイエシュアを

贈る事を選択する事を

すすめていて

 

それは

父から

派遣されてきた者

一人子

一番先の男子である事

 

 

 

 

 

ユダヤの事例は

 

 

ヤコブの息子たちの出来事があるが

 

ヤコブは

兄がある

エサウ

 

双子の兄と弟だけども

 

弟は母のれべっかの智慧でもって

長子の権利を継承する事になった

 

それは

エサウが怒る

 

 

 

その後のヤコブの人生でも

叔父さんの意図で

二人の女性と結婚し

さらに

その付き人の女性とも

子を授かる

 

母の違う子らが

誕生するが

 

ラケルを愛していたのは

ヤコブさんでしたから

 

 

ラケルとの間では

子はなかなか授かるはなかったが

 

12番目

女子を入れて

Josephが

授かり

そして

13番目に

Benjaminである

 

Benjaminの誕生した後に直ぐに

ラケルさんは

死を迎えた

 

ゆえに

ヤコブは悲しむし

当然

Josephも

悲しむでしょう

 

 

悲しみの中にあって

兄たちからの酷い仕打ちは

彼にとって侵害であることそのものであった

 

殺してしまえばいい

 

というところまでいきますから

 

なぜならば

ヤコブがヨゼフをとても

可愛がるからですが

 

長袖の新しい服を与えるが

 

 

嫉妬する兄たちは

その後

ヤコブ

すなわち

イスラエルが信頼する神のその意図を

明確に知る事になる

 

エジプトに

運ばれて行ってしまうヨゼフ

 

兄たちは

殺す事はしないで

銀貨20枚で

売り飛ばす事だった

 

しかもヤコブ

父には

偽装する

ころされてしまった

Josephは

 

その衣類に

山羊の血を染めるから

 

ヤコブは

決してそれを信頼しない

 

 

悲しみは

さらにその重石のようになった

 

 

 

兄たちは

なぜそんなに

Josephを拒否するのでしょうかね

 

年下の自分たちの異母の弟を

大切にして

父の意向を知る事は

したくなかったのでしょうかね

 

何が

悦びであるのか

 

ありがたいことなのか

 

 

いろいろな

思案をその後

彼らは

具体に体験することになる

 

 

 

 

 

 

おさな子のようなこころ

とは

一体

どんな心

ですか?

 

 

 

いのちをそのまま

よろこぶことのできる能力を保持している状態のこころ

意図

 

 

 

 

南山堂安居子

 

 

 

 

 

 

 

 

多くの人々の権能を一つに束縛して権威の棒とする事

ファスケス - Wikipedia

 

 

 

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結束する事多くの人々を一つの棒にしてしまう事

 

一撃で相手を倒すためのシンボルデザイン

 

力の表徴の一つ

 

人のIMAGEを具現化し

 

記号言語化した

装置

 

MACHINE

 

機関を創設して

 

多くの人々の意思を

取りまとめる

一つにする

価値の調整をはかる作用

 

そこには

自分たちは

一つだ

一致団結

という恣意の意図の明示

 

 

そこで

実際には

groupのそれは

サブグループが沢山あることだし

 

そのサブグループの運営主体がどういうメンバーかによって

そのサブグループを取り巻く環境そのものとの相互作用

TRANSACTION

そのものによって

全部SYSTEMの内実も状態も変容しつづけてしまうこと

 

 

 

よって

求心力の合理が失われてしまう時は

その組織自体は

崩落し

崩壊し

解体してしまうが

 

 

頭目

胴体

四肢

 

という

社会有機体論的な思想を土台とする時に

 

カップ

頭は

一体誰か

 

ときには

その団体の頭は

7つ

あるとか

8つあるとか

 

分断してしまう関係は

そのグループ

組織化している

繋ぐ役目を

 

排除して

拒否してしまう

 

 

囲い

込みのようにしてしまうと

どうなるか

 

自己正当防衛の根拠と

隣人には

仁慈慈愛を贈る事を是非する価値の基準の選択行為

 

 

 

中間層は

共産主義的な

COMMUNITYがあって

それを利用する

頭たちがあること

頭目たちの相互作用と

自由を得たい者としての階級では

最下層の人々

 

 

もしも組織をクラスファイドするとしたならば

 

位階の制度を構築した

理解しやすいものとしての社会化としてあった

 

そこが

何を手段として生きるかというテーマとして

 

自由そのものをテーゼとしたときには

一体

その組織の内部から

何が

芽生えるのか

 

というテーマがある

 

 

形式として

束縛自体の事でも

その束縛を事実として

柔軟に

受け止めるという行為を実施し

受け流す事をやわらかくしているならば

 

どうであろうか

 

 

一体

人というのは

何をするのだろうと

ずーーと

参与して

観察する行為を

積み重ねる事

 

生命が

その肉体から過ぎ去るまで

 

いろいろな事象

事例

事実に

いろいろな人々が

向きあう時に

何を

その個人は

IMAGEする

感情を表明するか

気分はどうなるのか

 

色々な事の相互作用の結果

生産されて

ある品物は

物体の物理の現象であるのだが

同時に

言語化しないと理解できない品物もあるし

 

そのままでは

確実な品物とは確認が出来ないそれらもある

 

 

人の行為

 

おもい

ことば

おこない

 

全部

統一されている事例と

そうではない

一見では

バラバラのようにして

意図した

明確な動機の為に

報酬を得ようとして

それらを行動のようにしている事例も実際にはあるので

 

 

 

結果を

詳しく観察する事と

 

PROCESSの道程

過程

そのものを観察する事は

 

両方のアプローチは重要だ

 

クラストするそれは

一体

何かあるのか

ということ

 

 

 

caseを研究する時の方法としての基盤

 

 

はじめに論理規定であることと

はじめからおわりまでの

現象を観察することで知る事

それを

一つ統合化する観察

 

いろいろな機能の働きの結果が

そこにはあるということだから

 

 

別として

存在自体を尊重すること

 

 

 

ゆえに

侵害し

敵対している人々の意図とは

それぞれ

何を意図しているのか

本心を究明してみることだ

 

もしかしたら

幼い時の

苦痛体験が

その者を

そうさせてしまっている可能性も十分あるので

 

精神分析のアプローチを選択する事ではない

 

 

ASSESSMENTをして

実際に

具体な行為とその結果を意図した結果が

どうなったか

一つ一つ検証して

詳しく

みて

受け止める事

 

価値ある事

賢明

 

審判は

善悪でしないから

 

 

裁判行為をしても

人は不完全な存在そのものだから

その裁判結果は

妥当とかどうかという事も前提が不足してるので

なんとも言えない

 

言語ゲームの結末で御仕舞だから

 

 

 

 

完全にゆるし

ます

というのは

 

行為実践の自由そのものを

その個人が選択した事を

限りなく

尊重する事

 

尊敬するのではないこと

 

 

 

あなたはそれを選択してそうしたのですね

という

誠実な確認行為そのものを実践する事だと云う事

 

 

これは

meritがあると云う事

何かに

傾く必要がそもそも

無いから

 

 

 

 

南山堂安居子