人を殺す事の意図は善の欠如という公式的価値化の大前提@人の口から吐き出されるものは至極汚物立証
人を殺す事の意図は善の欠如という公式的価値化の大前提@人の口から吐き出されるものは至極汚物立証
おもい
で人を処刑しているなら
既に
殺人罪を犯している事
その罪とは
犯す事だから
行為として
意思
の内実
あいつの存在はウトマシイ
石殺しにしてしまえ
何か
その公正となる
理由を探せ!
と
正義を建設するが
しかし
その正義こそ
不正義であった
正義の条文を利用して
どこまでも
自分にとり気に喰わない者を処断し
存在自体を
無いとしてしまいたいと
いう
欲望の根源
それは
その者が
暴露されてしまうから
そもそも
偉い地位にある
大祭司に向かい
イエシュアNazarethは
あなたがたの父は
サタンだと
そういうのですし
神殿は
わたしの父の家だと
いのる場所だ
商売する場では無いと
売店では
高額値段の動物を売りさばく
とても貧しい経済生活をしている多くの人々に
一年に
三度
お参りにこないといけない義務があるから
神殿には
イスラエルの多くの人々が
神に生贄を奉納しないとなりませんから
ローマ帝国の高い税金を納めて
同時に
神殿にも
生贄として
動物を奉納しないとならない
それを
神殿の売店でしか買えないとしたのは
当時の大祭司らです
実に
神の法を悪用した典型でした
金儲け
それは
自分たちが
生き残るための
手段であるから
いつまでも
地上で
その地位に甘んじていること
神などあってもなくてもいいと
本心では心に抱いているのであるから
権威だけの情報を保存して
それを
うまく利便して
いきていた
そのCLASSの人々
死後の再生は
無いと云う事だし
そもそも
そうして
現実のいまの地位だけを保持していきることに躍起であった
そこを
対面で
うちあけることの
言
そのものが
Nazarethのイエシュアであった
から
どこまでも
憎しみの対象の第一位にされた
ローマ帝国の皇帝の権能を
利用した
大祭司は
とうとう
Nazarethのイエシュアを
処刑場で
処断する事に成功する
その智恵で
そして
イエシュアは
死んで
埋葬されて
暗闇にしつまる
その後に
生還する
復活
復生
また
いきること
一粒の種子の地に落ちて死んだ事
そして
その種子は
地下で
新しい芽を吹いた事
春の到来だ
と云う事
真冬から春に
そして
成長して
3年と
30年
西暦70年
36年経過して何があったか
枯れ木となっている
大祭司らは
燃える火の竈門に放り込まれてしまう事
とは
エルサレムの城塞は
陥落する
完全に
包囲されて
ローマ帝国に軍団によって
全部
神殿の石は運び出されて
たいらになるのでした
いまあるのは
土盛りした
壁になっている石の組み合わせ
神殿の箇所には
アブラハムが
イサクを捧げるよにと命令されて
そのイサクを奉献する時には
そのアブラハムの真後ろに
柴に
二本角を絡めた羊があって
それを
捕獲して
アブラハムは
イサクを祭壇から下して
イサクの身代わりに
雄の羊を
全部
焼いて
奉納した
天主に
それは
黄金に輝く
ドームの真下にある事
未だに
モリヤの丘
カルワリオは
エルサレムの城塞の
外部にある
髑髏が丘
墓場のある場所の
一番
上
ヒルトップ
ローマ皇帝に
反抗する者は
ローマ軍団に逮捕され
さらしものにされ
拷問をくわえらえ
そして
枯れ木を背負って
処刑される
最後は
その枯木に打ち込まれる大きな釘で
そして
旗竿のように
吊るされる
その時に
は
真中の
バラバイエシュアの
身代わりになったのが
Nazarethのイエシュア自身
バラバイエシュアは
テロするleaderでした
ローマ帝国の軍人らを
侵害して
ローマ帝国の支配を
排除するための主人
それをユダヤ人の多くは希望していたのですから
英雄として
天から火を降らす事で
そこで
ローマ兵たちも
追い出す事を
希望するのでしたが
そうすることは
一切
無かったこと
Nazarethのイエシュアは
生命を自分から配布した主人で
どの人にも
その
宴
食卓に
招きました
いまもそうだ
生命そのもの
いのちそのもの
光
そのもの
真っ暗で道さきを観る事もできない迷うその者たちの
光そのもの
と云う事
わたしの後からついてきなさい
自分にある重荷を背負ってと
また
疲れた人は
わたしが
やすませてあげるから
ここにきなさいと
云う事
もれなく
あらゆる人々に
生命そのものをいつまでも
施主するものだからです
全知
全能
全善である神は
人にまでなることを
通じて
媒体として
人々の
あしこと
わろしこと
善の欠如している意図を
鮮明に
証明したことでもある
それを
ゆるすてあることは
完全にそうしたのです
父のように完全なもの
となるのは
そう云う事でもある
全能とは
何をしてあると
全能なのでしょうか
自分の私的このみを実現するための
全能であるということを信じ込む
全能感情の生成ではない
信じればきっとそれは叶う
実現するんだぞ
なんとかいう
フレーズではない
虚言そのものではない
正に
確実で
善そのもの
信そのもの
であるそれ
LOGOTHEO
いきているそのもの
どんなに強い意志で
そのイエシュアを処断しても
彼は復生きるのですから
それを
立証したと云う事
いまから
2000年前に
いくつかの思想の品では無いと云う事
南山堂安居子
ある強権者の命令に反対したら、自分自身に危害が及ぶから、盲目従順する事でSURVIVALする。
天才哲学者が語る「殺人は悪」という道徳すら絶対のものではないという現実
ある強権者の命令に反対したら、自分自身に危害が及ぶから、盲目従順する事でSURVIVALする。
AI
でも
同じ事
なぜなら
AI
は
人智の反射でしかないから
人智を超えるとするときは
何か?
その量
そこから質を計算する事が
可能だろうか
それこそ
私的な主観と感情や気分の選択作用を通過する事であるから
一つの提案と云う事だ
インフォームド
コンセント
そして
誰でも
価値を詳しく知る事
価値を選択する時のメソッドを理解している事
自己の矛盾の整理が可能となること
何を選択すると
どうなるか
推定が
直ぐに
可能となること
そこは
条件が無数にあることであるから
予測できる範囲は決まっている
それは
その個人にある能力の範囲だから
その後
選択した品物
価値ある物を
得た時のあとは
どうなるか
予測が可能だろうか
戦争行為というのは
それぞれの国家の
人々の生命を保持する事
財産を保持する事
正当防衛である事だから
しかも
軍人は
そうして
侵害してくる者を
正当防衛で
自国の大事なものを守護保護防衛する者だから
任命されてあることだ
ORDERではある
では
御互いに
ゆるしなさい
ということは
何か
和解
と
同時に
Themeとして
設定している事が重要だ
一つの
ORDERでは無い
ORDERは
無数あるが
なぜか
と
云う事
人の生命こそ
無限に貴重だろうと
そう云う事を
確かに
認知形成する
意図を動機する事だと云う事
生命の種子を知る事だ
小さな小さな辛子だけのたねっこよりも小さいその種子は
おがるのだから
それは
秋には
また成果して
その実は
地に撒かれて
暗い土地にうずもれて
そして
新芽を出すのです
新し枝をはやす
エッサイの切り株のひこばえ
という
メタファーだ
これは
生命の現象そのもの
METAPHYSICSと
PHYSICAL
の両方の統合化した
それがあると云う事の
立証ではあるのだから
また
あなたは
生きるてありたいか
この
わたし
生命の生命と
ということだけども
意図して
侵害する事の生命とその存在自体を排除する事の意図は
善の欠如であるというのを
どこまでも論説して
合理である価値の中の価値だと
公共
人類みなの共通の価値で
最善の価値の軸土台であるとすることは
可能だろうか?
苦痛体験を日々被る事での
自己の肉体生命への死の宣言とその実行の助手などの問題は
どう受け止めるか
人の作り上げた法理では
合法するけども
それは
苦痛という
痛みという
人の目には見えないその部分を
どう価値化するか
であるが
共に苦痛を体験しているその存在があるのだろうか
とういう疑いがあるからであって
そこは
重要な価値の選択になる
Nazarethのイエシュアの事は
その部分を根底に
特には
フィロソフィアの人々の中では
苦痛体験を伴にしてくれている者としての
Nazarethのイエシュアとしてあるんだという
その実存の自己確認がある文化が形成されてきている
それは
いま
廃棄してしまう者もあるけども
どうだろうか
こちらへいらっしゃいと
いう
安樂思考でなしに
共に
死を過ぎ越すのだと
する
その苦痛の伴いという者が
Nazarethのイエシュア自身であり
その仲介をしているのは
Nazarethのマリアであること
そばにある
者と
共に経験する苦痛そのもの
と
それは
至極一致する事を
可能としてくれるのは
IYA
PHUEA
AVE
と
みな
呼称している者
父から
派遣されて
一人
一人に
運ばれたその者は
その一人の子
その両者のおもいは
正に純心である慈愛そのもの
切れない
いつまでも
仁慈滋養滋味を
贈る
消えることがないから
あるものは
要らないそんなものを
廃棄しても
いつまでも
送ります
あるから
そもそも
それを即ち
拒否し
拒絶し
意固地になってしまう
ますますいつまでも
意固地というのが
一つの選択行為で
私審判の事
拒絶と云う事
和解は無いという事を決断
裁判して
judgmentを既に出して
ギルティーと
イエシュア自身に
向けている個人
南山堂安居子
たしかめる た しかり か と 観る事 それは然りであるかと確実である事を予め知ってること
たしかめる た しかり か と 観る事 それは然りであるかと確実である事を予め知ってること
提示されてあること
見た事
聞いたこと
であったこと
case
情報
それは
ほんとのことか?
仮説
か
推測の事か
想像した事か?
推定か
予告といいながらも
確実な事は
包括されているのか
不確実であるのは常だ
状態は常に変化するものだから
確率と云う事
と
物理と云う事と
全ての存在は
大から小
まで
その範囲で
相互作用し常にそうして
何かの結果
を
生産していること
確実が消えている事もある
そういうSYSTEMでは
生まれて
消えてしまう
同時に
ENERGYは
常に
同じ量があること
形態
色彩の程度
状態
境界とは
物理の境界と
認識の境界
誰かと同じ自分では無いと云う事
みな
存在自体がUNIQUEだと云う事
遺伝的な系列のあるとしても
その存在自体は
無限に貴重なひとつ
いろいろな素の積み重なるそのもの
それは
人
ひとり
ひとり
記憶した情報
忘れた情報
どちらも保持している
御経の巻物のように長い帯
ベルトのように
記録されていること
スートラ
ストラ
その人の公共には成らない事でも
公に知らされている事でも
同じ事は一つもない
同じように形式はあっても
それぞれは
違い
直ぐにその状態は変わる事
同じと云う事を保持できる能力は
実際は
人には
無い事だ
すべては
変容して
かわっていく
そのSYSTEMを
維持
交響というのは
その意味だ
調和を保持し
主旋律と
対旋律と
ハーモニ
と
RHYTHMと
これは
人体の病気の治療として
音は
利用されてきた経過があるから
不安を和らげるとか
気分を盛り上げるとか
明るい雰囲気をこさえるとか
人々に辛い経験を過ぎ越した方の内省を深めて
共有する事とか
認知のSYSTEMの機能に刺激を与えて
自己自身の覚知を促す事も可能だし
認識を自分から確かめる作業でもある
単純な消費する御品ではないこと
構築してあるその情感は
何を
そこに
織り交ぜているんか
自分で探求して
研究してみること
全てが数理で表現できるのか
そうでは無い部分は
一体何か
世界を形成しているのは
人の目では認知できない
法理があるのか
無いのか
あるように世界は着飾っているのかもしれないし
人々をそのように
認知形成できるために
誘導してしまっている仕組みがあるのかもしれないし
安定した状態を
いつまでも保持し
こころの苦痛をやっと
軽やかにして
いきてあることの
うれしさを
謳歌する事
どこまでも
人は
自分のIMAGEを操縦できるのだろうか
あるそのまま
母
女性の胎内で
9か月の間
闇夜として過ごす子は
その精子と卵子の結合と融合で
一つの小さな小さな
玉となる
そこから
その者は
はじめだ
地球という球体形の星のはじまりのようなことかもしれない
いわゆる
フラクタルというのは
草木の種子もそうだ
一つの種っコ
雌蕊
雄蕊という事だ
実を結びます
むすひ
子
存在自体を
喜悦とするのかどうか
ある人は
存在を
その親から
疎まれるという経験をした方もある
また
親の精神運動の機能の支障を抱えている者があって
とにかく
辛辣な子の時代を経験した者もあって
誰かそれを知る事は公とはなっていない
別に秘密にしている事でもないが
あえて
大口で
世界中の誰かれかまわず話す事でもないという私的な経験
親の心身の状態が
どうだったのか
MENTALのケアが
実際に実務として
具体に
その親に支援は提供されていたのだろうか?
そういう問題
社会は
相互扶助だとかいっているけども
ほんとに
相互扶助があるのだろうか
という
理念と
現実の
格差の程度
そこに
表面的施策の実施者の怠慢もあって
気が付くけども
放置してきた
そこは
投資する金額の査定が難しいから
財務の人々の怠慢の事
serviceと云う事は
一体
何か
奉仕
世話
律法学士と
大祭司らの
階級
クラスファイドされて定型SYSTEMに属するその人々の特性として
大きな渦巻きのような意見が主なるものであり
取り巻きとその地位に甘んじているなら
現実に
困って
苦しみ事を
経験している者が複数いても
完全に放置する事を
是
としている事
が
ノーマルだという価値形成の結果
そのグループから
排除されては困るからだが
ある時代のある階級のCLASSの問題
意識形成の過程とそのメンバーたちの認知形成のパターンの問題
実際に
無限に量も質も最善を保持できている有能者があるとすると
その者は
常に
いつまでも
その困っている人々に
個別に支援を提供する事だろうと
予測が可能である
なぜなら
善い方なのだから
真に
むしろ
人々の憧れている
IDOL
MODEL
を
その意向として
名高き英雄のような権現のよな力ある勇敢な者を
求めるかもしれない
ヘロイック
ヒロイック
若くて活き活きして
王者の風貌で
いかにも
強く
智恵に満ち満ちている
アポロンのような人物像
その者をこそ
わたしたちを
今ある苦難から
救ってくれる救い主なんだと
そう
信じ込ませる
魅力を
人気を引き留める
その勢力を
保持している者
しかし
人の王でその國は崩壊する事は
如実であること
人というのはつねに
不完全を保持しているその状態を
維持するために
食べる
寝る
排泄し
と
そうして動いている
生きているとはそう云う事でもあるし
そこで
いきること自体に
なんらかの支障をかかえてしまった人々の
個々の生活の維持について
どうしたらよいのか
だ
いままでの
世界のSYSTEMを
いろいろと参考にして
制度を製作し
構築し
実施してきているが
いろいろな
しくみの複雑化もある
共有していま生きているんだ
という意識の形成も少ない時には
精神的な個人主義であることは
どういう事なのか
個人を尊重する事を
個人主義はまるで違いを生産する事だ
価値
を
一つ一つ
丁寧に説明する事は
出来ないものか
ということ
merit
meritは
無数にあること
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
複雑
コンプレクスの様
まるで
マーブルのように
混ぜこぜ
その世界の中で
選択するのは
その個人自身であること
セレクト
どんな状態でも
選択する行為は
自由なのだから
強制して選ばせる事をしないことだ
十二分に理解した後に
選択を慎重に実践する事だ
智恵とは
智慧とか
人智を超えている物は
何か
苦しみの境地にある時に
悩みの境地にある時に
涙も流しませんという時に
何を思慮する事が
meritなのか
など
人には
そもそも
小さな小さな個室
小部屋があることだ
人々の
こころの
疼き
痛み
その傷の跡
眼には映るとしたらその人そのものだ
おもい
ことば
おこない
その
統合化されてあるその者
しかし
何か
ちぐはぐだとする
何かがあるときは
何か
調和するその基軸から
相違する何かがあるとき
その根っこは
深いかもしれない
成果として
一体
何があるか
詳しく
自分と云う存在を媒体にして
MEDIAとして
観察する
という行為実践の実行も
merit
の
一つ
小さな
小さな
果実のようなそれだ
生木
葡萄の木のたとえは
枝を
接ぎ木することなのだそうだから
葡萄の栽培と云う事では
秋になると
その枝には
実を生らすか
と
云う事だそうだ
それを
収穫する者は少ないともいっているけど
それは
一体
どういう事なのか
農夫の問題だ
管理する者だから
楽園を
そもそも
主人があって
家畜
羊や牛や山羊などを
飼育するのも
その
羊や
山羊や牛などを
所有している
大旦那
御主人様があると云う事
羊飼いとは
管理人なのであるから
自分の羊では無いのです
という
階級
クラスファイドされていることの
喩えある
では
主人とは
一体
誰かとか
横暴な羊飼いがあって
主人の許可なく
全部
盗んだ者もある次第だ
羊は
全部
このわたしの物だと
そんな
事をした
羊飼いとは
その後半生は
一体
どうなるというのだろうか
農家でも
同じく
その広大な敷地と作物の所有者とは
その御主人だから
その農園の管理人が
一体誰か
その農夫たちは
管理人であるから
盗んではならないことだったが
美味しそうだと
盗んだ
その大旦那の所有物から
盗み
さらに
その主人の一人子を
相続人を
処刑してしまうのだから
これは
一体
どうしてか
責任とは
その農園の管理を適切にしている者だが
自分の所有にする事ではないことだった
ゆえに
収穫する者は少なかった
いまも
むかしも
預かる事であるだけで
所有する私物化とはしていないのだから
あえていうなら
所有とは
管理する事
その物品を
そのための費用
土地も
管理と云う事だ
その管理に関しても
費用が必要となる次第だし
国家としては
所有する事では
そこに税金を拠出する事を
要求することだけども
固定資産など
所得の税率など
では
その拠出されている資金では
一体
国家としての
運営者たちは
何に投資する事に
今現在しているのか
とか
生きる事に複数の支障を抱えていて
悶えている者
苦悩を抱えている者に
どんなその解決策
提案
問題を
共に
解決する者の派遣など
思案する事とか
その多くは実際には
宗教団体にお任せの分野だと云う事だ
福祉政策の施設運営などでも
または
慈善
ボランティアの組織から形成されている団体とか
自発によるグループ
当事者のグループ
公共の政策としても
一体その部分の
成立過程を
詳しく調査してみると
人の意向というものが
どんなものなのか
理解することを
支援する一つの品物となる次第だ
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
人というのは
一体
どんな存在なのか
という
大テーマなのであるから
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
宗教行為を
エンタメにして
人々を
操作し
操縦する
MEDIAとなっている機能を創作してきた過程もあるのだし
それを
地上の
王たちの中では
権威を統合化して
自国の利益の向上のために
利用してきた部分もあるし
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
王だけではない
選ばれた者でもそうだ
初期のイスラエルの王とは
サウルなのですから
人々が推挙した
人気ある者
王
それは
神が事後承認した事になっている
其の後はダビデの末裔が王として
成立しているとか
皇帝は一体誰かとか
大祭司
軍隊指揮権の最高位
行政の最高権者
律法の形成の最高位
大皇帝と云う事だけども
大元帥
大統領 土地を全部管理する大地主
全てはその一人の所有している御品物
それを
天の神に代わって
多くの一人びとりに
配分する使命があること
故に
人々を
大勢
あることで
養い
育む責任は
大皇帝にあることだからこそ
戦争で
発意して周辺諸国を自分に呑み込む事
それは
当然の仕事となる
隷属化している
周辺の民族を
戦争で敗退した時は
負けた国民は
全部
戦利品となるから
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
いまは
人権
ヒューマンライツ
それでも
人権を武器として
闘争する事もある
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
生命
自体は
ライツ
正しい事
どの人にも
完全に善い品物だ
という共有の認知形成の結実があるかどうか
だが
どうだろう
存在していたくないとうことを思慮している者もあるだろうけども
その者は
個別に
なぜ
に
そのように
自己の存在を憎しむ事を
常に実践しているのだろうか
南山堂安居子