エッフェル塔と並ぶ
パリのシンボル『凱旋門』。
1805年、オーステルリッツにおいて、
フランス軍を率いたナポレオンは
オーストリア・ロシア連合軍に
大勝利し、翌年、軍隊の勝利と
栄光を讃えるため、巨大な古代
ローマ風凱旋門の建造を命じました。
凱旋門はフランス語で、
『Arc de triomphe
(アルク ・ドゥ・ トリオンフ)』、
直訳は『戦勝のアーチ』です。
建築家シャルグランが設計し、
30年の月日を経て、完成したのは
ナポレオンがすでに、この世を
去った1836年のことでした。
流刑先のセント・ヘレナ島で、
生涯を終えたナポレオンの遺骸が
この凱旋門をくぐったのは1840年、
パリに改葬された時でした。
私が凱旋門に初めて登ったのは
今から15年前のことでした。
友人と旅行でパリを訪れ、1週間、
滞在しましたが、その時は将来、
フランス人と結婚して、この国に
住むことになるなんて、
思いもしませんでした。
人生、何が起こるか分かりません。
移住後は日常の風景となった凱旋門。
「登ろうと思えば、いつでも登れる」
と思うと登る機会を逃してしまい、
先日、主人に誘われ、15年ぶりに、
登ってきました。
まずはシャンゼリゼ通り脇の入口から
地下道を通り、凱旋門を間近に見学。
壁面のレリーフはナポレオンの
戦功を讃えるものです。
「1792年の義勇軍の出陣」
通称「ラ・マルセイエーズ」
マルセイユから集まった義勇兵たちが
国境を越える勢いを表した作品です。
「1810年の勝利」
勝利の女神がナポレオンに、
月桂樹を授ける場面です。
「1814年抵抗」
「1815年平和」
柱の側面には偉大な革命家、
共和制と帝政時代の将軍、
558名の名前が刻まれています。
高さ36.6m、幅14.6mのアーチの
天井には花と幾何学模様が
施されています。
「無名戦士の墓」
1920年11月11日、第一次世界大戦で、
戦死した一人の身元不明兵士の遺骸が
兵士の代表として埋葬されました。
毎日18時半に、退役軍人と
戦争被害者の団体により、
「追悼の炎」が灯されます。
門の真下にはこれまで、フランスが
関わってきた戦争の終戦記念の
プレートが埋め込まれています。
屋上へは272段の螺旋階段を
ひたすら上ります。
エレベーターもありますが、
身体が不自由な方の
専用エレベーターとなります。
15年前に、この階段を上った時は
とにかく、しんどかった記憶が
あります。
今回、再び、上ってみて感じたのは
階段は辛いですが、ノートルダム
寺院の方がもっと辛いです。
それも当然で、ノートルダム寺院は
最上部までは422段もあるのですから。
「ラ・マルセイエーズ」のレプリカ
屋上展望台の下は売店と展示室
になっていて、写真や模型などで、
凱旋門の歴史を解説しています。
第一次世界大戦の戦没者を悼む像
さらに階段を上ると、ようやく
展望台に、到着です。
東にはシャンゼリゼ通り。
街路樹の緑もなく、曇り空ですが、
パリの街が見渡せるのは
爽快感があります。
凱旋門を中心に、12本の通りが
放射状に延びていますが、かつて、
道は5本しかなく、「星=étoile
(エトワール)」のように見えるため、
人々はこの地をエトワール広場
(星の広場)と呼んでいました。
故に「Arc de triomphe de l'Etoile
(エトワール広場の凱旋門)」
という正式名称がついています。
※ 現在、この広場は
「Place Charles-de-Gaulle
(シャルル・ド・ゴール広場)」
と名称変更されています。
ノッポなビルは高さ210m、
59階建てのモンパルナス・タワー。
南にはエッフェル塔。
西にはグランダルシュ(新凱旋門)に、
ラ・デファンスの高層ビル群。
北には17区の街並み。
そして、小高いモンマルトルの丘
に建つサクレ・クール寺院。
ちょうどサクレ・クール寺院に、
スポットライトが当たっています。
地上50mの位置からもこうして、
パリの街並みが一望できるのは
高いビルの少ないパリならでは。
屋上は屋根もなく、ガラスで、遮られ
てもいないので、お天気が良ければ、
本当に気持ちが良いでしょうね。
寒さに耐えること必至ですが、
次回はクリスマスのイルミネーションの
時期にも登ってみたいと思いました。
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