昨年5月に父が他界したので、新年が明けたくらいでわたしには特にめでたいことはなにもございません。
昔からわたしはひねくれており、「今日が明日にかわるだけで、何を大騒ぎするのか?」程度のことでした・・・愛犬と初日の出を見るまでは・・・。
昨年12月中旬に受検した心臓の検査の結果、僧帽弁閉鎖不全症で、大動脈弁か三尖弁にも異常があることがわかりました。
今後は散歩も制限され、歩いては止まる、また歩いては止まる・・・と休憩を挟み、長時間・長距離の散歩はしないようにと指示があり、この先ずっと服薬の日々も続きます。
いっぽうで田舎の母のほうは、受診の結果、短期記憶の欠落が著しいことがわかり、認知症状のスピードを緩やかにする薬を毎日服用することになりました。
親族が近くにおらず、ひとりで生活するため、入浴時やバランスのとれた食生活(現在、炊飯、卵焼き、味噌汁しか作ることができず、食材も何が古くて新しいのか判断できません)の心配があるので、担当医師が努力してくださったおかげで、要介護1を認定してもらうことができました。
毎日夕食後に錠剤1錠だけの服薬のために、業務の手をとめて大きな声で母に電話をし、聞きたくもない同じ繰り返しの話を何度も聞き、かなりの時間をロスしているにもかかわらず、当の母は薬を飲んだことを忘れるので、一日に2錠も3錠も飲んでしまうということの繰り返しでした。
わたしも我慢の限界を突破し、そんな母に怒号を浴びせてしまいました(短期記録欠落者に毎回、日付の確認と “今日” 薬を飲んだということを確認させるためひとりで悩んで工夫して失敗して、また新しい方法を考える・・・の繰り返しです)。
でも、こんな時は母から離れようと決めていたので、「薬の飲みすぎで死んでしまっても仕方ない」と割り切って年が明けても知らぬふりをし、先日帰省するまでの間に、母とわたしの過去からの確執や母の自己中心的で自分勝手な性格など思いを巡らせていました。
夫と意見が珍しく一致したのですが、母は認知症とは関係なく、人が話をしている間に割り込み、まったく関係のない話をしてくること、我々に問いかけるというよりひとりごとが多いこと・・・などです。
ひとりごとが異常に多いのは昔からでした。
そのことを今回の帰省でやっと気づくことができたのもおかしな話ですが、気づくまではひとりごとのひとつひとつに返事を返していたのです。
なので、これからはこちらが疲れないよう無視をすることにしました。
薬のことも考えるだけでノイローゼになるのはわたしのほうなので、電話をかけるのもやめ、「一日に何錠飲もうが知ったことではない」と開きなおるくらいで構えることにしました。
こんな塩対応になっても母をかわいそうとも思えない、わたしにとって母とはそういう存在なのです。
こんな腐ったわたしでも求めてくれる犬が愛おしくてたまらないです。
ではまた、ごきげんよう。