いいこと、そうでないこと、変わり映えのないことで毎日が充実しすぎていてブログの記述からは遠のいていました。
田舎の母は、週二回デイサービスに通い、別日の週二回はヘルパーさんが訪問してくださっています。
現状に至るまでには、そりゃあもういろんなことがありました。
一番キツかったのは、冷蔵庫の故障でした。
実家に足を踏み入れた途端、ぷ〜んと異臭がしたので、祈るような気持ちで冷凍室の引き出しを開けたら案の定・・・臭いとともに生温かさが・・・
実家地域のごみ収集にはとても厳しいルールがあり、生ゴミもビニールごと処分することができないのです。
生物を覆うビニールは、きれいに洗って乾かしてから捨てることになっています。
でもそんな決まりを守っていられないくらいの状況だったので、ひとまず大きなビニール袋数枚に処分するものと常温で大丈夫なものと仕分けし、夫と冷蔵庫を買いに行きました。
わたしの精神が崩れたのは帰宅し、再び祈るような気持ちで冷蔵庫の扉を開けて庫内を目にしたその時でした。
ゴミとしてビニール袋に入れた食品が冷蔵室にすべて並んでいたのです。
嫌いな母のことが大嫌いに変化し、怒りと憎しみで噴火したわたしの脳は煙とともに噴射したようでした。
認知症患者にはどんなことがあっても反論せずに優しく・・・がモットーですが、それは赤の他人だからできることで、実母にはとてもそんな神対応は不可能です。
発狂状態のわたしを夫が諌め、母には優しく宥め・・・夫がいないとニュースにもたまにあるような事件に発展していたかもしれません。
わたしは怒りに任せて、再び冷蔵庫の中のものを仕分けし(わざとすべて捨てないようにしました)、ホームセンターで買ってきた45リットルのゴミ袋2個分に食品を放り込み、外の大きなバケツに投げ入れて蓋を閉めました(たまたま外の吹きっさらしの寒い場所に大きな大きなゴミバケツがあったのが幸いでした)。
母にどこに置いたか話してしまうと、ビニール袋から冷蔵庫に食品を戻すことが予想されたので秘密にしたまま大阪に戻りました。
何もなかった、見なかったことにして腐敗臭がして苦情が出るまで知らんぷりをしてようかとも思いましたが、バケツの中の生ごみは、わたしの心の中にたまったゴミのように感じて仕方ありませんでした。
夫に頼んで軽トラック(車内に乗せるのは臭いが染みついて取れない気がしたからです)を借りてもらい生ごみを大阪に持ち帰ることにしました。
そして、わたしはこの時、心身を崩す寸前まできていたのです。
手入れされなくなった庭には乙女椿が咲いていました。
つづく
ではまた、ごきげんよう。