日本のプロ野球とアメリカの大リーグで20年間活躍した松井秀喜選手が現役引退を発表しました。
以下引用・・・産経ニュース
苦難を力に変えた「努力の人」
巨人で10年、大リーグで10年。日米を代表する希代のホームランバッターが、節目の年に重い決断を下した。
国内復帰の待望論も渦巻く中で38歳が選んだのは、現役生活に終止符を打つという最後の選択肢だった。日米で刻んだ通算本塁打数は507本。松井といえば豪快な本塁打が代名詞だが、本人は何よりも「試合に出る」ことにこだわり続けた。
2006年のヤンキース時代、試合中に左手首を骨折したことによって途切れるまで、日米通算1768試合に連続出場した。一方で、故障には悩まされ続けた。両ひざを相次ぎ故障したことは、走力も求められる外野手としては致命的だった。大リーグでは指名打者の出場も多かったが、外野手としての出場にこだわり、最後までボールを追う姿は印象的だった。ボールを遠くに飛ばす天賦(てんぷ)の才能はもちろんだが、「努力の人」でもあった。
巨人で若手時代を過ごしたジャイアンツ寮(川崎市)にある通称「松井部屋」。そこには、素振りを繰り返したことですり切れた畳が残され、新人選手入寮の際は見学するのが恒例行事となっている。言いも知れぬ努力の積み重ねが、スラッガーとしての根幹にはあった。
「苦しみやつらさこそが、生きている証しではないでしょうか。僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考えます」自身の著書「不動心」(新潮新書)ではそう説いていた松井。苦難に満ちた野球人生だったが、それを受け入れ、力に変えてきたのも、「松井秀喜」という男の美学だった。(浅野英介)
引用終わり・・・
きのうの朝、まさかのニュースが飛び込んで来ました。
日本のプロ野球、そしてアメリカ大リーグで活躍した松井選手が現役引退との一報。
最初は信じられませんでしたが、日本時間で朝の7時から記者会見しているのを見て、松井選手の決断に男気を感じましたね。
日本で現役を続行しようと思えば、松井を採りたい球団は幾らでもあったと思います。
それでも引退という道を選んだ松井は凄いと・・・
思えば、松井が高校卒業時に阪神が採れなかったのが大きかったですね。
当時の松井は阪神ファン。
本人が公言しておりタイガースとは両思いでした。
私も松井は阪神に来るものと思い込んでましたから・・・
実に惜しいドラフトでしたね。
当時の中村勝広監督(現GM)の抽選がハズレ、長嶋さんに残り福で持って行かれる形となりました。
たらればになりますが、もし阪神に入団していたら、確実に巨人で残した成績以上のものを残していた
でしょう。
タイガース自体も変わっていたと思います。
しかしメジャーでのヤンキース、ピンストライプで残した成績も凄いもんです。
メジャー4球団を渡り歩きましたが、日本人、アメリカ人の心に残る選手になりましたね。
阪神に縁がなかったのは残念ですが、ホントにお疲れさまでした。
また、落ち着いたら阪神の指導者としても、野球人として後輩の育成をお願いしたいと思います。
繰り返しますがホントに現役引退、お疲れさまでした。