反核映画としては満点の出来栄え

ゴジラを輸入するに当たってすら反核を前に出せなかったアメリカで、ついにこんな映画が作れる時代になったのかと感心するほどに、本作は一貫して反核の姿勢が貫かれた映画だった。

 

「戦争を終わらせるため」「より多くの命を救うため」などという核兵器にはつきものの決まり文句すらも、単なるお為ごかしとして極めて冷ややかに描写し、核兵器を世に出した挙げ句実戦使用に手を染めた人類の愚かさを強調し、そして軍拡競争の果に行き着く暗い未来をちらつかせて映画は終わる。

 

もちろんこれは映画であるので、娯楽性に関しても軽視されてはいない。

オッペンハイマーの若手時代を描いた序盤こそ少々退屈さを覚えるものの、原爆開発が本格的に始動して以降、全米の叡智がロスアラモスに集積されて一大プロジェクトを成し遂げるさまは、その行き着く先を知っていてなお興奮を覚えるものであるし、終盤で焦点が当たるオッペンハイマーのスパイ疑惑については法廷ドラマとしてなかなか良くできている。

 

そして映画がしっかりと面白く、主人公であるオッペンハイマーが魅力的に描かれていればこそ、人類に災厄をもたらした彼の葛藤にも共感を覚えることが出来るわけだ。

 

アメリカの核の傘の庇護下に入り、核抑止の構造に加担している日本人としても、学ぶところは多い映画だろう。

唯一の難点

広島、長崎に直接カメラを向けなかったことを批判する向きもあるが、私としてはこの方針には賛成だ。描かないほうが想像を掻き立てられるということはある。

 

実際のところ映像として映し出されることこそ無くとも、8月6日はオッペンハイマーにとって最大の転換点としてことさらに強調されており、暗喩的演出でもってその惨状が見事に表現されている。


ただ文句があるとすれば、トリニティ実験の映像、アレはもう少しなんとかならなかったのか。

きっとガソリンを主成分とした燃料による演出だろう。私がアレを見て連想するのは全身タイツの五人組であり、とても核爆発には見えない。

 

きっとオッペンハイマーがプロメテウスに例えられることになぞらえて火炎を強調したのだろうが……8月6日を暗喩的演出に頼るのであれば、ここに限っては写実主義に立って描写するべきところだろう。

でなければ核爆発の実情を知らない観客が、広島で何が置きているのかを想像することができない。