〜〜なぜ人間の顔をつけた?〜〜

 

『モンスターズ/地球外生命体』『ゴジラ』など、偏執的とも言える精細さにより、モンスターSFに過度な現実性を与えてきたギャレス・エドワーズが、ロボットSFに挑戦するとどのような化学反応が起きるのか。

 

正直期待外れと言わざるを得ない。

 

『ザ・クリエイター/想像者』は凡庸な映画だ。

やさぐれた孤独な男が一人の少女と出会い、ある事情により旅を続けるうちに絆で結ばれ、やがては愛に目覚めて少女のために奮起する。

 

極々有り触れたロードムービーに、飽きるほど見てきた鋭角のSFデザインを被せて映画館に提供した、よくある普通の娯楽作である。

 

金がかかってるだけあって映像的な見せ場は多いので、劇場で見て損をすると言うほどのことは無いだろうが、さりとて長く語り継ぎたくなるような作品というわけでもない。

昨日鑑賞したばかりにも関わらず、私は既に主人公の名前を忘れつつある。きっと一ヶ月後には大まかなプロットすら忘却し、年明けにはタイトルを思い出すこともなくなるだろう。

 

ちゃんと頭を使いながら見てしまうと気になる点も多い。

AIの地位を巡ってアメリカと戦争をしているらしい「ニューアジア」の国家形態も判然とせず、物語の最終目標である「ノマド」は、冷静に考えてみると大陸間弾道ミサイルの方が脅威に見えるし、中盤で登場するバカでかい戦車が一体どうやってあんな場所に運び込まれたのかも不明。

展開優先で念入りな考証は放棄しているように見受けられ、監督が過去の作品で陳列してきた偏執性は見受けられない。

 

『モンスターズ/新種襲来』でも感じたが、おそらく監督は既にSFというものに飽きている。



 

この作品最大の問題点は、ロボットを人間に似せすぎたことだ。

このせいで観客の価値観にSF的な混乱を及ぼすことが殆どない。

 

物語の核となる「アルフィー」は、側頭部にメタルな材質が丸出しではあるものの、そこさえ見なければアニメを見るのが好きな極々普通の女の子である。

 

これでは観客が「果たしてロボットに心は宿るのか?」という命題に悩むことが出来ない。ぱっと見の外見で本能的な情愛が生じてしまうようでは、人とAIの垣根という高度に理性的な問題まで考えが及ばないのである。

 

明らかに人ならざる異物に対し、観客も最初は嫌悪感を覚えるものの、いつの間にか人と同じような情動を覚えていることに気付かされる。

その瞬間こそがロボットSFの肝心要だ。

 

そこがすっぽ抜けてるならロボットである意味はない。凝ったVFXで少女にメタルな部品を貼り付けなくとも、そのまま少女として描けばいいだろう。


 

アクション映画としてはほどほどの出来栄えだし、あまりこの手のロードムービーに覚えがない観客であれば、新鮮な感動が得られるかも知れない。

しかしながらそれはサイエンス・フィクションに特有の発見とは少し違うものであるため、注意が必要だ。