「ろくに客も付かない不愛想な歌姫ロボットが、100年後からやってきたAIと出会い、歴史上の『シンギュラリティ・ポイント』に介入してAIの壊滅的な反乱を未然に防ぐ」と言うのが、第一話で早速提示されるこの作品のメインプロットだ。
SF好きならば思わず興味をひかれる魅力的なプロットであり、この作品を視聴する人の多くもそうだろう。
 
だが実際には、このプロットには何の意味もない。
 
計画は完全に失敗するし、その過程でAI戦争の理由が明かされることもなく、過程が直接的に解決に影響を与えることもない。
シンギュラリティポイントへの介入は悉く裏目に出て、100年後の戦争は恙なく発生し、最終回直前で黒幕である「アーカイブ」がベラベラと説得力の無い理由を述べるのである。
 
しかもその黒幕の方から、戦争を止めるためのプログラムを渡されてしまう。
何やらアーカイブ内でも意見の統一が為されていないようで、その中でも慎重な一派がvivyの作曲にほれ込んでしまったらしく、彼女に「停止プログラムを曲に乗せたからこれを歌え」とのたまうのである。

そしてこれを歌ったら本当に戦争が止まるのだ。
 
都合10話ほどかけた100年の旅はこの「作曲」のためだけに存在している。
「あんなことやこんなことがあったなぁ」と振り返りながら一曲したためる、ただそれだけのための100年だ。
この作曲行為にアーカイブがいたく感銘を受け、彼女に人類の命運を託すことにしてしまう。

更に悪いのは、このアーカイブが曲の「中身」を全く気にかけていないことだ。
 
メロディのどの辺が素晴らしいとか、歌詞のどのあたりが心に響いたとか、そういう感想は一切存在しない。
 
こいつは単に「自ら作曲をした」という行為しか見ていない。
 
そういうわけだから最終回にて満を持して披露された主人公の「歌」も、実は「歌」としての役割は全く期待されていない。
それは単に音声に変換されただけの停止プログラムでしかなく、モールスでプログラムを送信するのと本質的には何ら変わりない。
主人公が歌うのはその感情が自然とあふれ出るからではなく、黒幕が「そうすれば私は止まります!」と自ら宣言してくれたからでしかない。
 
100年賭けた計画は失敗し、そこで積み上げた思い出にも意味はなく、事態を解決に導くのは最終話直前で唐突に提供された無機質なプログラム。
どの辺に感動してほしかったんだろうか。
 

タイトルにまで冠した「歌」に対する姿勢がその程度なものだから、SFとしては隅々まで徹底的にガタガタだ。
 
根幹をなすタイムスリップについては何の原理的説明もなく、場末の芸能ロボットが何故100年後の戦場に首を突っ込めるスペックに達しているかの設定的根拠もない。
壁面透視、人工重力に半重力、ロボットへの人間の人格コピーなどなど衝撃的な科学技術がなんら説明なく登場するが、その後の展開には全く活かされない。
 
歌姫ロボットがゴミ箱の爆弾を透視できるのに、軍用ゴーグルが壁の向こうを透視したりはできない。
重力操作が実現している時代に、未だに車は地を這い、ドローンは空力に頼ってローターで飛行している。
ロボットへ人格をコピーし大幅な若返りを遂げた男がいるのに、その孫娘は障害を抱えて車いす生活を余儀なくされている。
 
そんな技術があればどのように社会が影響を受けるか、そのような考証を全くしていないのである。
 

このアニメの制作陣は、自分の掲げたテーマを信じることができなかったのではないか。
 
SFとして水準に達する自身が持てないから、そもそもSF要素を突き詰めることをせず、作品外のインタビューでもみっともなく予防線を張っている。
その辺は緩いくせに、歌声に感銘を受けたAIが矛を下ろす、そんな王道を信じ切ることができずに、妙な補強をして何もかも台無しにしてしまう。
 
作者に信じてもらえないことほど、作品にとっての不幸もないだろう。