*作品のネタバレを含みます*
TVシリーズから外伝に至るまで泣かされ続けたシリーズで今回も盛大に泣くつもりで映画館に出向いた。
だというのに、いざ鑑賞してみれば私の目に涙が浮かぶことはなく、頭の中は常に疑問符で埋め尽くされっぱなしであり、エンドロールが流れ始めるとだんだん腹が立ってきた。
本作は典型的な蛇足だ。
続編を作るにあたってテーマの置き所に困り、過去に解決済みの問題をもう一度蒸し返すという短絡的手法を取った結果、キャラクターの人格を醜く歪ませ、そして前作の様々なエピソードを遡って貶めてしまった。
それのみならず、そもそも本作は単体の物語として筋が曲がりすぎている。
ユリス少年のエピソードはおかしなところだらけだ。あのヴァイオレットが柄にもなく規定に違反し、報告を怠り、しかも任務すら中途で放置して旅に出た結果、依頼主の死期に間に合わずにC・H郵便社総出で尻拭いをする羽目になった。
よくもまぁこれを美談として描けたものである。
より核心的問題は、なぜヴァイオレットは依頼主が肉声で真意を伝えるように仕向けなかったのか、と言う点だ。そういう代筆屋の領分を越えた仕事ができるからこそ、ヴァイオレットはライデンに名だたる自動手記人形となったのだろう。
余命幾ばくも無い少年が、ささやかな恥じらいのために家族へ胸中を明かすことができず、代わりとして遺書をしたためる。両親は躯の隣でそれを読み、何もかもが手遅れになってから、ようやく息子の真意に触れるのである。
今作は隅々までこの調子であり、ホッジンズにしてもギルベルトにしても、或いは脇役の幼い少女に至るまで描写の筋が曲がっている。
喜ばしいことに、本作において京アニの作画の素晴らしさは健在であった。
あれほどの悲劇がありながらなおここまでの映像を完成させ得たこと、一ファンとして心より嬉しく思う。
この圧倒的な作画と実力派声優たちの名演、そして壮大なバックグラウンドミュージックが組み合わさるのだから、感動して涙を流せた方々の感想を否定する気はない。
だがそれができているからといって、骨子たる物語がぐらついていて良いわけではないだろう。もしも話にしっかりと筋が通っていたならば、更に映像美を活かすことができ、より大きな感動を観客に与えられたはずなのだ。
今作はその機会を手放したのである。
ところでユリス少年の話をTVシリーズ第10話『Loved Ones Will Always Watch Over You』のセルフオマージュだと解釈する向きもあるらしい。
観客それぞれがどう見るかは勝手だが、もしも本当に作り手がそのつもりなら(実際その可能性が高いが)私は正気を疑う。
アンの母親が余命を費やしてまで遺書を書いたのは、娘の人生に今後50年にわたって寄り添い続けるためであった。
そしてそのような思惑があってなお、娘との今を犠牲にしなければならないことは、親子双方にとってとても辛いことなのだと描いたのが10話であったはずだ。
たった3通の短い遺書を生前の語らいに代えることを、あのエピソードが肯定することはない。