先に挨拶を送ろう
対人恐怖症の人は、挨拶をされた時、丁寧に挨拶を返さない場合が多いです。内心では、自分のようなものに挨拶を送ってくれたことに喜びを感じているのに、それを素直に表せないのです。そればかりか、緊張のあまり表情が硬くなってしまい、かえって不機嫌であるかのように見えてしまうのです。挨拶した方は、声をかけて悪かったのかと気を使う人もいる。中にはなんて失礼な、と不機嫌な思いをする人もいるのです。■相手を尊重するしるし このようなことでは滑らかな対人関係を期待できるわけがありません。ましてや打ち解けるということはムリでしょう。 まず挨拶をされたら心の中で「挨拶をしてくださって、ありがとう。」とつぶやきながら、相手にわかるように挨拶を返すのです。 するとそこに何かが生まれるのです。ささやかではありますが、挨拶なしでは生まれない温かい何かが・・・。でも、挨拶されるのを待ってるうちは、子供の段階です。 自分から先に挨拶を送れば、そこに何か温かなものを生じさせる能動的な役割を担うことができます。そこに与える喜びが生じます。 人間として未熟な段階で、挨拶について受動的か、能動的かはやがて千歩開きができます。挨拶を交わすということは、お互いの存在を認め合うことになるのです。 先に挨拶を送るということとは、相手を尊重しているしるしです。ですから先に挨拶を送られて、機嫌の悪くなる人間はまずいません。その気待ちが挨拶にこもって返されるので、挨拶の送り手は送る喜びと、返された喜びの二重の喜びを得ることができます。 前にも書きましたが、人間的成長の度合いは、与えることの喜びの体得の度合いと言っても言い過ぎではありません。 人は尊重され期待されたら、尊重し期待してくれた人間に対して、それに不破しい人間であることを、示したいものであります。信頼に対しては信頼をもって応える、これが人間関係の根本であります。