なんと、昨日はバレンタインデーだったとか。
まさかの、チョコ果0。いや、ここ数年は0更新。

今の職場の95%が男性だからだろうか。
そういえば、その5%の女性は「すべての男性」へ向けたチョコをくれてたっけ。

今日は、若い頭脳と部屋に2時間こもって議論。
進捗を共有してもらうだけのはずだったのが、若い頭脳と話していると楽しくて、最後の方はすっかり忘れていた物理学の積分だらけの式がホワイトボードに並んでいた。

部屋に戻ると、ぼくらを入れて4人しかいなかった。
みんなどこ行ったんだ?
あ、バレンタインだから早々に帰ったのか。
炎上中の2人と、「支援しても良いよ」と言ってしまったぼく。
いつも遅くまでいる↑の若い頭脳でさえ、ぼくより先に「お先失礼します」。

ぼくは、案件よりも、シミュレーション中のポートフォリオが気になりだした。
そういえば今日は一度も見ていなかった。
やはりあの銘柄は下がり過ぎていた。買ってよかった。
だが、勢いで買った銘柄は底ではなかったらしい。

仕事の話を書くのは異例中の異例だ。
別にいままで禁じていたというわけでもないのだが。
兆候。

若いころ親父がよく言っていた。「役員の●●さん、何の仕事もないのに土曜日も出勤するんだよ。出勤してずーっと机で新聞や本を読んで買えるんだよ。だから、なんとなく社員も休日出勤しなきゃいけないんだよ」。

昭和に近い時代の話だから隔世の感はあるが、今でもそういう風習はあるのだろうか。

だが、もしかして日本が高度成長した構造の一つがこういった人間関係が織りなす風習だったのだろう。

昭和の人「いやー別に休日出勤しなくてもよいんだけどね」
平成の人「じゃあ何で?」
昭和の人「いやぁだってほら、みんな出社してるでしょ、俺だけ休むってわけにもいかない雰囲気でさ」
平成の人「そんなん関係無いじゃん、だいたい会社にとっても無駄なコストにならないか?」

家よりも職場が落ち着きだしたり、居間よりもトイレのほうが落ち着きだしたり、キャバクラよりもスナックのほうが落ち着くようになったりする人の話。

人はこうやって仕事におかされながら年をとってゆくのだろうか。

「俺の年の重ね方」
「ぼくの年の重ね方」
「私の年の重ね方」

重ね方も何も、年は勝手に重なっていくものが、古いものはうまい具合に消えてゆく。物理的に消えるのではなくて、おそらく、要約されて圧縮されて、書庫にしまわれるのだ。

「ワーク・ライフ・バランス」そんなことをうたう会社はたいてい激務だ。
体育会系の上下関係と、無知で細かいくせに金払いは良い客との関係。
ぼくの今の仕事ではそんな関係はあまりみられ無いが。

大井町で乗り換えようとしたら急行だったので書店に行く。
テクニカル分析の本をパラパラ見る。勘と経験のテクニカル分析に、理論が追いつこうとしている。だが、大井町の書店には、いかなる理論の本もない。
読書に打って付けのスタバだが、今日は通過する。朝からカフェイン漬けだったので。
何気なく店の中を見ると、一人の女性と目が合う。あ、可愛い。高1のある瞬間を思い出すが、次の瞬間はテクニカル分析が見落としている構造的なものを暴き出す視点が無いだろうかということを考えていた。

要するに、楽して10億ぐらいもうけて、北海道の湖畔に別荘を建て、夏は北海道、冬は東京という理想の生活をしたい。いや、冬は沖縄だろうか。台湾だろうか。グアム。グアム。許せないが、グアムは悪くない。どこの国でも起こりうるのだ。覚醒剤を使用していようがいまいが。現にぼくのデスクから見える交差点では、あの忌まわしい…

100億なんていらないたった10億でいいんだ。
隠された構造をこっそり教えてくれ。

尻切れ。