おかげさまの発想
私は、『おかげさまで、』
という発想が好きです。
この考え方が、日本固有のものであるかは、
定かではありませんが、
『人間は、自分一人で生きているのではなくて、
自分以外の誰かのおかげで、生かされている。』
という発想は、とても大切な考え方だと思います。
私の家庭教師の授業のなかで、
この『おかげ発想』を伝えていくことは、
大切な事だと考えています。
当たり前のものなどない。
今与えられている恵まれている環境に気づいてもらうこと。
そして、与えてもらった環境を十分に生かし、
ひいては、自分以外の誰かの役に立つ人間に成っていってもらう。
両親に感謝し、友達や、周りの人にも感謝の気持ちを持つ。
私は、家庭教師という極めて濃密な人間関係を形成する時間に
学校の勉強以外にも、伝えなくてはならないことがあると思っています。
たとえば、この『おかげさまで、』という発想。
この発想が、生徒の心に響きだしたとき、
本格的な行動の変化や、目に見える成長を目の当たりにすることになります。
という発想が好きです。
この考え方が、日本固有のものであるかは、
定かではありませんが、
『人間は、自分一人で生きているのではなくて、
自分以外の誰かのおかげで、生かされている。』
という発想は、とても大切な考え方だと思います。
私の家庭教師の授業のなかで、
この『おかげ発想』を伝えていくことは、
大切な事だと考えています。
当たり前のものなどない。
今与えられている恵まれている環境に気づいてもらうこと。
そして、与えてもらった環境を十分に生かし、
ひいては、自分以外の誰かの役に立つ人間に成っていってもらう。
両親に感謝し、友達や、周りの人にも感謝の気持ちを持つ。
私は、家庭教師という極めて濃密な人間関係を形成する時間に
学校の勉強以外にも、伝えなくてはならないことがあると思っています。
たとえば、この『おかげさまで、』という発想。
この発想が、生徒の心に響きだしたとき、
本格的な行動の変化や、目に見える成長を目の当たりにすることになります。
説明するということ。
自分以外の誰かに
何かを、伝えようとか
説明しようとするとき、
人によって、
様々な方法をとるのだと思います。
また、説明ということに対し、
得意不得意や、相手によって
手法を変えなくてはならなかったり、
さまざまな要素が、ここには含まれてきます。
私が、19、20歳の時、
思い立って、単身ヨーロッパに旅立ったとき、
当時、英語は、高校までしかやってなかったし、
もちろん、まともに使ったこともない状態で、
それ以外の語学は、全くできない、やったこともない状態で
行ったわけですが、
コミュニケーションの手段として、
何を思いついたかと言いますと
スケッチブックを持って絵を描いて説明することでした。
結果これが、けっこう、通用したのです。
この経験に味を占めたのか、
図式化すると、わかってもらいやすくなる。
ということを一つ学びました。
若かりし日、オーストリア、ウィーン市内にて

図式化して、説明すると伝わりやすくなる。
この私がたどりついた見解は、
前職での現場のマニュアル作りや、
生徒を指導する現場において、
大いに活用しています。
もちろん、コミュニケーションの中で、
言葉を用いて説明することが、
基本ではありますが、
適切な言葉と図解があれば、
相当、効果を発揮することができます。
わかりやすく、図式化できるということは、
何かを説明する作業において
必要なスキルであると私は、思います。
何かを、伝えようとか
説明しようとするとき、
人によって、
様々な方法をとるのだと思います。
また、説明ということに対し、
得意不得意や、相手によって
手法を変えなくてはならなかったり、
さまざまな要素が、ここには含まれてきます。
私が、19、20歳の時、
思い立って、単身ヨーロッパに旅立ったとき、
当時、英語は、高校までしかやってなかったし、
もちろん、まともに使ったこともない状態で、
それ以外の語学は、全くできない、やったこともない状態で
行ったわけですが、
コミュニケーションの手段として、
何を思いついたかと言いますと
スケッチブックを持って絵を描いて説明することでした。
結果これが、けっこう、通用したのです。
この経験に味を占めたのか、
図式化すると、わかってもらいやすくなる。
ということを一つ学びました。
若かりし日、オーストリア、ウィーン市内にて

図式化して、説明すると伝わりやすくなる。
この私がたどりついた見解は、
前職での現場のマニュアル作りや、
生徒を指導する現場において、
大いに活用しています。
もちろん、コミュニケーションの中で、
言葉を用いて説明することが、
基本ではありますが、
適切な言葉と図解があれば、
相当、効果を発揮することができます。
わかりやすく、図式化できるということは、
何かを説明する作業において
必要なスキルであると私は、思います。
惨憺たる日本の民主主義のあり方
先日、書いた辞任した松本大臣の件について、
もう少し書きます。
報道全般に対してメディアリテラシーという考え方があります。
私が教えている中学生の国語の教科書にも
取り上げられていたりします。
メディアから発せられる情報は、
必ず、編集され、製作者側の意図が、
反映されて受け手の側に届くので、
受け取る側は、けっして鵜呑みにしては、
ダメですよ。
中立的な価値基準を持って、
メディアに接したほうがいいですよ。
発する側も、慎重さが要りますよ。
と、まあ、こういった考え方ですが、
そういった情報を発する側の意図を
十分に差し引いたとしても、
昨晩見た、いくつかのニュースの中に
出ていた松本龍という人間が、
発していた言葉は、正気の沙汰とは思えない惨憺たる内容でした。
この記事をお読みになっている多くの方々も、
見られたことと思います。
一国の大臣の辞任会見において、あれほど、人間性というものの
惨憺たるすさんだ状況を目の当たりにしたことは、
後にも先にも、これが初めてです。
奇跡的に会見の最後のほうまで、
伝えていたニュース番組がありましたが、
・『つなみ』 という被災された子供さんが書いた文集を買い付けて、売り付けてやろうと思っていた。という発言や、
・会見終了間際、被災者に対する詫びているところを、最初に使ってくれと要求する発言。
・各知事、地方自治体の首長の名前を呼び捨てにし、
・辞任会見の冒頭に家族のおかげだということが先にきていて、辞任の理由を個人的理由で締めくくるということの重大さを全く認識できていない点。
・自分の名前にちなんでつけたのでしょうが、復興に当たる組織ののことを『チームドラゴン』と呼び、私は去るけど、チームドラゴンは、最強だとわけのわからないことを口にしたり
どこを切っても、自己顕示欲しか見当たりません。
人として、完全に間違っていると思います。
あのような人間を国会議員として送り込んでいる
地域の有権者にも、十分に責任を感じてもらいたいと思います。
未曽有の大災害の後、
食べるものにも事欠く東北の方々の
ために国が一つになって、支援していかなければならない時に
あのような、社会通念上、許しがたい人間を
復興大臣に任命する。
人として間違っている人にもっとも、政治の力を、
人の支援の輪を必要としているところへ、
大臣として送り込む、人間を見抜く力の全くない現政権、
もう、うんざりなのです。
しかし、もう一つ残念なことに
それを批判している野党、自民党に、
批判するほどの仕事が、果たしてできるのでしょうか?
民主党へと政権交代する前の首相、麻生、安倍両首相は、
今の菅政権とどれだけ、、差異があったのでしょうか?
大差ないのです。
押しなべて、日本が、今行っている民主主義の現実は、
機能することができない国会や、議員たちに
無駄な膨大なお金をつぎ込んでいるに過ぎないのです。
これを、民主主義と呼ぶのでしょうか?
もう少し書きます。
報道全般に対してメディアリテラシーという考え方があります。
私が教えている中学生の国語の教科書にも
取り上げられていたりします。
メディアから発せられる情報は、
必ず、編集され、製作者側の意図が、
反映されて受け手の側に届くので、
受け取る側は、けっして鵜呑みにしては、
ダメですよ。
中立的な価値基準を持って、
メディアに接したほうがいいですよ。
発する側も、慎重さが要りますよ。
と、まあ、こういった考え方ですが、
そういった情報を発する側の意図を
十分に差し引いたとしても、
昨晩見た、いくつかのニュースの中に
出ていた松本龍という人間が、
発していた言葉は、正気の沙汰とは思えない惨憺たる内容でした。
この記事をお読みになっている多くの方々も、
見られたことと思います。
一国の大臣の辞任会見において、あれほど、人間性というものの
惨憺たるすさんだ状況を目の当たりにしたことは、
後にも先にも、これが初めてです。
奇跡的に会見の最後のほうまで、
伝えていたニュース番組がありましたが、
・『つなみ』 という被災された子供さんが書いた文集を買い付けて、売り付けてやろうと思っていた。という発言や、
・会見終了間際、被災者に対する詫びているところを、最初に使ってくれと要求する発言。
・各知事、地方自治体の首長の名前を呼び捨てにし、
・辞任会見の冒頭に家族のおかげだということが先にきていて、辞任の理由を個人的理由で締めくくるということの重大さを全く認識できていない点。
・自分の名前にちなんでつけたのでしょうが、復興に当たる組織ののことを『チームドラゴン』と呼び、私は去るけど、チームドラゴンは、最強だとわけのわからないことを口にしたり
どこを切っても、自己顕示欲しか見当たりません。
人として、完全に間違っていると思います。
あのような人間を国会議員として送り込んでいる
地域の有権者にも、十分に責任を感じてもらいたいと思います。
未曽有の大災害の後、
食べるものにも事欠く東北の方々の
ために国が一つになって、支援していかなければならない時に
あのような、社会通念上、許しがたい人間を
復興大臣に任命する。
人として間違っている人にもっとも、政治の力を、
人の支援の輪を必要としているところへ、
大臣として送り込む、人間を見抜く力の全くない現政権、
もう、うんざりなのです。
しかし、もう一つ残念なことに
それを批判している野党、自民党に、
批判するほどの仕事が、果たしてできるのでしょうか?
民主党へと政権交代する前の首相、麻生、安倍両首相は、
今の菅政権とどれだけ、、差異があったのでしょうか?
大差ないのです。
押しなべて、日本が、今行っている民主主義の現実は、
機能することができない国会や、議員たちに
無駄な膨大なお金をつぎ込んでいるに過ぎないのです。
これを、民主主義と呼ぶのでしょうか?