家庭教師であるという事。 -22ページ目

分からないところを知ること

テストの点数が、
伸びてこない理由の一つに、

『分からないところが、分からない。』

ことがあります。


私は、
「分からないところが、見つかったら、ラッキーだ。」
と生徒さんに伝えます。


点数が取れないのは、

チェック分かっているところと、分からない所の境が曖昧であったり、

チェック分かっているつもりになっている。

チェック分からないものが、何なのか分からない。


などなど、
『分かる』とは、もちろん、
『できる』ところまでいかないといけませんが、
どうも、この『できる』『わかる』『分からない』

あたりが、曖昧になりがちです。


例えば、単純なところで英単語を覚えにかかったとします。

その日に3回書いて、練習して、見ないで書けるようになった単語があったとします。

テストまでの期間が、数週間あったとして、
テストの時にそれが書けるかと言えば、
確率が、すごく低くなるわけです。


つまり、『できる』『使える』状態まで、
持っていくためには、それ相応の準備が、
必要なわけです。


いち時期、その瞬間できたからといって、
今後、ずっと『できる』状態にあるかどうかを、
疑ってかからねば、『できる』までなかなか至れないのが、
人間の記憶力なのです。


そこで、私が生徒さんにお薦めするのは、

『分からないところを見つける作業』です。

私の言葉で、このことを、

『抽出作業』

と呼ぶのですが、


この『抽出作業』をしっかりやることによって、
格段に学習の精度が上がります。



『抽出作業』を通して、

分からないものを、分かるようにしていけば、
良いわけです。


したがって、現在わからない、できない問題群を
明確にすることによって、
やるべきことが見えてくるわけです。


分からないこと、

できないことが何なのか!?


それを真摯に追求する目を養い、

それに向かって、克服していく姿勢を、

身に付けていってもらえば、

学校の成績を上昇させることは、

難しいことではないのです。



分からないところが、
分からない。




このことが、学習から、
子供たちを遠ざける
一つの要因であることは、
間違いないと思います。





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感謝することを説く

題名として厳かに掲げた

『感謝することを説く』

実は、これは、当たり前のことなんですよね。


日本人が、古来から、持ち続けてきた伝統的発想でもあるし、

難しいことではない。


しかし、日本人が、いつしか、固有の精神性を忘れ、
精神性より、『もの』の優位性に流れてしまってから、
今更見直さなくてはならないことになっている。


物質的に満たされた日本人は、未曽有の大震災を経験し、
本来の日本人の良いところを取り戻しつつある。

皮肉なものです。

未曽有の大震災は、日本全国に、

『ありがたみ』

という発想を、
思い起こさせてくれました。
水も、電気も当たり前ではなかった。

端的な、表現ですが、そのようなことが、
起こるわけがないと思っていたら、
起こったわけです。


私は、家庭教師の時間に感謝することの大切さを、時折、
生徒さんに説きます。

恵まれすぎて、いまいち、ピンとこない生徒さんには、
具体的に数値化して、見せたりもします。


人間世界においては、当たり前ではない。

生かされているんだ。

と、こう話しかけるわけです。

私は、宗教家でも思想家でもありませんが、
この感謝するという心、
おかげさま、という心を持つことは、
大変貴重で、大切な事だと強く思うのです。


良くしてくれた自分以外の人
(両親、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚、友達、恋人、同僚などなど)
関わりのあった人たちすべてが、
自分の人生を形成してくれているのです。


感謝するということは、
相手を思いやる心を持つことでもあります。

自分一人では、
生きられない。

そう感じたとき、
人と人は、強くつながることができ、
共に活かしあえる土壌が生まれるのだと思います。


私は、最近、つくづくそう思うのです。

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中学校教育の盲点

私は、現在、仕事として、
主に中学生を対象に

5教科(国、社、数、理、英)を中心に

日常の学習方法の指導や、定期テスト対策、高校入試に至るまでの

学習指導をさせて頂いているわけですが、

中学教育に対し、
この記事で、一石を投じたいことがあります。


それは、
中学教育において、
生徒の自発的な、
選択の自由をもう少し与えてやってほしい!!

ということです。


現在の中学生の学校教育は、
広く、網羅していくことに主眼が置かれていると感じます。

それは、中学校という学校制度の特質と、
切っても切れない状況から発する理由からです。

・義務教育である。

・中学卒業後、高校、専門学校、大学、大学院と
専門性を高める学校システムが確立している。



と、まぁこのような理由において、
中学校の間は、みんなが、ほぼ、同じ内容で学習しましょうという国の方針なのでしょう。


しかし、私は思うのです。


中学生という発想力が豊かで、可能性を無限大に秘めた時期に、
学習において、網羅することに終始するのではなく、
探究する学習の兆しを少しでも得ることができたなら、
どれだけ、ラッキーだろうと。



高校のように、選択授業を設けて、
興味のあるものに対し、
自発的に取り組めるようにしてあげたら、
どんなに良いだろうか。




そう思うのです。



例えば、中学生の時にロボットに興味があったとします。
(不思議と私の生徒には、ロボットに興味がある生徒が多いのですが、)

我々が薦められるのは、
「ロボットを学ぶなら、この高校がいいよ。」

としか言いようがないのです。
好奇心に待ったをかけなくてはならないのが現状です。


つまり、ロボットに強く傾倒したいと思っても、
その時間に多く費やせば、テストの点数は、採れなくなるのです。

それは、カリキュラムが、中学校にはないからです。



この生徒が、本当にロボットに興味があるのなら、
学校の勉強(主要5教科+3教科)以外に、
この勉強をやらなくてはならず、
まんべんなく好成績をあげ、ロボットの専門知識を両立させたのなら、
よほどの秀才だということになります。




世の中は、どんどん専門性というものを、
求められている流れがあります。




学問の楽しさや、面白さや醍醐味は、
わかるようになった事や、
興味のあること、
もしくは、興味が湧いてきたことを
少しづつ掘り下げていくことにあります。


学校の先生方もそのようなジレンマを、
感じられている方々も多いのではないかと思います。



もう少し、詳しく教えてあげたいのに・・・。


私の家庭教師の時間では、

一見、テストの点数とは、関連性のなさそうな世の中の出来事を多く登場させ、
現在、やらなくてはならない勉強との関連性を説いたりしています。


ビジネス関連、歴史、哲学、時事ネタ、人事ネタなどなど、
私が体験してきた事柄や、学んできた事柄を総動員して、
おもちゃ箱のような授業を展開していきます。

必要だと思うものは、
何でも取り入れていくのが、
私の主義です。

学校制度そのものも、

時代のニーズや、

生徒のニーズにもう少し、

懐のある手法を取り入れてもいいような、

そんな気がします。


世の大人が、

思っている以上に

日本の中学生は、
勤勉で、まじめで、好奇心旺盛で、面白い才能をたくさん持っています。



それを伸ばしていくのは、

われわれ、大人の使命であり、国の使命でもあると思うのです。








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