不安定な思春期の衝動
『自主性』を引き出す家庭教師@マキノです。
教育産業に身を置いていると
思春期のお子さんの子育てに悩む親御さんは、
ことのほか多いことに気づきます。
問題になるのは、
個別によって違いますが、
大きなポイントは、
二つあるように思います。
・思春期のお子さんの行動と言動の不安定さ
・親子間の距離感の難しさ
特に男の子とお母さんの距離感が
ひじょうに難しくなるように感じます。
親御さん側 もう少し頑張ってほしい。
お子さん側 頑張ろうと思っている。でも行動に結びつかない。
親御さん側 小学生の頃はちゃんと話してくれたのに。
お子さん側 そっとしておいてほしい。
親御さん側 何を考えているかわからない。
お子さん側 口にははっきり言い表せないモヤモヤ感でどうしていいかわからない。
このような、コミュニケーションの齟齬が、
よく起こっているような気がします。
思い起こせば、私もその頃そうだったかもしれません。
このような親子間のコミュニケーションの難しい状態を
埋める役割も求められることが多くなっています。
微妙な距離感のバランスを保つ役割も
少し担うこともあります。
どのような仕事も、
その中に含まれる役割というものは、
探せば探すほど出てくるものです。
お役にたてることを
着実にコツコツとやっていく、
この事が信頼関係を生み
成績も上がり、親子関係も円滑にできる。
たいへん、意義のある仕事をさせて頂いています。


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教育産業に身を置いていると
思春期のお子さんの子育てに悩む親御さんは、
ことのほか多いことに気づきます。
問題になるのは、
個別によって違いますが、
大きなポイントは、
二つあるように思います。
・思春期のお子さんの行動と言動の不安定さ
・親子間の距離感の難しさ
特に男の子とお母さんの距離感が
ひじょうに難しくなるように感じます。
親御さん側 もう少し頑張ってほしい。
お子さん側 頑張ろうと思っている。でも行動に結びつかない。
親御さん側 小学生の頃はちゃんと話してくれたのに。
お子さん側 そっとしておいてほしい。
親御さん側 何を考えているかわからない。
お子さん側 口にははっきり言い表せないモヤモヤ感でどうしていいかわからない。
このような、コミュニケーションの齟齬が、
よく起こっているような気がします。
思い起こせば、私もその頃そうだったかもしれません。
このような親子間のコミュニケーションの難しい状態を
埋める役割も求められることが多くなっています。
微妙な距離感のバランスを保つ役割も
少し担うこともあります。
どのような仕事も、
その中に含まれる役割というものは、
探せば探すほど出てくるものです。
お役にたてることを
着実にコツコツとやっていく、
この事が信頼関係を生み
成績も上がり、親子関係も円滑にできる。
たいへん、意義のある仕事をさせて頂いています。
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三国志に見る登場人物の才能の妙
近頃、『才能』という言葉を
よく使う『自主性』を引き出す家庭教師@マキノです。
歴史や、物語の中で、
突出した人物を描き出したものは、
世界中に昔からあって、
また、今も制作され続けています。
物語の時代考証や、バックグラウンドや、
他の人物との兼ね合いで、
才能のある人物や、
特徴のある人物が、
浮き彫りになるわけですが、
三国志ほど、
はるか悠久の時を経ても、
人の才能というものを
輝かせ続けている物語はないように思います。
頭の良い人、
戦争に強い人、
政治能力に長けた人、
人徳がある人、
血筋がいい人、
長いものに巻かれることが得意な人、
などなど、
登場人物個々の才能を活かして
乱世を生きていきます。
それぞれの思惑や人生の流れがあって、
途中で死んでいく人もいれば、
諸葛亮孔明のように
生き延びて天寿を全うする人もいます。
私は、この三国志の物語から、
多くを学びました。
僭越ながら私は、
趙雲のようにありたいなあ。
と、陰ながら思っております。
ここで教わるのは、
才能というのは、
多種多様であるということです。
個性と才能、
このマッチングが、
人を活かすことを学ばせてくれます。
三国志には、
何度触れても発見があります。


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よく使う『自主性』を引き出す家庭教師@マキノです。
歴史や、物語の中で、
突出した人物を描き出したものは、
世界中に昔からあって、
また、今も制作され続けています。
物語の時代考証や、バックグラウンドや、
他の人物との兼ね合いで、
才能のある人物や、
特徴のある人物が、
浮き彫りになるわけですが、
三国志ほど、
はるか悠久の時を経ても、
人の才能というものを
輝かせ続けている物語はないように思います。
頭の良い人、
戦争に強い人、
政治能力に長けた人、
人徳がある人、
血筋がいい人、
長いものに巻かれることが得意な人、
などなど、
登場人物個々の才能を活かして
乱世を生きていきます。
それぞれの思惑や人生の流れがあって、
途中で死んでいく人もいれば、
諸葛亮孔明のように
生き延びて天寿を全うする人もいます。
私は、この三国志の物語から、
多くを学びました。
僭越ながら私は、
趙雲のようにありたいなあ。
と、陰ながら思っております。
ここで教わるのは、
才能というのは、
多種多様であるということです。
個性と才能、
このマッチングが、
人を活かすことを学ばせてくれます。
三国志には、
何度触れても発見があります。
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過ぎ去る時と才能の概念
こんばんわ
『自主性』を引き出す家庭教師@マキノです。
今日、お題にさせて頂くのは、
『過ぎ去る時と才能の概念』です。
人間は、否応なく歳をとります。
人生は有限です。
かの俳人、松尾芭蕉の
『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。』
時を表す表現の文章として、
これほど、簡潔に表現され秀逸な文章に出会ったことがありませんが、
『否応なく過ぎ去る時』と
『才能の関係』というのは、
私は切っても切れないような気がしています。
『見出される時期』というようなものが、
人間にはどうもあるように思います。
この秀逸な文章を残した賢人でさえ、
45歳でのこの名文です。
才能というものは、
歳、若くして見出される場合も、
当然あるのでしょうが、
私のように
まだ、自分のできることを
探し続けている者もいます。
私は、挑戦し続ける心意気みたいなものを
失った時点で人間というのは錆びついていくものだと
思っています。
サミュエル・ウルマンという人の『青春』という詩があります。
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
~中略~
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
~略~
私は、この詩に10代から20代、
ひじょうに感化されました。
幸い、私は、生徒さんがいて、
生徒さんの才能を伸ばす役割を
仕事として担うことができています。
しかしながら、生徒さんの才能を伸ばすことばかりに終始して、
自らを研鑚しなくなっては、
本当の意味でいい指導などできるわけがないと思っています。
大好きな野球をやっているのですが、
10代20代の活きのいいピッチャーに
喰らいついている自分があるから、
少年野球で臨場感のある指導ができる。
まだまだ、覚えることがたくさんある。
もっともっと、良いことを伝えられるかもしれない。
まだまだ、私はできると思って、
本を読んだり、人に会ったり、実地検分に行ったり、
するわけです。
そのことが、生徒さんに多少なりとも刺激を与えられる。
そう、思うわけです。
指導者として、人間として、
守りに入ったら、
私は、とたんに錆びついてしまう。
そう考えて、今も生きていますが、
けっこう若い時から、そう考え続けています。
才能というのは、
磨いていれば、
いくつになっても、
輝くもので、
磨かなくなれば、
いつの間にか、
その輝きを失います。
磨き続けたその才能が、
もっとも輝き、
自分以外の多くの人たちや、
多くの事柄にお役にたてるように。
その時が、いつやってくるか
わからないので、
コツコツと磨き続けましょう!
と、今日は、これが言いたかったのです。
長々とお読みいただきありがとうございました。


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今日、お題にさせて頂くのは、
『過ぎ去る時と才能の概念』です。
人間は、否応なく歳をとります。
人生は有限です。
かの俳人、松尾芭蕉の
『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。』
時を表す表現の文章として、
これほど、簡潔に表現され秀逸な文章に出会ったことがありませんが、
『否応なく過ぎ去る時』と
『才能の関係』というのは、
私は切っても切れないような気がしています。
『見出される時期』というようなものが、
人間にはどうもあるように思います。
この秀逸な文章を残した賢人でさえ、
45歳でのこの名文です。
才能というものは、
歳、若くして見出される場合も、
当然あるのでしょうが、
私のように
まだ、自分のできることを
探し続けている者もいます。
私は、挑戦し続ける心意気みたいなものを
失った時点で人間というのは錆びついていくものだと
思っています。
サミュエル・ウルマンという人の『青春』という詩があります。
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
~中略~
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
~略~
私は、この詩に10代から20代、
ひじょうに感化されました。
幸い、私は、生徒さんがいて、
生徒さんの才能を伸ばす役割を
仕事として担うことができています。
しかしながら、生徒さんの才能を伸ばすことばかりに終始して、
自らを研鑚しなくなっては、
本当の意味でいい指導などできるわけがないと思っています。
大好きな野球をやっているのですが、
10代20代の活きのいいピッチャーに
喰らいついている自分があるから、
少年野球で臨場感のある指導ができる。
まだまだ、覚えることがたくさんある。
もっともっと、良いことを伝えられるかもしれない。
まだまだ、私はできると思って、
本を読んだり、人に会ったり、実地検分に行ったり、
するわけです。
そのことが、生徒さんに多少なりとも刺激を与えられる。
そう、思うわけです。
指導者として、人間として、
守りに入ったら、
私は、とたんに錆びついてしまう。
そう考えて、今も生きていますが、
けっこう若い時から、そう考え続けています。
才能というのは、
磨いていれば、
いくつになっても、
輝くもので、
磨かなくなれば、
いつの間にか、
その輝きを失います。
磨き続けたその才能が、
もっとも輝き、
自分以外の多くの人たちや、
多くの事柄にお役にたてるように。
その時が、いつやってくるか
わからないので、
コツコツと磨き続けましょう!
と、今日は、これが言いたかったのです。
長々とお読みいただきありがとうございました。
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